von_yosukeyanの日記: 原子力潜水艦(1)
冷戦期の兵器に詳しい人ならご存知だろうが、SS-1"スカッド"とかいう名称は、すべてNATOが便宜上識別するためにつけたNATOコードと呼ばれるもので、ソビエトでは実際には異なる名称が付けられている
Hotel級と呼ばれるクラスの原子力潜水艦もそうで、潜水艦のNATOコードにはすべてアルファベットの頭文字が使われている。実際には、このクラスにはプロジェクト658というコードネームが与えられており、NATOコードSSN-4(ロシア名R-11)又はSSN-8(RSM-40)を搭載する戦略原子力潜水艦である
1950年代後半から1960年代初頭にかけて、アメリカではミサイルギャップと呼ばれる政治論争が発生していた。ロシアは、初の大陸間弾道弾であるSS-6 Sapwood(R-7)を配備し、ベースとなったR-7のコアを元に1957年初の人工衛星スプートニクを打ち上げた。この時点で、アメリカがソビエトに対抗しうるだけの大陸間弾道弾の運用能力は持ち合わせていなかった
1960年のアメリカ大統領選挙では、このミサイルギャップが政治論争となったが、実際にはR-7の配備数は10基にみたず、核ギャップの焦りはアメリカよりもむしろソビエト側にあった
このような背景で、ソビエトは原子力潜水艦建造の技術的な模索を行っていたアメリカに対して、エコー級巡航ミサイル原潜、ノーベンバー級攻撃原潜、ホテル級戦略原潜という技術的には同一の基盤を採用しつつも、異なった任務を持つ三つのクラスを一気に建造した。建造は、北海に面したセヴェドロビンスクの北方重工業企業で行われる
#ちなみに中国にも北方重工業集団という軍需複合企業体があるが、こちらは戦車を作ってる会社だ
ここで採用されたのは、現在原子力潜水艦では一般的に採用されている加圧水型原子炉である。当時、原子炉の冷却方式としては、水で冷却する軽水炉と、液体金属炉、炭酸ガス冷却炉などの形式があり、うち限られたスペースで高い効率を発揮する加圧水型原子炉と、ナトリウムや重金属によって冷却する液体金属炉が選択肢として挙げられていた。
加圧水型原子炉とは、原子炉を加圧された水によって冷却する一次系と、一次系を冷却する二次系によって構成される。一次系は沸騰せず、一次系と二次系の間で蒸気発生器によって熱交換され、原子力潜水艦の動力となるタービンや発電機を回す
しかし、この時代加圧水型原子炉の基礎技術がソビエトで完成の域に達していなかったといわれている。三つのクラスに共通して搭載されたVM-A原子炉は、冷却システムに欠陥を抱えており、しばしば事故が発生した。特に、原子力潜水艦では頻繁に深度200メートル前後に存在する変温層の間を行ったり来たりするので、そもそもかなりの構造的な圧力がかかるし、加圧水型原子炉の設計においては一次系と二次系の熱交換を行う蒸気発生器の設計が難しい。蒸気発生器は、半楕円形に歪曲した細管に高温の一次冷却水が通り、その周囲を低温度な二次系冷却水が通り、ここで直接蒸気が発生する。このため、蒸気発生器は応力腐食割れの危険に常に晒されており、商業炉でも蒸気発生器細管の破断事故が多数報告されている(日本でも関西電力美浜2号機で発生している)。細管が1本くらい破断しても現在ではそれほど大きな事故には繋がらないが、大量の細管が破断すると一次系冷却水が二次系に流れ込み、一次系の圧力が低下して配管や原子炉内で沸騰が生じ、原子炉が暴走する危険のある冷却水喪失事故の危険がある。(商業炉において発生した重大な冷却水喪失事故の実例としては、アメリカのスリーマイル島原子力発電所2号機事故などがある)
例えば、ノーベンバー級のK-8は1970年に沈没事故が発生しているし、K-11は65年に原子炉事故が発生しその後は除籍状態だった。K-27に到っては68年に原子炉事故が発生しカラ海に海洋投棄された。細かい事故は書ききれないほどの事故が発生しており、本来ならば秘匿されるべき作戦行動中に西側によって撮影されたソビエトの原子力潜水艦の写真が多いのは、単に事故が発生して浮上せざるを得なかったものが多かったから、という笑えない話がある
ホテル級に搭載されたSSN-4も、NATO側の混乱もあるが実際にはR-11、西側名スカッドを海上から発射するタイプで、1955年に発射テストに成功した後にディーゼル潜水艦のズール級やゴルフ級(冷戦期、中国などに大量供与された)に搭載して配備された。R-11は基本的にはV-2ミサイルから発展したシステムで、アルコールと液体酸素を燃料とする液体燃料方式で、慣性誘導方式、飛距離もMRBMくらいしかない。おまけに、浮上してから出ないと発射できないという致命的な問題点があり、書記に建造された三隻にしか配備されていない。
続いて配備されたSSN-5が本格的なSLBMで、ガスによって垂直発射管からコールドランチされる水中発射式で、やはりホテル級に配備された。SSN-5とホテル級の組み合わせは、67年に就役した次世代のヤンキー級と、MRV弾道弾を搭載した第三世代のSSN-6が登場するまでソビエトのSLBM戦力を限定的ながら支えた
ソビエトの攻撃型原子力潜水艦の基礎技術は、72年に登場したデルタ級によって一応は完成する。しかし、SLBMは1980年代初頭に配備されたSSN-17までは液体燃料方式を取っており、これがいくつかの原潜事故の原因となった。
ロケットの燃料は、基本的にはあらゆるロケットのゴットファーザーであるV-2の時代には、アルコール若しくはケロシンと、液体酸素を使用したタイプだった。1950年代に入るとより高い推力が得られる液体酸素+液体水素方式や、ヒドラジン+四酸化窒素方式の研究が進められ、特にミサイルでは後者が採用された。
ヒドラジンと四酸化炭素は、発ガン性があり、腐食性が高くミサイル本体で保存することが困難であることは過去にも書いたが、潜水艦で運用する場合には加えて、水に触れると爆発する危険性がある点である。しかし、原子力潜水艦では即応性や、スペースの問題からしばしば、この危険な燃料をミサイル本体に保存する方式が一般的で、ミサイルが格納された垂直発射管のハッチから漏れ出す海水に触れて事故が発生した。
SSN-17以降は、危険な液体燃料から固体燃料への転換が行われ、比較的安全性が高まったが、これ以降も旧式の原子力潜水艦が大量に使用された。理由は、80年代のヨーロッパにおける核戦争の危機、いわゆる第二次冷戦である
第二次冷戦の発端となったのは、ソビエト地上軍が旧式のSS-4やSS-5サンダルなどのミサイル(実はこれらはキューバ危機時にキューバに配備されたミサイルでもある)の代替システムとして、MIRV化されたSS-20ミサイルを配備したことから始まる。発射から数分でヨーロッパの主要都市に警告もなく核弾頭が降り注ぐ事態に、ヨーロッパは緊張し大規模な軍備拡張が行われた。
その中で、アメリカはSS-20への対抗兵器として極めて高い精度を誇るパーシングllミサイルと、MGM-109巡航ミサイル(海上発射のBGM-109トマホークAの核搭載/地上発射版)を配備し脅威に対抗した。このアメリカの行動に、ソビエトは対抗策として北大西洋のアメリカ沿岸部において、旧式の原子力潜水艦によるパトロールを行う決定を下した。この海域でのパトロールは、万が一核戦争が発生した場合には、数分でアメリカ本土を直接攻撃することが可能な位置にあったからだ
しかし、旧式の原潜とミサイルの運用はしばしば事故を誘発していたし、第一アメリカはこれらの旧式の原潜の行動をほとんど把握していた。70年代から80年代にかけて、アメリカとNATO軍はグリーンランド=アイスランド=グレートブリテン島を結ぶ直線海域(GU=UKライン)に海中ソナーと光ファイバーを敷設し、クレイ社の開発したCray1スーパーコンピューターを用いてソビエトの潜水艦の出航の瞬間からその行動を把握していたのである。そして、80年代に大量配備されたSSN-688ロサンゼルス級原潜が、パトロールに出る旧式原潜1隻ずつを追跡し、ミサイル発射の兆候を見つければ、いつでも撃沈できる体制を構築していた。
この所詮勝てる見込みのない静かな戦争は、1984年にデルタll級原潜による沈没事故など様々な悲劇を生んだ後に、ゴルバチョフ政権の成立まで続けられることになる。
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