tristanの日記: 美少女ゲームについて、の続き 1
美少女ゲームのユーザは、女性が幼児性を見せるのが好きだ。
キャラクターが変な語尾を使ったり、変に細くて高い声を出す。
単純な幼児性では少し言い足りない。
甘えるという要素が重要だ。
とにかく、明らかに異常なものである。
比較できるものとして思い付くのは、ヘヴィーメタルの、
異常なハイトーンや潰れた声くらいのものだろうか。
どちらも、まったく理解できないという人が大半だが、
その世界の居心地がよくなり始めたら、
抜け出せないという特性を持つ。
へヴぃーメタルとの比較は、今思い付いたものだが、
僕にはとても示唆的だ。多くの人は突拍子もないと感じるだろうが。
両方はとても似ているのに気づいて、自分で驚いている。
実は、この後に書くことは、全て両方に当てはまるのである。
しかし、それは置いておいて、先に進めよう。
これまで書いたことでは、なぜとてつもなく多くの人が
美少女ゲームに魅せられ、しかも自分で制作をして
しまうのか、ということが説明がつかない。
コミケットという現象が説明できない。
それについて考えみよう。
大きな理由は、自分の中の微妙な要求が問題であるゆえに、
細部の微妙な差異が重大な価値を持つ点だろう。
自分が本当に欲しいものを手に入れるには、自分で作るしか
方法がないということだ。
微妙な差異を強く意識すればするほど、
それを自分で表現したいという要求が自然に高まり、
自分で表現するという道をたどるのだと思う。
微妙な差異で、気持ち良さが劇的に変わるのは、
自分の中の「心の神話」の実現の度合いに関わるからであろう。
このような微妙なものは、芸術性を持つのだ。
その点で、ギャルゲーは馬鹿にできない奥の深さを
おそらく持っているはずだ。
語り始めたら止まらない奥の深さ、
そして、全てのファンの中にはそれぞれにとって、
頂点に君臨する表現者が、きっといるはずだと思う。
そして、自分が実現を望んでいたものを代わりに実現してくれ、
うまく自分を捕らえるものに出会ったとき、
甘美に自分を包み込み、何度でも繰り返し浸りたいような、
居場所を見つけたかのような快感を感じるのだ。
ギャルゲーというのは、征服欲を満たすという要素だけではなく、
この要素があるため、現在のような隆盛を誇っていると思われる。
この世界が市民権を持つ日が来ることはありえないが、
これからも、一部の熱狂的ファンを、興奮させつづけるだろう。
萌え (スコア:1)
これは男女問わず、他の文化でもある。
ギャルゲーは「萌え」の文化であり、
現実と関係ない。
と、友達に教えてもらった。
確かに、このキーワードを出すと、話がまとまるかも。
それから、ギャルゲーはノスタルジーの世界なのだそうだ。
現実世界の過去の記憶に結び付けたは、
適切ではなかったかもしれない。