パスワードを忘れた? アカウント作成
680910 journal

tristanの日記: 生産と再生産について

日記 by tristan

世の中にあるものは、ほとんどが誰かが生産した既存のものを再生産している。

今までに生産されたものの総体というようなものを考えることができる。
凡庸なものは、その総体のうちの一部を再生産するだけだ。

何をどう再生産するかで個性が形成されるのだが、
これを生産と勘違いする人が多い。
実際、何も生み出していないわけではないのだが、
生産されたものの総体の成長には、寄与していないのである。

真の生産の場では、再生産の場では扱われないテーマが扱われる。
例えばビートルズを考えてみるとよい。
ビートルズは、他のどのアーティストにも扱われなかったようなことを
真の生産者として、扱っている。
切り開かれた場を多くのアーティストは歩いていったが、
場を切り開く開墾の作業で問題となることは、ビートルズでのみ扱われており、
それを体験するのはビートルズを聞くしかない。

真の生産のためには、今までのすべてを背負う必要がある。
なかんづく、これまでの生産を背負わなくてはならない。

自分のしていることが再生産ではなくて、
生産にきちんとなっていることを認識するためだ。

しかし、それだけでなく、生産の場でのみ扱われる、
開墾作業においてのみ使われる知識を
自分も扱う必要があるから、という理由もある。

そういう知識はとても興味深いものである。
そして、生産の場は面白い。
生産された当時、最先端だったものが扱われるからだ。
再生産の場においては、最先端のものは扱われないのだ。
そんなエネルギーがあるなら、生産するだろう。

生産の場は、知的な冒険の場だ。
ビートルズの音楽制作活動は、冒険の連続であった。
冒険性は、それが本物の生産であるかを見分ける、
有力なバロメーターだ。

では、あまり冒険的とはいえないカーペンターズは生産をしなかったのか?
このような問いが出てくるだろう。

彼女らは、極めて優秀な再生産者という面が大きいと思う。
その意味では、ビートルズとならべるわけにはいかない。

ただ、冒険と実験を混同してはならない。
実験的ではないが、冒険的というのは、ありうる。
いい音楽を作るという方向で、彼女らは多少冒険をした。
実験的で無ければ冒険的でない、というのは、
アカデミックな志向を持つ人が、しばしば犯す間違いだ。

みんな、生産という冒険をしよう!

この議論は賞味期限が切れたので、アーカイブ化されています。 新たにコメントを付けることはできません。
typodupeerror

アレゲはアレゲを呼ぶ -- ある傍観者

読み込み中...