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von_yosukeyanの日記: 「今度こそは違う」という甘い言葉

日記 by von_yosukeyan

承知のとおり、米国の五大商業銀行の一つであるJPモルガン・チェースが経営危機に陥っている。

買収先には、ワコビアやバンクワンが取り沙汰されているが、実際のところどうなんだろう? ワコビアやバンクワンは、いずれも10年前には全米20位ほどの規模で日本で言えば北陸銀行や中国銀行に相当する地方銀行だ。いずれも強力なリテール網と、強力な情報システム開発部門を持つスーパー・リージョナル・バンクで、買収から数ヶ月で旧システムを廃棄してしまうような強力な買収・展開力で拡大した銀行だ。

一方のJ・P・モルガンは、馬鹿の一つ憶えみたいに何度も書いたが、かつてのモルガン財閥の中枢を成したモルガン商会を祖先に、グラス・スティーガル法によって分割された商業銀行部門が、99年に巨大総合金融グループのチェース・マンハッタンに吸収されて誕生した銀行である。チェースもまた、マニハニを救済合併したケミカル・バンクに吸収されたという前歴を持つ。

ケミカル・バンク、マニハニ、チェース・マンハッタン、JPモルガンというアメリカの金融エスタブリッシュメントを構成した名門銀行が経営危機に陥った直接の契機は1980年代の中南米危機である。第二次世界大戦後、独立を勝ち取り冷戦下の経済援助で急速に近代化を成し遂げた発展途上国は、非効率な官僚組織と国営企業、不公平な富の再配分、輸入代替政策の失敗、年中行事のように繰り返される政変など、様々な要因によって対外債務が拡大し、実質的に破産状態だった。

1970年代、オイルショックによって低金利政策が取られた日米の商業銀行は、それまで国際金融機関による長期・低金利の融資を受けていた発展途上国政府や企業に対して積極的に融資を行うようになる。例えば、メキシコ政府に対する融資では、バンク・オブ・アメリカ(バンカメ)、マニュファクチャラーズ・ハノーバー(マニハニ)、チェース・マンハッタン、JPモルガン、ケミカル・バンク、シティー・コープ、バンク・オブ・ニューヨーク(BONY)の7行の融資残高は100億ドルを超え、そのほとんどが短期債務だった。

このように政府や政府部門に対する融資が拡大した背景には「国家は破産しない」という幻想がある。一見、バカバカしい前提のようだが、現に日本の特殊法人に対する財政投融資も、同じような前提に立っていることは変わりない。しかも、このような融資の大半は電力開発などインフラストラクチャーに対する融資で、冷戦期に異常な額に達した政府間の経済・軍事援助とは本質的に異なる。IMFや世銀も、こういった民間銀行の第三世界に対する融資の実態を正確に把握していたかどうかについては極めて疑わしい。

国家が破産しないのは、単に国家の破産を認定する法的な手続が存在しないからである。返済能力を超える債務を負った国家は、破産の代わりに単に利払いを一時停止(モラトリアム)するか、完全に停止(デフォルト)するだけである。それが1982年のメキシコにも発生したし、最近ではアルゼンチンが行った。

一度、発展途上国でデフォルトが発生すれば、それは大なり小なり経済状態が似た周辺国に飛び火する。1998年のロシア危機が典型的な例で、財務状態に不安のあった東南アジア諸国の通貨が大幅に下落し「アジアの奇跡」は終った。1998年の危機は、貸し手側にも大きな影響を与えている。ブラックショールズモデルの提唱者2人と、元ソロモン・スミス・バーニーの大物トレーダーが設立したヘッジファンド、ロングターム・キャピタル・マネージメント(LTCM)が破綻し、やはり有名ヘッジファンドであるクォンタム・ファンドを経営するジョージ・ソロスは6億ドルの損害を被ったといわれる。

1982年と86年のメキシコ危機では同じことがおこった。6大商業銀行は、利払停止にパニックに陥り短期資金を急速に引き揚げた。結局、IMF、世銀、BISの緊急援助パッケージが編成され、米国政府が財務省保証つきの債券発行を認めたことで危機は収束した。その後、メキシコ政府は二束三文で公的部門を民間に売却する。

それでも、商業銀行は過ちを犯しつづける。メキシコを筆頭として、90年代に急速な政治と経済の両面での自由化を成し遂げた中南米諸国に、大量の資金が流れ込む。そして96年には再びメキシコで通貨危機が発生し、98年にもやはり商業銀行は大きな痛手を被った。

95年、名門チェース・マンハッタンで「株主の反乱」が発生した。長い間「ブルーチップ(優良銘柄)」と思われていた商業銀行株は、70年代から次第に高い利回りを求める年金資金(その大半は資産家ではなく一般の労働者のものである)を中心とした機関投資家の議決権行使や株主代表訴訟が相次ぐようになった。圧力に屈したチェースは、ケミカルとの合併を決意することになる

中南米危機以降、銀行を取り巻く環境は急速に変化した。サッチャー政権下のビックバンを経て、巨大国際銀行香港上海銀行を基幹とするHSBCホールディングスが急速に米国に進出していたし、西海岸では三菱銀行がバンク・オブ・カルフォルニアを買収し、カルフォルニア第二位のユニオン・バンク・オブ・カルフォルニアが誕生していた。国内ではモルガン・スタンレーやメリル・リンチを筆頭とする投資銀行が急速に成長する一方で、中西部や南部を中心としてリテールで高い収益を上げていたリージョナルバンクが合併を通じて巨大化していった。また、奇跡の復活を果たしたシティー・バンクは、総合銀行化することで収益の安定を図り、BONYやステート・ストリート銀行、メロン銀行は高収益部門に特化することで生き残りを図るようになる

その中で、旧態然としたニューヨークの商業銀行4行は、その後も中南米債務に苦しみつづけながらも、伝統的な体質を変化させることなく、合併を通じた巨大化を図る。その成れの果てがJP・モルガン・チェースという異形の化け物を生み出した。

さて、どこかの国に似たような銀行があったような気がするのだが

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身近な人の偉大さは半減する -- あるアレゲ人

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