tsykの日記: Bowling for Columbine
ドキュメンタリー映画「ボウリング・フォー・コロンバイン」が話題になっているらしい。まだ観てないから映画の内容は詳しくないが、数年前の米国出張での体験を思い出す。
せっかくの長期出張の機会なので、アメリカという国の現状を実体験として感じておきたいと思い、宿泊していたホテルのフロントのお姉さんに頼んで、近所で射撃のできる場所を電話帳で探してもらったのだ。オリンピック開催以前のアトランタ郊外、ハイウェイを1時間ぐらい北に走った所、名も知らない田舎町の寂れた銃砲店に恐る恐る入った。オートマチックやリボルバーなど様々な銃が陳列されたショーケースのカウンター越しに気さくなオヤジが出迎えてくれた。
事故が起きても店側の責任は問わないという誓約書にサインをして、銃本体の使用料と弾丸代を含めて数十ドルを払えば、奥にある室内射撃場で試射が出来るのだ。グァムなどの観光地では射撃体験ツアーがあるのだから、べつに驚くことではないのだが、身分証明書(パスポート)を提示したとはいえ、どこの誰とも判らない謎の東洋人でも、ごく簡単に実弾の入った銃に触れることが出来るという現実に初めて接したとき、その衝撃は大きかった。
紙製のターゲットを買い、レンタルしたイヤープロテクターと防護用サングラスを装着して、暗いシューティングレンジに入ると、いっそう圧迫感と緊張感が高まる。薄暗いランプに照らされたコンクリート張りの空間で、見ず知らずの数人が黙々とトリガと引いている。
次の瞬間に誰かが俺に向けて発砲しない保証はない。いや、俺がこの中の誰かを誤射しない保証すらない。彼らは皆、誰かの自制心が制御不能になる危険は無視できるほどに小さいと考えているのだろうか。むしろ、その恐怖を克服するために自らも銃を所持するというのか。憲法で保証された「自衛する権利」は、恐怖の悪循環を生んでいるのではないのか。
駐車場に停めた車のトランクからケース入りのライフルを取り出し、子供連れの大人が店に入ってきた。その後、彼は俺の隣で小さな子供にライフルの射撃練習をさせていた。そのような教育をする家庭もあることは知識として理解していたが、目の前で繰り広げられたこの光景は脳裏に焼きついた。
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