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von_yosukeyanの日記: 銀証史観

日記 by von_yosukeyan

金融業界と金融行政の近年の変異を分析する一つの切り口として、商業銀行業務と投資銀行業務の参入規制撤廃、いわゆる銀証相互参入問題がある

商業銀行と投資銀行の相互参入の禁止は、世界的に見ても大恐慌時代から1970年代にかけて各国で行われてきた。米国の場合、グラス・スティーガル法や各種反トラスト法制によって行われてきており、わが国では独占禁止法による銀行による事業法人に対する出資規制と、証券取引法65条による銀行による投資銀行業務参入の禁止がある

商業銀行と投資銀行の相互参入の禁止の最大の目的は、モルガンや安田財閥に代表される金融財閥による産業支配を排除するためだった。しかし、1970年代から90年代にかけてアメリカはグラス・スティーガル法を緩和し、まず商銀・証券に自由金利商品の開発を認め(MMC、MMF)、証券会社に決済性口座(メリル・リンチのCMA。後に証券会社による小切手発行など多様化)を認めるなど、規制緩和は継続され、90年代後半にはトラベラーズ・グループとシティーコープ、JPモルガンとチェース・マンハッタン合併を認めるに到る。イギリスではこういった規制緩和は1980年代初頭にサッチャー政権下で”ビックバン”と呼ばれる急速な規制緩和が行われた

わが国の場合には、金融行政改革をイギリスに模範に取りつつ、実際のスピードはゆっくりと規制緩和を続けたアメリカを参考にする一方で、改革の理論性を欠くという著しい折衷性に特徴を持つ。まず、1970年代には第一銀行と日本勧業銀行、太陽銀行と神戸銀行の合併に見られるような大規模な再編が発生したが、この理由はスケールを拡大することによって金融エスタブリッシュメントの仲間入りを果たすというもので、合併による相乗効果や効率化を目的としたものではなかった。一方、高度経済成長の終焉と、石油危機による産業構造の変化によって、従来金融機関に求められてきた産業部門に対する長期資金の供給という産業政策からの金融政策は終りを告げ、金融行政単独による自立的な改革が要請されるようになった

この契機になったのが、石油危機下における事業会社の間接金融へのシフトである。メーンバンク制度の下で、事業会社は直接金融に資本調達を依存し、ゆるやかな企業集団を形成していたが、企業集団の枠を超えた競争激化や、資本コストの低減圧力から、株式の発行や無担保社債の発行によって低コストに資金調達を行う企業が増えた。間接金融需要の増大によって、従来株式の仲介業務と自己裁定取引が主体だった証券業界は、投資銀行業務を拡大する一方で、銀行側からも投資銀行業務への参入を図るようになる

第一に見られるようになったのは、銀行と証券会社の間での関係の強化である。野村と興銀を例外として、日興は三菱と、大和は住友と、山一は富士との連携を強化していった。第二に一方で、住友銀行は1980年代に総本部体制を主軸とする大規模な組織改革を行い、企業集団の枠の外にあった独立系企業や他の企業集団に属する企業の取り込みを図る外延作戦を展開し、銀行間の競争が激化した

結果的には、第二の動きがバブルを生み90年代の長期低迷時代をもたらすことになるが、自己資本の強化と金利収益から手数料収益へのシフトはすでに80年代から叫ばれていた。しかしながら、銀証の本格的な合作には、なお金融行政の分裂(大蔵省銀行局と証券部の対立)や、長信銀問題(興銀などは例外的に投資銀行業務の一部を認可されていた)などが関係してなお時間を要した

90年年代初頭の第二次銀行再編は、第一次と比べて行政による総量規制のクリアから、競争強化へと明確に変異した。協和・埼玉、太陽神戸・三井はそれぞれ、中下位規模の都銀であった(三菱は例外だが、東京単独は非常に小さい)

事態が変化しはじめるのは、90年代半ばに入り過剰債務を抱えた事業会社の整理と金融業界の再編が本格的に意識し始められるようになってからである。モルガンスタンレーやゴールドマンサックスといった外資系投資銀行による日本市場への参入(この頃、両者は投資銀行プレイヤーとしては世界的に見ても規模が小さかった)や、94年の銀行・証券会社による証券・銀行子会社設立許可などである

北海道拓殖銀行と山一證券の破綻を契機とする第一次金融危機が発生すると、やはり大蔵省手動による業界再編が提起され、銀証はさらに接近することになる。まず、野村證券と興銀が接近し、続いて富士銀行と第一勧銀、三和銀行と東海銀行、あさひ銀行が総合金融グループ化を目的として合併交渉に入った

99年、興銀、第一勧銀、富士銀の三行合併が発表され、つづいて三井住友、三和・東海・東洋信託と、第三次の業界再編が発生した。この最大の目的は、国際金融業務をなしうる高格付け金融機関への脱皮であり、これから漏れることは大和銀行のようにドメスティックな金融機関となることを意味したからである

しかし、再編から4年経っても、これらの金融機関は格付け派低いままで、自己資本比率も繰延税金資産と公的資金による嵩上げによって10%台前半を維持するにとどまっている。本質的には、銀行業界は興銀を除いて銀証合併を能動的に志向したのではなく、外圧的に志向せざるを得なかったのではないか、とも思うのだが

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身近な人の偉大さは半減する -- あるアレゲ人

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