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von_yosukeyanの日記: BW21に見る地銀システム開発の失敗(1)

日記 by von_yosukeyan

表の記事で、愛媛銀行の話題が出ていた。愛媛銀行といえば、カブかBankingWeb21の話題しか思いつかないボクであるが、カブの話題は置いておいて、ちと散々な結果に終わった(過去形)NECのBanking Web21(以下BW21)と地銀の次期システム開発について思いを馳せてみたいと思う

BW21の概念が発表されたのは、99年の頃だったと思う。当時、金融系システム業界では二つの大きなテーマが存在していた。一つは、いわゆるコンピューターの2000年問題(以下Y2k)への対応。もう一つは、第一勧業銀行と日本興業銀行による富士銀行の救済合併と、共同持株会社の設立構想である

#今から考えれば隔世の感があるが、当時の金融界のニュアンスでは倒産寸前だった事実上の富士銀行の救済のニュアンスが強かった。不祥事の多発、系列企業の経営不振、不祥事の多発、老害経営陣の存在など、旧安田財閥の中核だった富士銀行の凋落は著しく、山一證券の倒産と安田信託銀行の救済を契機に、富士銀行の存在は日本の金融界の癌に成り下がっていた。その後、経営統合と増資によってみずほフィナンシャルの経営は安定化し、「理想の花嫁候補」と言われた第一勧業銀行系の主導権が統合と同時に失われた結果、みずほフィナンシャルには旧興銀系のみずほコーポレート銀行系統と、旧富士銀系のみずほ銀行系統の二つの派閥が割拠する二重権力状態にある

Y2kの件に関しては繰り返すまでもないのだが、もう一つの富士銀行救済合併の問題に関しては、システム問題をどうするのかという大きな問題があった。98年頃のことだと記憶しているが、当時の住友銀行は96年に稼動した第四次総合オンラインシステムの更新に向けて、大規模なシステム投資の発表を行っていた。財閥系都市銀行でありながら、関西系都銀というハンディが存在していた住友銀行は、当時の三和銀行と並んでシステム投資に対して積極的であり、首都圏に本社を置く(または関西から首都圏に本社を移転させていった元関西系の)大企業や個人客の取り込みのために、積極的にシステム投資を行っていた。逆に言うと、この時期金融システムに大規模な、そして積極的なシステム投資を行おうとしていた金融機関は、住友と三和くらいしかなかった

この辺の事情は、金融系システムの歴史を紐解いてみないとわかりにくい面がある

そもそも、銀行は労働集約的なサービス産業であると同時に、装置産業であるという二つの側面を持つ。日本の大手銀行ともなると、グループ全体で数万人といった規模の人員を抱えているが、これは世界的にみれば効率的であると言える(海外の大手金融グループは、一桁多い10万~20万人といった人員を抱えている)。海外の銀行と日本の銀行では、業務の内容や手順に大きな違いがあって、単純には比較が難しいのだが、日本の銀行では比較的優秀な人材を現場に配置して、単純作業を機械化するという傾向が非常に強い。海外の場合には、逆に極めて優秀な少数な人員を本社に集めて、単純作業を(読み書きができるレベルの人員を使って)人海戦術で行うという傾向があり、その意味では労働集約的なサービス産業であると言える。最近では、海外の銀行でもシステム投資に積極的になっていて、「日本の銀行も海外を見習え」といった議論になりがちなのだが、業務プロセス全体の機械化では圧倒的に邦銀の方が進んでいる面がある(それが、時代や顧客のニーズと合致しているかは別の話であるが)

では、その銀行のシステム化というのはどのように進められ、どういう経緯を辿ったのだろうか。銀行業務で非常に面倒な(人手がかかる)業務に、勘定と為替決済の二つの業務がある。勘定業務とは、顧客が口座への入出金の記録をつけたり、銀行簿記という特殊な簿記方法によって、支店単位、銀行単位で会計業務を行うことで、コンピューターが導入される前は非常に手間がかかる業務だった。もう一つの為替・決済とは、小切手や手形といった決済・与信手段だけでなく、銀行間の送金処理などの業務であり、やはり人手がかかる。海外の銀行でもコンピューターの導入が早くから進んだのは、やはり勘定業務と為替決済業務だったが、邦銀では主に60年代頃からシステム化が業界全体で進められていった

これが、第一次オンラインシステムと呼ばれるシステムで、当初はバッチ処理で行っていた総勘定処理や為替処理が、70年代には支店と本店を結ぶオンラインシステム上で処理される第二次オンラインシステムに取って代わられる。これが、80年代には単なる業務の効率化というだけでなく、顧客の属性を把握して経営戦略に生かせる体系に整備しなおされた第三次オンラインシステムへと進化した。こういった歴史からもわかるように、銀行のオンラインシステムは総勘定を処理する勘定系システムを中核に、為替処理などを行う外部の決済ネットワーク(全銀ネット、日銀ネット、SWIFT、為替交換所など)がまず整備され、それらに窓口業務を自動化するCD/ATMや、支店の業務端末、企業や個人の間でオンラインで銀行にアクセスできるFB/VAN網や、最近ではインターネットバンキングなど、様々な周辺システムが統合されていった

つまり、日本の銀行の金融系システムというのは、30年近い助走期間を経て模索され、構築されていったシステムであり、80年代にはすでに(現在稼動しているシステムの大半の)コンセプトの基本というのは固まっていた。第一次~第三次オンラインシステムというのは、計画経済というか高度経済成長期の政府の経済開発計画のように、段階的な発展論として構築されていったという側面も指摘できるだろう。そして、第三次オンラインシステムもまた次期システム(第四次オンラインシステム)への発展を見越して、当初は暫定的なシステムとして構築されたものだった。しかし、第三次オンラインシステムが稼動し始めた90年代初頭、バブル経済が崩壊した

(2)に続く

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アレゲはアレゲを呼ぶ -- ある傍観者

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