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von_yosukeyanの日記: バカバカしい

日記 by von_yosukeyan

宗教的無関心から宗教を否定するのは個人の自由だが、宗教的関心を持つものに対して排他的態度を取ることが絶対だと信じてる連中はファンダメンタリズムよりも凶悪だな

大体、そういう排他主義的な普遍化を気取る連中に限ってグローバリゼーション反対とか抜かすヤツが多いんだが、実際のところ連中の嫌うアメリカ的グローバリゼーションと立場は違えど根本的な考え方の違いは大差がないわけで、平気で異質な価値観の否定だとか、日本的価値観の押し付けをやりたがるから始末におえない

ところで、この前新聞というかメディアについてちょっと書いたら反響が大きかったので、少しメディアのことについて書いてみたいと思う

ボクは、日本のメディアの世論創造能力(と呼んでいいのか知らないが)というのは欧米のメディアに比べて非常に低いと考えている。メディアというのは、基本的にはあまりビジネスとしては儲かるものではなく、地方紙や地方放送局にしても歴史を遡れば地元の資産家が作っていたりするように、何らかの意図をもって作られたものが多く、実際に報道内容はその意思に基づいた情報を厳選して流している、と言っても過言ではない

典型的な例がボクの田舎のA県だ。A県はかつて経済的には隣接するB県を圧倒しており、明治時代には一時的にB県を併合した時代があった。併合直後、B県では合併反対の世論が沸騰し、結局A県と分割されることになったのだが、この世論を喚起させたのは地元の有力者を中心にして作られた新聞だった。

このように、メディアにはある程度意図をもって作られ、その報道内容には傾向が存在する。例えば朝日新聞は左翼的、読売は保守的、産経は極右的というように。しかしながら、その傾向をもってメディアの良し悪しを判断するのはかなりの点で間違っている

メディアの傾向というのは、情報の集合体から一定の傾向が存在するという主観的立場に立った経験則であって、あるメディアから発せられる情報がすべてその傾向に従っているわけではない。したがって、そのような観点からメディアを一旦選別した時点で、メディアに対する依存性が成立する。これは極めて危険なことだ

新聞記事にしろ、テレビの報道にしろ、個々の記事は記者個人の一定の主観によって構成されるもので、メディアというのは独立した主観の集合体に過ぎない。もちろん、個々の記事を構成する記者たちはサラリーマンであって、週刊誌のようにフリーランスの者によって書かれているという訳ではないから、メディアに一定の方向性が存在することは確かだし、日本では特にその傾向が高い。しかし、そのこととメディアの報道がどの程度真実であるかとはあまり関係がない。なぜならば、多少の差はあるにせよ報道というのはある程度の主観性が混じっているからであり、それは真実か否かという観点ではなく、どの程度真実に近いものであるかという度合いが判断できれば足りる

アウトプットだけに注目すると、単にその記事が真実が否かに注目しがちである。しかし、本来一定の意図をもって流された情報ソースにしたがって報道を行う記者は、書いている記者さえもその意図に気づかない場合がある。要するにメディアを読むときには、その記者がどのようなソースに従って書いたのかに注目すべきであって、どのメディアが書いたのかというのは、読み手の主観的な傾向判断に過ぎない

だから、ボクは相反する傾向を示す朝日、読売、日経、毎日を読み比べるのが好きだ。朝日と読売は特定の政治的意図に基づく記事が多く、その政治勢力がどのような考えを示しているのかを知るには非常によいメディアだと思う。日経や産経もそうだが、日経はどちらかというと何でも記事にしたがるので新聞の傾向と記事のソースの意図を切り離して読むには非常に読みやすい。それに対して産経は、あまり好ましくない政治勢力と癒着したデマゴーク的なメディアで、明らかな嘘を書いたりするのであまり好きではない。毎日は独自のソースを持っている関係から、全体的に中身が薄いように思えるが、読んでて単純に面白いから好きというのがある。まぁこれさえも、ボクの個人的な主観に基づく傾向分析だから普段からこういう偏見にたってメディアを読むことはない

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