von_yosukeyanの日記: 宮台blog
官僚氏経由で、宮台blogから
長ったらしくて、要点がよくわからんのだけど、日本の金融制度についてつっこんでみる
思うに、宮台の批判は実質的には興銀批判である。基本的には銀行批判のスタンスを取っているように見えるが、随所で行政と銀行批判を混同している部分が散見される。例えば、宮台は護送船団方式を「銀行を国(大蔵省の役人)が徹底的にコントロールする。その枠内で大企業にお金が貸し付けられ、傘下の中小企業にお金が回るようにする」と述べているが、これ「銀行を国が徹底的にコントロールする」という点が金融政策の部分で、「大企業にお金が貸し付けられ、参加の中小企業にお金が回るようにする」という部分が産業政策であって、両者の間には深刻な対立があった
興銀は、産業政策と金融政策を同時に担う、特殊な金融機関だった。銀行法上の銀行であると同時に、産業に対して長期の資金需要に応えるという特殊銀行時代の任務を、戦後も産業政策と金融政策の要請から行ってきた。よって、通産省や大蔵省に与える影響力は、一般の都銀とは比較にならないほど強かったし、実際に大蔵省や通産省は興銀に政策決定のための研究や調査を行わせることもしばしばだった
宮台が混同している点はもう一つある。金融システムと銀行のシステムの混同だ。わが国では銀行=金融というイメージが現在でもあるが、金融システムとは銀行や証券会社、街金を含めた広い概念であって、銀行批判を行えば同時に金融システムを批判したことにはならない
もっと基本的な部分では、傾斜生産方式自体の理解にも誤解があるように思える。傾斜生産方式は、金融だけでなく資源配分も政府がコントロールするシステムであり、モノ不足だった戦後の一時期に行われただけで、その後は外貨割当制度などを除いては自由化されている
また、支店長決済制度は戦後直後から行われた制度ではない。これは1980年代初頭に、住友銀行が米国のコンサルタント会社に依頼して作った総本部体制によって生まれた制度であり、それまでの銀行には支店長による自由決裁制度はほとんどなかった。もちろん、現在でも支店長による自由決裁案件の制限は多いし、ほとんどが本部の審査部門によるコントロールが行われている。こういった制度はバブルの一時期に行われただけで、「支店長が神」というのは現在ではほとんどありえない
さらに、直接金融が金融システム全体に占める割合が高い国というのはわが国だけではない。基本的にイスラム圏の金融システムは、欧米の金融システムとは異なる投資銀行的な役割を果たす、イスラム銀行が存在しており、投資銀行と商業銀行の混同的な状態が存在するし、ドイツにおいても日本と同様に銀行と企業との間の資本も持ち合い構造が存在している
重要な点では、キャピタルとローンの混同すらある。キャピタル(資本)とは返済不要な自己資本と、借り入れである他人資本の二つがあるが、宮台は基本的に自己資本と他人資本を混同させた上で、ローンによる他人資本の調達方法を傾斜生産方式と定義し、さらにローンについては二重に記述している。資本調達手段として株式市場が存在しなったわけではないし、政府が銀行にサービス産業に対する融資を禁止していたという事実もない。概念的な説明がやや乱暴であると思う
で、読んだところでナニが言いたいのかよくわからんのは変わりがないことは確かだが
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