von_yosukeyanの日記: みずほ信託銀行
前から信託というか、信託銀行について興味があるのだがめんどくさくて調べてない。ので以下の文章は結構間違っているかもしれないのでヨロシコ
戦後、旧財閥系銀行であり邦銀最大の規模を誇った安田銀行は、GHQによる財閥商号の使用禁止に伴い、行名を富士銀行に改称した。同様に、三菱銀行は千代田銀行、住友銀行は大坂銀行、野村銀行は大和銀行、といったように名称が変更された。もっとも、昭和28年前後に、この財閥商号の使用禁止は解除され、三菱、住友、三井(戦中に第一銀行と合併時に帝国銀行となっていたが第一銀行を分離後も帝国銀行の商号を使用)は元の行名に復帰した。
これに対して、戦後誕生した信託銀行のほとんどが、当初から旧財閥名称を用いていたのかは定かではない。前に少し触れたが、日本独自の銀行である信託銀行は、戦前の信託会社を祖としているものが多く、基本的に信託業務と銀行業務を兼営する銀行と定義されているものの、欧米に見られるような信託(トラスト)とは概念の異なる「貸付信託」と証券代行業務を信託業務の中核として位置付けているのが特徴である。安田信託会社が安田信託銀行へ転換したのは昭和23年のことで、戦中に制定された信託・銀行兼営法が根拠法律となっている。
いずれにしても、信託銀行は名前とは裏腹に規模の面では都市銀行とは圧倒的な差があった。最大規模の信託銀行でも、下位都銀(大和、拓銀)と上位地銀(横浜、北陸)の預金量規模である10兆円強から5兆円の間に位置し、同じ信託銀行であっても、例えば住友信託銀行のように年金信託を中心として信託業務規模が大きく利益率が高い銀行がある一方で、三菱信託銀行のように信託勘定の規模が小さく低利益で、銀行勘定のほうが明らかに利益を稼いでいる信託銀行など、都市銀行と比べて経営状況の差が激しい
安田信託銀行は、信託勘定は比較的大きい部類だった。国の長短分離政策(前述した戦後直後の信託会社から信託銀行への一斉転換が行われた時期)によって、銀行は基本的に従来の普通銀行(地銀、都銀)などの短期資金と、旧特銀から転換した長期信用銀行と信託銀行の長期資金に分離され、後者は企業の設備投資などに充てる長期資金の供給を任務とされた。長銀の代表的な資金吸収商品が金融債であったのに対し、信託銀行の資金吸収商品は昭和20年代後半に認められた貸付信託であり、高度経済成長期に入ると企業の終身年金などが代表的な商品となった。
安田信託銀行は、特に終身年金に力を入れた銀行で、俗に鉄鋼信託と呼ばれるほど貸し出し先が新日本製鉄に代表される鉄鋼部門に集中した。鉄鋼業界の資金需要が一巡したオイルショック以降、安田信託銀行に限らず信託銀行業界は、貸付先をより高い金利を得られやすい、いわゆる三業種(不動産、建設、流通)に力を入れだした。といっても、これらの業種はすでに独立系都銀がメーンになっている場合が多く、信託銀行自体は準メーンという立場での融資であったが、バブル以降急速に不良債権化して信託銀行経営を圧迫した。
1998年の日本の金融危機で、経営不安が囁かれた銀行はさくら銀行と安田信託銀行の二つで、前者はトヨタ自動車からの多額の資本調達で乗り越え、後者は親密銀行である富士銀行からの第三者割当増資によって乗り切った。しかし、この時点で富士銀行は大手都銀の中では負け組に転落しており、安田信託処理問題が後のみずほHD設立時に富士銀行の発言力を大きくそいだことは確かだ。
急速な預金、年金信託解除の嵐に見舞われた安田信託銀行は、後に第一勧業富士信託銀行(現みずほ信託銀行)に資産管理部門を分離して、自らはみずほアセット信託銀行となり現在に至る。今年には、再びみずほ信託銀行とみずほアセット信託銀行は合併して、新たにみずほ信託銀行となるが、その合併の意味についてはBKとCBを分離した親銀行以上に疑問符がつけられている。
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