yasuokaの日記: どうやってQWERTY配列は主流となったか 9
It was not until 1882 that the radical innovation of an eight-finger typing method was put forward by the proprietress of Longley's Shorthand and Typewriter Institute, in Cincinnati. Her pamphlet happened to be 'adapted to Remington's perfected typewriters.' … The challenger, one Louis Taub, proclaimed the superiority of four-finger typing on the Caligraph. … In 1888, when the first public speed-typing competition was organized which put to the test these contending systems, the honor of Mrs. Longley and the Remington was vindicated by a Federal Court stenographer from Salt Lake City who had taught himself to type on a Remington No.1, way back in 1878. Frank E. McGurrin, the man who entered the lists as their champion against Louis Taub, already had won fame in demonstrations before gasping audiences throughout the West, because, in addition to deploying the 'all-finger' technique, he had memorized the QWERTY keyboard. … The advent of 'touch' typing, the name coined for McGurrin's method in a manual of typewriter instructions published in 1889, gave rise to three features of the evolving production system that were crucially important in causing QWERTY to become 'locked in' as the dominant keyboard arrangement.
の部分に関して、以下に誤りを指摘する。
- シンシナティのElizabeth Margaret Vater Longleyは、Remington配列のシンパだったわけではない。確かに彼女は『Type-Writer Lessons for the Use of Teachers and Learners Adapted to Remington's Perfected Type-Writers』を1882年に出版しているが、同じ年に『Caligraph Lessons for the Use of Teachers and Learners Designed to Develop Accurate and Reliable Operators』も出版している。彼女のタイピスト学校では、Remington配列もCaligraph配列も両方とも教えていたと考えられる。
- ソルトレークシティのFrank E. McGurrinが愛用していたタイプライターは、『Remington No.1』ではなく『Remington No.2』だ。そもそも『Remington No.1』には小文字がないので、当時のタイピング・コンテストのレギュレーションに適合しない。
- Frank E. McGurrinが勤めていたのは、ソルトレークシティの連邦裁判所(Federal Court)ではなく、ユタ準州の第3地方裁判所(Third District Court)だ。
- 1888年7月25日にシンシナティで開かれたタイピング・コンテストで、Frank E. McGurrinが競った相手は、Follett, Hyman & Kelly法律事務所の速記者で、Longley's Shorthand and Typewriting Instituteの講師でもあった、Louis Traubだ。「Taub」ではない。
- 『McGurrin's Method of Typewriting』の著者は、ソルトレークシティのFrank E. McGurrinではない。著者は、当時カラマズーに住んでいた弟のCharles H. McGurrinで、しかも1893年の出版だ。あるいは、ポートランドのBates Torreyが書いた『Practical Typewriting』(Fowler & Wells, 1889年)のことをDavidは言いたいのかもしれないが、参考文献にすら挙げられていないのではっきりしない。
しかしながら『Understanding the Economics of QWERTY』の最大の誤りは、Typewriter Trustの影響を全く考慮していない点にある。1893年3月30日に成立したTypewriter Trustにより、Remington・Caligraph・Smith-Premier・Yost・Densmoreの5社は、Union Typewriter Companyという持ち株会社の傘下に入ることになった。この後、傘下の5社は、QWERTY配列を標準とすることに努めている。Remingtonに次いで売上2位だったCaligraphも例外ではなく、1898年発売の『New Century Caligraph』は、Caligraph配列を捨ててQWERTY配列を採用している。
つまるところ、Typewriter Trustによるタイプライター市場の寡占が、QWERTY配列の寡占を生んだ可能性は極めて高い。もちろん、当時の寡占状況をさらに研究する必要はあるが、QWERTY配列が主流となる道筋においては、Typewriter Trustの影響は無視できないだろう。
QWERTY vs Dvorak (スコア:1)
しかしながら、これはいくつかの問題に切り分けるべきなのではないかと思います。
ざっと考えますと、
1. QWERTY配列の決定がどのような由来でなされたものなのか。
2. Dvorak配列はQWERTY配列よりも優れているのか。
3. Dvorak配列のほうが優れているなら、なぜ広まらないのか。
ということが挙げられると思います。
1.については、安岡先生のお調べになったことが、現在まで通説化していたことを覆すわけで、私も考えを改めなければならないと思っております。しかしながら、それが2.と3.の通説を同時に覆すかというとそれはまた別の話なのではないでしょうか。
2.については、Dvorak配列のほうが「多少なりとも」優位だというのが通説になっていると思いますし、英文からの解析結果でもホームポジションのまま打てるキーが多いということです。「多少なりとも」がどの程度かについては議論がありますが、相対的にはDvorak配列のほうがよいのではないでしょうか。それを覆す追試データがあるのでしょうか?
そして、「多少なりとも」Dvorakが優れているのなら、3.に関連しても「Dvorak配列のほうがQWERTY配列よりも優れているが、その優位性が十分でないのでデファクトスタンダードのQWERTY配列が普及している」という現在の通説の基本の理屈は変わらないと思うのですが、いかがでしょうか? 結局ここのところが一番重要な話だと思うのですが。
あと、QWERTY支配が続いている以上、Dvorak陣営には実質的なメリットはほとんどないわけで、「まんまと」QWERTY批判が成功したという言い方も、ちょっと偏見が入っているように思いますし、Dvorak陣営の実験に対して「誰々の行った実験だから信頼できない」という理屈も、ちょっとどうかと思うのですが…
QWERTY vs その他 (スコア:1)
ただし、「コンピュータのキーボードはなぜQWERTY配列なのか」という質問に対して「タイプライターがQWERTY配列だったから」というのは、実は答として不十分だ、と私はかねがね考えています。コンピュータに関してはやはりコンピュータで答えるべきで、この質問に対しては「EDSACの端末がQWERTY配列だったから」というのが、答の一部であるべきだと私は考えています。しかも、EDSACの端末に使われた『Creed Teleprinter』がQWERTY配列だったのは理由があって、DvorakもNelsonもGriffithも当時はその条件をクリアしえなかった。この点の方が遥かに重要だと私は考えているのですが、これについては別の日記できっちり書いた方がいいかな…。
Re:QWERTY vs その他 (スコア:1)
Dvorak配列以外にも改良がなされてきたが、結局普及の糸口さえつかめずに、現代ではキー配列の改良努力そのものがほとんど放棄されているということは、存じております。
なるほど。しかし、私のようにHCIやユーザインタフェースという工学的見地から見ると、「最初が、なぜQWERTYだったのか?」ということよりも、「改良がいろいろ発明されたのに、なぜQWERTY配列が支配的であり続けるのか?」ということのほうに興味が行くんですね。これは、市場を見ている経済学者もそうだと思います。
Dvorak配列以外の改良配列を無視して(Dvorak陣営の陰謀の下に、問題を二項対立化して)いるわけではなくて、Dvorakが2番手としてよく知られているから取り上げられているだけだと思いますよ。それに、Dvorakよりよい配列があるのなら、なぜそれがDvorakよりは流行らないのかと、結局同じ疑問が続いていきますから。
で、教科書では、この改良型配列は慣習的に広まっているQWERTY配列を逆転できないという議論から、ユーザインタフェースは慣習による慣性が強いという解説になっていきます。この分野で一番有名な本、Donald A. Normanの『The Design of Everyday Things』やBen Shneidermanの『Designing the User Interface』も、この説を採用しています。印字アームが絡むという説もここらへんで定説化したのではないかなぁと思います。
Re: QWERTY vs その他 (スコア:1)
ちなみに日本では、1970年代にIBM支配が実質的に及ばなくなりました。FONTAC以後、日本電気・富士通・日立などが合同し、国内のコンピュータ市場を牛耳ったからです。この副作用として、日本のキー配列は2のシフト側に「"」が入ったもの(むしろTeletypeの名残り)になってしまい、アメリカのキー配列(2のシフト側は「@」)とは違うものになりました。しかも、現在の日本のキー配列は1972年に新しく作ったもので、それ以前には存在しなかったものですから、まあ「市場操作」の典型例です。とはいえ、そういうタイプの市場操作を、現代では「標準化」って言うんですけどね。
Re: コンピュータのキーボードはなぜQWERTY配列なのか (スコア:1)
Re:QWERTY vs Dvorak (スコア:1)
キーボード配列に関する通説をめぐる状況についてはあまりよく知りませんでしたが、大変参考になりました。
私の主な関心事は、経営的な観点です。
ロックインを成功させるためにはどうするか?
他社によりロックインが成功されている市場に対してはどのような戦略をもってあたるべきか?
こんな点に関しましても、ご示唆いただけましたら幸いです。
キーボード配列に関するこうした議論は、実は通説自体が市場にロックインされた例なのかもしれない、などと感じました。
Underwood No.5 (スコア:1)
Wagnerが『Underwood No.1』をひっさげてタイプライター市場に参入したのは1897年のことで、Typewriter Trustによる寡占がほぼ完成した時期です。Wagnerの戦略は、Remingtonと全く同じキー配列を用いていながらRemingtonより良いタイプライター(frontstrike機構を完成したことで印字位置が見えるようになった)、という点にありました。キー配列を互換にすることで、Remingtonからの移行が容易なようにしていたわけです。もちろん、すぐにはTypewriter Trustの市場に食い込めなかったのですが、Wagnerは改良を重ね部品点数を少なくしていくことにより、さらに安価で故障の少ない『Underwood No.5』を1901年に完成します。結果から言えば『Underwood No.5』は、アメリカのタイプライター史上もっとも売れた機械式タイプライターとなるわけです。
ただ、『Underwood No.5』はTypewriter Trustの寡占に風穴をあけたものの、QWERTY配列の普及に対しては手を貸すことになってしまっています。ここをどう捉えるかが難しいところですが…。
Re:Underwood No.5 (スコア:1)
「寡占」というのは、後から振り返ると寡占状態になったというのはわかりますが、どれだけ意図してそのような状態を作り出せるのでしょうか?
所謂「ポジティブフィードバック」を通じた「自己組織化」が「寡占状態」を作り出すように思えるのですが、これは自ら意図したとおりに起こることは現実の経営を考えると少ないように思えます。
Typewriter Trustによる寡占 (スコア:1)