von_yosukeyanの日記: 証券取引法65条
先日、りそな銀行が保有する野村證券株の大半を手放すという報道があった。
大和銀行と野村證券は、元々大阪野村銀行という一つの組織だった。大阪野村銀行には、銀行部門(現りそな銀行)、信託部門(現りそな信託銀行)、証券部門(現野村證券)の三つがあった。
昭和恐慌以前、資本の弱い中小銀行の中には相場師と呼ばれる人たちが高金利を餌に市民から預金を集め、株式投機に使用するということが多かった。恐慌時代に入ると、こういった銀行は次々に倒産し、政府はついに銀行業と証券業の分離を求めるようになる。
海の向こうでも状況は同じで、第一次世界大戦後の好景気時代、ゴールドマンサックスは投資信託子会社の運営する投資信託(ミーチュアル・ファンド)に自社と親会社の株を買わせ、手数料を稼ぐと言う事を繰り返していた。大恐慌後、フランクリン・D・ルーズベルト政権下で、金融制度改革が行われ、FED(連邦準備制度)の権限強化と並び、投資銀行と商業銀行の分離を定めたグラス・スティーガル法が成立した
日本では、戦後制定された証券取引法の第65条が、事実上銀行業による証券仲介を禁じ、銀行そのものが投資銀行業務を行うことが不可能だった。例外的に、日本興業銀行(IBJ)が社債の引受業務を行っていたが、その他の銀行は系列証券会社や、財閥内の親密な証券会社を通してしか証券市場にコミットすることができなかった。
こう言った状況に変化が顕れたのは1970年代のアメリカである。証券会社による決済業務が段階的に緩和され、メリル・リンチが70年代後半に、預金の代わりにMMFで運用された資金を証券口座から直接決済可能なCMAが開発された。一方の銀行も、自由金利型定期預金(MMC)が解禁され、証券と銀行の間で本格的な競争の時代に入っていった。
イギリスでも80年代に入ると、金融規制緩和が一気に行われ(金融ビックバン)商業銀行と投資銀行の境界があいまいになってきた。1980年代後半になると、発展途上国に対する融資の焦げ付きから、金融再編や資本増強などでニューヨークに存在していた5つの名門商業銀行は、2001年にはシティー・バンク・グループ、JPモルガンチェース、バンク・オブ・ニューヨークの三行に再編され、カルフォルニアの巨大銀行バンク・オブ・アメリカも大手リージョナル・バンクのネーションズに吸収された。この過程で、グラス・スティーガル法の適用は段階的に緩和され、JPモルガンとチェース・マンハッタンの合併が決定した99年にはほぼ廃止された。
日本でも、ビックバンといいながら90年代初頭から段階的に規制緩和が行われ、銀行によるディーリング業務の解禁、金利の自由化、銀行と証券の直接子銀行・証券の設立許可、(直接には違うが)商法改正による持株会社制度の許可、投資信託の銀行窓口販売の許可、証券会社と銀行の併設店許可などの規制緩和が続けられてきた。残すは、証券取引法65条の撤廃、と見るむきは多い。とくに、みずほグループはホールセール証券のみずほ証券とホールセール銀行部門のみずほコーポレート銀行、リテール証券のみずほインベスターズ証券とみずほ銀行の合併を、65条撤廃を前提に組織改変を行っている
65条の緩和が、今後ありえるのかについては微妙だが、銀行が直接証券業に乗り出すメリットは大きいと思う。しかし、現在の銀行に対するお粗末な監督体制のまま、銀証合併を許可するような制度を作れば、銀行の暴走を許しかねない。それに、現在の銀行がコストやマーケティングに対して素人である点を考えると、単純な業務相互参入では「素人の商売」になってしまう可能性すらあるように思える
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