tristanの日記: オタク論 - 最近分かってきたこと -
だいぶ前に、ここにオタクのことを書いて、ちょっとした論争をした。そのときは、オタクの精神構造のどこを直すべきなのかを、分かっている範囲でできるだけ深い部分から考察しようと試みた。今なら、あのときとは別のことを書くだろう。僕は作品製作における自己慰安の要素を、これまでよりも大きく評価するようになってきた。
この前、友人と、いわゆる同人サークルのようなグループが作っている、ギャルゲーなるものをやってみた。コミケットで出品される予定のものだ。印象的だったのは、あきらかに自分のために作っていることだ。自分の心の傷の埋め合わせが、作品製作の深層心理的なモチベーションになっていることは明らかだった。
となれば、制作という活動の意義としては、例えば夏目漱石の小説執筆活動と、世の中一般的に思われているほどの違いはないかもしれない。萩原朔太郎が「詩とはただ病める魂の所有者と孤独者との寂しい慰めである」と書いたのと、心情的に大きな違いはないかもしれない。
幼い日の心の傷は、青春を大きく歪ませる。歳を取ったら、自力でそれを克服する活動を開始するのだ。どんな活動だっていい。本人にとって、それがポジティブな結果につながる契機を秘めているものならばなんでもいいのだ。
誰でも、他人のそういう傷に対して、やさしく接するべきだと思う。おそらく、オタク的なゆがみを持ってしまった人は、多分、平均よりも克服すべきものを多く持っていると思う。ここで大事なのは、一番苦しいのは本人だということだ。
オタク的生き方を不可避的に選ぶことになった人は、そのことで、多くの人が楽しめていることを楽しむ機会を逃してしまっていることに、多かれ少なかれ本人は気づいている。しかし、それをくよくよしても、ますますつまらなくなるだけだ。現代では、特にコンピュータという道具の発達によって、オタク的生き方によっても、大きな楽しみを得ることが可能になった。
運良くよい環境に生まれたものが、運の悪いものの行動の結果だけを見て攻撃してはいけない。ただ、運のよい人は、自分の運のよさに感謝しておればよく、またその運のよさをいかして、その人の幸せを追求すればよい。
苦しんでいる人は驚くほど多い。みんな慰安を求めている。世界をこの視点でよく見てみたら、今までとはぜんぜん違うふうに見えてきた。オタクの精神構造の問題点を分析していたときは、分かった問題点は直線的に克服すればよいと考えていた。しかし、そんなにスムーズにいくわけはなく、そして、それぞれが克服を無意識的にせよ目指している。これをきちんと書いて応援することは、それなりにやりがいのある仕事だと思う。
P.S.
なお、ちなみに、もうひとつ、男と女がうまくやっていけるための仕組みが驚くほど多いと最近気づいて、世界が違うふうに見えてきた。
オタク論 - 最近分かってきたこと - More ログイン