von_yosukeyanの日記: 寒いギャグ 12
最近頓に、いわゆる「表」で寒いギャグを連発する人が増えているような気がする。まぁ害のない寒いギャグとか下品なギャグはどうでもいいとして(これにしてみたところで、私的空間での会話であってもあまり誉められた類のものではない)、人間性を疑われても仕方がない種類のギャグでも、なぜかM1されていなかったりする。
スラドではタレコミに対する誤字脱字に対する「叩き」というのは非常に激しい。一種ファーストポスト的なところがあるが、この他に反MS的な叩きに対する批判や、反反MS的に対する批判・・・というのもある
それは、まるでマスメディアに対して高度な中立性や公平性を求める風潮がそうさせているのではないか、と思うことがある。日経は世界最大の経済専門日刊紙、読売新聞は世界最大の新聞であるが、メディアとしての世界的な影響力や評価は驚くほど低い。フランスの左翼系高級日刊紙のフィガロだとか、高々アメリカ東部の一定地域にしか発行されていないワシントン・ポストやニューヨーク・タイムズ(アメリカでは全国紙と言えるのはUSA TODAYくらいしかない)が、極めて自己主張の激しいメディアであるのと対照的である
メディアは「社会の公器」である、という認識は日本でも欧米でも変わりはないと思う。ただし、その実装というかアプローチはかなり異なる。わが国では、メディアには高度な中立性が求められ、たとえ社説であろうとも、「社会の公器」に対して私的なフィルターを通した情報を掲載することは許されない、と言わんばかりである。
しかし、実際には(メディアに限った話ではないが)政治的無味無臭と公平性の仮面の下には、強烈な自己主張が存在する。メディアに公平性や中立性を求める人ほど、メディアの自己主張を鵜呑みにし、そしてそれに裏切られたときには最初に失望感を感じ、そして強烈に拒否するのだ
「叩き」という行為もまた、異なる考え方の存在を拒否するところにあると思う。それは、単にディベートによる自己主張とは異なり、単なる対話の拒否であり、異質な考えの排除でしかない
裁判制度に対する無知や無理解、似非科学信仰といった現象は何もわが国特有の現象というわけではないし、もちろん本家にもこの類の連中はいる。だが、スラドにおけるAC叩きだとか、誤字脱字指摘厨、定義論争などというのは、単にメディア(マスメディアではない)という公的領域への私的領域の進入に対する拒否反応とは単純にはいえないのではないだろうか(それが例えば寒いギャグには寛容だったり)
と、まぁ知ったかなどうでもいい考察は置いておいても、ギャグに対するM1ってのは難しいな、と思うM1が回ってこない午後のコーヒー。無駄だからつまんねーよ(ぷ、とでも書き込んどけばいいんだけどね(ゲラ
[追記]
M2したら、前記の部分がM1されていたのでちょっと複雑な気分なんだが
「誤字脱字が許容されないなら寒いギャグも許容すべきではない」ということではない。寒いギャグは許容されるならば、誤字脱字も許容されるべきであり、fjみたいな場所になってほしくないなぁというわけであり・・・。
ギャグに対するM1 (スコア:1)
まぁ回ってきてもマイナス評価って殆どしていませんけど。
KyaTanaka
Re:ギャグに対するM1 (スコア:1)
議論と雑談 (スコア:0)
むしろ「一見議論用の発言」のようでいながら「実は単なる感想」だったりするコメントに対して、『議論したがり屋』さんから「叩き」や「定義論争」が吹き掛けられるのではないかと。雑談や感想と、いわゆる議論とが境界もなく同居している構造が問題を起こしてるのかもしれません。「自由な議論…の場を与えることを目標にしています」と銘打っている以上、チャラチャラしたコメントに手厳しい野次が飛ぶのは致し方ないのかも。
Re:議論と雑談 (スコア:1)
#しかし、あんまり面白い冗談ってなかなかないね。下品なだけの冗談なら溢れてるけど
Re:議論と雑談 (スコア:1)
シグネチャに、おもしろいことなら誰がやってもおもしろい、とか書いている方がいらっしゃいましたが、あれ違うんじゃないかと思ってます。
同じネタでも表現やタイミングをちゃんとはかれる人がやるのと、馬鹿の一つ覚えて脊椎反射しているのだとぜんぜん違うもの。いま、中の人~、をやるのは後者の方が多いから下手なのが目立つ(まぁ、新しいものが流行りだしたときはなんでもそうかも)。
「面白いものは誰でもある程度思いつくことが出来る。要はそれを自分以外の人にどれだけ伝える能力があるか、それが才能と技術なんだ」
まんが家の鉄則、だそうです。
面白いもの、に限らないとも思います。
Re:議論と雑談 (スコア:1)
ジョークって主観的なものだから、おもしろいつまらないは別として、イチイチ存在に意義が必要とされるかどうかについては疑問に思ったり。いつもつまんないジョークばっかり言う人でも、下品だとか反社会的なジョークでもない限り、イロイロな意味でその人の人間性が垣間見えてそれはそれで親しみだとかが芽生えると思うんですが
そういう意味で「面白いものは誰がやっても面白い」ってのは真理じゃないのかなぁ・・・。
Re:議論と雑談 (スコア:1)
# 真理だよなぁ、ですよね、と念のため。
テンプレ化して誰でもできるほどに誰がやってもおもしろくなくなってるんですが(もっとも、ここで中の人をやっているのが、誰がやっても、ってほど大勢とも思えませんけども)、それでも TPO にはまっているところで「中の人」を言えるセンスがあるひとが言う中の人なら、それは依然としておもしろいはずです。
# まぁ、「中の人」はこういう例に挙げるにはちょっと低かったのは確か ;-)
親しみが持てるという意味、の方はそういう方面は考えてなかったのでパスします(von_yosukeyan さんはやさしい人だからシグネチャを使っている方への配慮もあるのかも、とも思うけど :-p)
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だれがやってもおもしろい、の反証としてわたしが言いたいのは、たとえばデータ少佐が、joke の定義という知識から joke を言ってもまわりは困るだけ、という状況。
ところが、その状況は STAR TERK という TV 番組としては(TV 番組だから)、おもしろいわけなんだなこれが…
Re:議論と雑談 (スコア:1)
ぎゃあ これは、マジでトレッカーな知り合いの言語学研究者の研究領域そのもの [google.co.jp]でつ(w
ジョークが示す比喩世界だとかって、例えば翻訳の世界でも「まるでメグ」(ジェイムス・エルロイ『ホワイト・ジャズ』(文春文庫)冒頭から。メグという名の妹を持つ主人公は、脳磁気図という意味もあるメグを解したジョークらしい)なんて未だにどこが面白いのかわからないですし、このジョークにしたところで [srad.jp]ニューヨーク大停電という歴史的事件とその後に起こったできごとを知らなければわからないジョークです。あと、自分のかましたつまらないジョークだと、デイビット・ケースとわざわざ書いたのは [srad.jp]彼が「町長」として愛され、AOLの会員は愛することが要求されるという不条理な状況(この辺のところはAOLを題材にした記事に死ぬほど載っている)にひっかけたつもりだったりするんですが、全然面白くありません。ぎゃあ
中にいる人も大変だな、の面白さってのはその後に続く「中に人などいない」って受け答えになると思います。例えば「中に人などいない、媚とさんならいる」とか。単純なようで、かなり難しいジョークだと思うんですが、悪乗りすると途端に難しくなる諸刃の剣
比喩の難しさについては、国語が全然ダメなボクが何を言おうと空虚なんですが、バックグラウンドとしての知識ベースが一定量ある人間に対するものであれば、それはそれで面白いことには違いはないと思うのです。例えば、"本物のプログラマーはPASCALを使わない"ってジョークがあると思うんですが、結構長い間ボクはアレをジョークだとは思っていませんでした。わかんないものはわかんなくていいんじゃないか、とも思うんですが、これは誰がやっても・・・という表現者の差異の問題ではなく、単に受け手の問題になると思ったりするんですが(って、そういう意味じゃない?)
ちなみに、ボクは閾値はマイナスにしてるのでどのコメントも読みますが、シグネチャは標準で読まないようにしてるのでアレです
Re:議論と雑談 (スコア:1)
その joke をある時にある場所で受け手に対して言っておもしろいと思ってもらえるか、という判断を表現者はしなければならない(できなければならない)、と思っているので(→鉄則)、受け手の問題も表現者の問題も同じだと思います。
Re:議論と雑談 (スコア:1)
知識レベルが不均等な、それも不特定多数の集団を想定したジョークを言わなければならないし、受けても受けるべきだ(とまでは言わないけど)って感じになってしまいますが
これは、商業系マスメディアの直面している問題と同質です。万人受けするエンターテイメント、というと誰にでもわかる単純化された面白さになりますから、極度に表現の幅が制限されますし
バラエティー番組を中心とした俗悪商業メディアに、ベタベタなギャグ(しかも、昔から効果音・背景の歓声・笑い声を意図的に挿入、最近ではキャプション)若しくは単に暴力的で、猥褻なギャグしか溢れない、ってなことになってしまうカモカモ
Re:議論と雑談 (スコア:1)
ならないし、が違うと思う。「ならないし」は「できるはず」の裏ですが、そんな無理なことよほどの芸人じゃなければできるわけない。偉い芸人は、不特定多数の場合は「どうするか」、とか想定外の人がまざっている場合は「どうするか」、とかいったときの臨機応変さがよくできているから偉いんだと思うし、普通の人はそんなことできなくてもあたりまえ、でいいと思う。
> 商業系マスメディアの直面
それがテレビとかのことなら、それらは最初っから対象が不特定多数になってしまうことの難しさをわかってないことで失敗しているメディアだからなぁ。
そういうマスメディアに慣らされた人は、不特定多数に(=身近な限定された範囲であっても/あるいはここや 2ch など、実はそこは本当に不特定多数の人に見られる場所であってもそれがわからずに)受けなければ「ならない」(=「おれにはできるはずだ」)と思うから寒いギャグが蔓延しちゃうんじゃないかなー。
Re:議論と雑談 (スコア:1)
> ならないし、が違うと思う。
その前の自分のコメント [srad.jp]で散々「ならないし」、って書いてあって、ここは「言わなければ」から引用しとかないといみふめですね。
言っておもしろいと思ってもらえるか、という判断をしなければならない、というのから、その判断によって言うかどうかが左右されるのだから、言わなければならないとは言い切れない、ってことでひとつよろしく。
# 土曜の夜から暗いので見逃してくださいね…