yakkの日記: 歴史教科書
日記 by
yakk
を書くのはすごく難しいんじゃないだろうか。
特に現代史に近づくほどに。
古代史というのは資料が乏しかったりするために 事実(と想定されるもの)を確定しにくいけれど、 現代史は冷静な目で見つめることができないが故に、 国によって事実(と認識されているもの)があやふやになるんじゃないかしらん。 また、現代の方が事実の隠蔽やねじ曲げの技術が発達しているだろうから、 そういう面でも共通の事実認識を持ちにくいのかもしれない。
私は学生時代に東洋史を専攻していたけれど、 たとえばイスラムの歴史にモンゴルの侵攻というのがある。 高校の頃に学んだ教科書にどう書かれていたかはさすがに覚えていないが、 中心地であるイスラム世界はもちろんのこと、 西欧や日本でも、この当時のモンゴルを「破壊者」「殺戮者」といった 負の存在として捉える傾向が強い。 記録によれば、当時のモンゴルによって100万、 200万という単位の虐殺が行われたとされている。 モンゴル、イスラムのいずれにも同様の記録があり、 従来はそのことをもって信用にたる事実であるとする主張があったそうである。 ところが近年になって、実際には、当時の中東の一都市はおろか、 中央アジアにそれほど巨大な人口が存在したという事実自体が極めて疑わしいと考えられるようになった (当時世界最大の都市であった南宋の杭州でも、150万人程度の人口とされている)。
結局のところ、モンゴル自身が誇大な表現を用いたであろうこと、 後世の(おそらくは近代で苦境の中にあった中東の)人々がスケープゴートを求め、 その結果モンゴルに対する強い先入観ができあがってしまったこと、 そして、研究者もまたその風潮に安易に身を任せてしまったことが、 事実とはかけ離れている可能性が強いものを、事実と誤認するにいたったのだろう。
今の日本とアジア諸国の関係を直接これに当てはめて考えるのは愚なことだけれど、 感情や先入観が先に立ってしまうという点では類似点があるのではないかと思う。
また、その時々の政府によって作られた歴史書というのは、 当時の国家に都合のいいように事実を曲げて記述されることが少なくない。 歴史書の編纂は特に中国でさかんであったけれど、 一次資料として必ずしも信頼に値しないのはこのためだ。 文献を中心とした歴史研究では、問題としている事柄に対して一方からのみ記述された、 つまり一冊の文献だけをよりどころにするのは、良くないこととされている。 可能な限り複数の文献を照らし合わせて、 それが信頼に値する事柄かどうかを確認する (実際には当時の文化や科学、食貨史なども照らし合わせる)。
さて、そう考えたときに第二次世界大戦中の日本、 ならびに周辺アジア諸国に関する信頼に足る複数の資料は存在するのか、 という疑問が起こる。おそらく日本政府は何らかの記録を有しているだろうけれど、 あるがままの形でそれがつまびらかにされることは、 少なくとも今現在は期待できないのではないか。 個人的には、一切の手を加えずに公開してほしいのだけれど。 そこに事実が記載されているならば、それこそが、 過ちを認めるという「痛みを伴う改革」だと思うのだけれど。いかが?
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反省の足りない政治家が多いような気のする、敗戦記念日に
古代史というのは資料が乏しかったりするために 事実(と想定されるもの)を確定しにくいけれど、 現代史は冷静な目で見つめることができないが故に、 国によって事実(と認識されているもの)があやふやになるんじゃないかしらん。 また、現代の方が事実の隠蔽やねじ曲げの技術が発達しているだろうから、 そういう面でも共通の事実認識を持ちにくいのかもしれない。
私は学生時代に東洋史を専攻していたけれど、 たとえばイスラムの歴史にモンゴルの侵攻というのがある。 高校の頃に学んだ教科書にどう書かれていたかはさすがに覚えていないが、 中心地であるイスラム世界はもちろんのこと、 西欧や日本でも、この当時のモンゴルを「破壊者」「殺戮者」といった 負の存在として捉える傾向が強い。 記録によれば、当時のモンゴルによって100万、 200万という単位の虐殺が行われたとされている。 モンゴル、イスラムのいずれにも同様の記録があり、 従来はそのことをもって信用にたる事実であるとする主張があったそうである。 ところが近年になって、実際には、当時の中東の一都市はおろか、 中央アジアにそれほど巨大な人口が存在したという事実自体が極めて疑わしいと考えられるようになった (当時世界最大の都市であった南宋の杭州でも、150万人程度の人口とされている)。
結局のところ、モンゴル自身が誇大な表現を用いたであろうこと、 後世の(おそらくは近代で苦境の中にあった中東の)人々がスケープゴートを求め、 その結果モンゴルに対する強い先入観ができあがってしまったこと、 そして、研究者もまたその風潮に安易に身を任せてしまったことが、 事実とはかけ離れている可能性が強いものを、事実と誤認するにいたったのだろう。
今の日本とアジア諸国の関係を直接これに当てはめて考えるのは愚なことだけれど、 感情や先入観が先に立ってしまうという点では類似点があるのではないかと思う。
また、その時々の政府によって作られた歴史書というのは、 当時の国家に都合のいいように事実を曲げて記述されることが少なくない。 歴史書の編纂は特に中国でさかんであったけれど、 一次資料として必ずしも信頼に値しないのはこのためだ。 文献を中心とした歴史研究では、問題としている事柄に対して一方からのみ記述された、 つまり一冊の文献だけをよりどころにするのは、良くないこととされている。 可能な限り複数の文献を照らし合わせて、 それが信頼に値する事柄かどうかを確認する (実際には当時の文化や科学、食貨史なども照らし合わせる)。
さて、そう考えたときに第二次世界大戦中の日本、 ならびに周辺アジア諸国に関する信頼に足る複数の資料は存在するのか、 という疑問が起こる。おそらく日本政府は何らかの記録を有しているだろうけれど、 あるがままの形でそれがつまびらかにされることは、 少なくとも今現在は期待できないのではないか。 個人的には、一切の手を加えずに公開してほしいのだけれど。 そこに事実が記載されているならば、それこそが、 過ちを認めるという「痛みを伴う改革」だと思うのだけれど。いかが?
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反省の足りない政治家が多いような気のする、敗戦記念日に