uruyaの日記: ミノタウロス / 佐藤亜紀
ミノタウロス / 佐藤亜紀
★★★★☆
二十世紀初頭、政情不安のウクライナでヴァシリ・ペトローヴィチは青年になっていた。父親はもともと下層の労働者だったが、なりゆきで地主から土地を譲り受けられ、さらに共同経営者のシチェルパートフに経営の才を見出されて成金農場主となった男である。行かず後家だった母親は金ずくで輿入れし、義理のように二人の男の子を産んで、容姿の整った兄が軍の幼年学校に入った後、キエフに帰った。ヴァシリは高等遊民として育ち、本ばかり読んでいて、女癖が悪かった。
キエフでの学校通いをやめて故郷に帰ってきたヴァシリは、サヴァを子分格としてつるみ、その姉テチヤーナを自分の女にしていた。姉弟にはもうひとり長兄のグラバクがおり、これは働きもしないで社会主義活動にふけり、地主の馬鹿息子であるヴァシリを白眼視していた。やがてテチヤーナの妊娠が発覚しグラバクの知るところとなると、グラバクは逆上し、運動仲間と連れ立ってペトローヴィチ家を襲撃する。襲撃に失敗し逃走したグラバクは、お尋ね者の追い剥ぎ集団の頭目と化すが、時代の空気の流れに乗り、やがて社会主義的英雄のひとりと目されるようになっていく。
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ごめんなさい。今までただの口汚いオバハンだと思っててごめんなさい。なんですかこの小説は。このパワーは。面白すぎる。訂正します、佐藤亜紀は面白い小説を書く口汚いオバハンです。
まず文章がいい。東欧文学を髣髴とさせる重厚な語り口で濃い描写が延々続き、ページを繰る速度は普段の半分以下なのだが、不思議に入り込みやすく、読み疲れない。封建制の崩壊と社会主義の台頭を背景にして、成り上がり一家の変遷を次男の目を通して冷徹に描いていたかと思いきや、後半になると突如として極上のノワールに変貌。今度は物語展開の面白さが浮きあがってくる。
題名のミノタウロスは、当然ながらギリシャ神話のアレ。ミノス王の妃が牛とまぐわって生まれた不倫の子で、ラビュリントスに幽閉されて生贄をむさぼり喰っていた禍々しい怪物のこと。内戦のさなか、イデオロギーなどとは縁のないごろつきどもが略奪と陵辱の限りを尽くす姿を、獣のような人間、半人半獣の怪物に見立てたものと思われる。
後半、主人公のヴァシリがどんどん怪物になっていく姿は、いっそすがすがしくもあります。人を人とも思わないドラ息子が、いろんなくびきを離れて野に放されちゃった。しかもこいつ、そのへんのゴロツキと違って妙に教養がある。
この話の舞台になっている時代は、第一次世界大戦前夜からウクライナ内戦まで。大戦前のウクライナは概ねロシアの支配下で、西側はハプスブルク家のオーストリア=ハンガリー帝国に侵食されている。多民族国家だったオーストリア=ハンガリー帝国では民族主義が沸騰しており、高名な「ヨーロッパの火薬庫」という呼び方をされていた。オーストリアで主導権を握っていた民族はドイツ人で、作中でもオーストリア軍の撤退に取り残されたドイツ人青年のキャラが活躍している。
一方、ロシアではレーニン率いるボリシェヴィキに代表される社会主義運動が猛威を振るっている。ロシア革命が起こるのは大戦終盤一九一七年のこと。そしてロシア革命を期にしてウクライナでも革命が起こり、民族国家ウクライナ国民共和国が成立する。しかしボリシェヴィキがこれに対抗し、ドイツの干渉やゲリラの蜂起なども加わって泥沼の内戦に突入。その果てにウクライナは再び自治権を失い、ソビエト連邦に組み入れられてしまうことになるのだが、これは後のお話。
民族主義の爆発で始まった第一次大戦が封建国家を終焉させ、社会主義国家を生み出した。そういうおおきな転換期の動乱の中、ウクライナの小地主の馬鹿息子がたどるきちがいじみた運命、というお話。傑作でした。
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