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von_yosukeyanの日記: レッシグとかいうオッサンはそんなに偉いんですか?

日記 by von_yosukeyan

ちょっと(?)話題になっているクリエイティブ・コモンズに対する悲観的な見解についてコメントしてみたい

クリエイティブ・コモンズは、OSSで形成された著作物利用の思想を、一般著作物に拡張した概念だとボクは理解している。こう言った考え方が生まれる背景には、第一に米国において知的所有権のライセンスや売買を行う巨大企業が著作物の自由な利用・流通・創作の弊害となっていること。第二に、これらの巨大企業の圧力によって連邦著作権法の保護期間が延長され、こういった弊害が深刻化していること。第三に、著作権制度そのものが自由な創作や作品の流通を阻害している批判である。

OSSの様々なライセンス形態にしても、クリエイティブコモンズの考え方にしても、それは既存の知的所有権制度を崩壊させることを企図したものではないし、実際に法改正を行わない限り不可能である。一方で、著作物を創作する者(自然人であれ法人であれ)は、様々なライセンス形態を選択する自由がある。

例えば、IBMを例にしてみると、IBMはOS/360時代から蓄積してきたメインフレームOSに対する著作権を保有しつづけている。一方で、Dynixオペレーティングシステムに関する著作物の成果を、Linuxコミュニティーに提供している。IBMに対して、Dynixのソースを公開したのだからOS/360シリーズやOS/400の著作権をOSS化しろ、という論理的帰結は生じないだろうし、そう求めている人はあまりいない

それは利用者の側にとっても同じである。ボクはWindows2000を使いつづけているが、OSSだからという理由で他のOSを選択することはないだろうし、逆もない。単に気に入ってから使っているだけで、ライセンス形態などは関係ない。(無償であれ有償であれ)プロダクツが気に入るか気に入らないかの問題だ。それは、創作したライセンス形態に関しても同じことで、できればボクは創作した著作物に関して著作物に応じてライセンス形態を選択したいと考えるだろう。

しかし八田の論は、当初から「クリエイティブ・コモンズが適用された著作物が知の拡大再生産に至っていない」と決め付けた上で、その理由をインセティブとコラボレーションの不足であると述べ、各所でソフトウェアの場合と一々比較している。そして、結論として次のようなことを述べている

本稿で述べてきたように、ソフトウェアとそのほかの著作物の定性的な性質の違いのために、そもそもクリエイティヴ・コモンズが生のマテリアルを増加させるということはないのではないかと筆者は思う。言い換えれば、(レッシグの熱心なフォロワーではない)コンテンツ作者が自分の作品をクリエイティヴ・コモンズにする動機付けが非常に弱いと思うのである。また、クリエイティヴ・コモンズを巡る一連の議論も、テクニカルな法律論が多く、そもそもなぜクリエイティヴ・コモンズにするのか、という点に関して十分な議論がなされてきたとは思えない。

これに前置する議論で、コラボレーション(この言葉の使い方や濫用にはいい加減うんざりしているのだが)がソフトウェアに大して不足しているという論が存在するが、では学術論文やコミックマーケットなどに展示される同人雑誌などはコラボレーションがないと言うのだろうか? 例えば手元にある、我妻博士の『民法(2)債権法』(一粒社)は1954年に初版が出されてから第五版第2刷にまでなっているし、金田一京介編『新明解国語辞典』(三省堂)は第4版第20刷だ。二次著作物としてのマンガやパロディーに至っては、それこそ無数の作者が無数の作品を作りつづけている。これでも、『他の著作物と比べて可分性と再利用可能性が高い』のはソフトウェアだけなのだろうか?

第二に、インセティブの問題に関してみると、例えばディズニーがドナルドダックとデイジーがファックしているパロディーや手袋をしていないミッキーマウスが、ディズニーの売上にどのような貢献を果たすというのだろうか。ディズニーのキャラクターは、独占しているから価値があるのであって、公開すればいいと言う問題でもない。こういう極端な例を挙げて、企業は新しい収益モデルを構築することは出来ないと論じたところで、何の意味がない

そして、最も馬鹿げているのは結論部分だ。OSSに関係している人のどれくらいが、レッシグとかいう訳のわからんオッサンのことを知っているのか? そして彼の主張を知っているというのだろうか? これこそが、自分自身で述べている「なぜクリエイティヴ・コモンズにするのか、という点に関して十分な議論がなされてきたとは思えない」というそのもののことではないのか?

八田は、ローレンス・レッシグが風潮している別に新しくもなんともない考えが何故普及していないと悩み、偉大なるレッシグ先生の考えを知らないのが悪いと言わんばかりだが、順序が逆であると思う。OSSにしてみたところで、GPLが単一的なライセンス形態として発展していない事実のように、様々なライセンス形態が並存する多様な世界である。確たる動機や利点がないのに、単に外から入ってきた思想的背景に飛びついて喜んでるだけで、著作権に対する考え方の多様性を認識していないだけだ。

レッシグに対してボクが快く思わないのは、アメリカのリベラルに共通する、自由とアメリカ的正義を普遍的概念として押し付ける無邪気さだ。それはそれで、アメリカの保守層がその対極に存在していることを考えると別に悪くは無いと思うのだが、問題なのはそれを輸入して喜んでいる知識階層(と称する人々)だろう。最近でも、T大利権学部連中によるblogとWeb日記を巡る下らない論争があったが、それに似たようなものだと思う。

最後に一言だけ書いておくと、著作権問題がテクニカルな法律論以外の何者であるというのだろうか?

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