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yasuokaの日記: 19世紀のタイプライター

日記 by yasuoka
亀井清の『キーボードの話』(大阪成蹊短期大学こみちカフェ, 2003年11月14日)を読んだが、19世紀のタイプライターに関して全く調査していないのではないか、と思えるようなズサンな内容だった。とりあえず、以下の3点について誤りを指摘する。

そして、ようやく、1874年にタイプライターの実用機が世に出ました。タイプライターは当初は大文字・小文字のキーが別々で沢山のキーが並んでいました。ところがレミントン社でシフト機構が開発され、1つのキーで大文字と小文字が打てるようになり、キーの数が半分になったのです。

最初の実用的タイプライターである『Sholes & Glidden Model』(1873年発売、後の『Remington No.1』)には、大文字だけで小文字は含まれていない。大文字・小文字のキーが別々のタイプライターは『Caligraph No.2』(1882年発売)が最初だが、シフト機構を有する『Remington No.2』(1878年発売)の方が4年早く発売されている。

1882年にアメリカのタイプ学校のロングレー夫人が両手の指を使ってタッチタイプ(タッチメソッド:キーを見ないで打つ)する事を主張しました。キーボードを見ながらタイプする事をサイトメソッドといいます。タッチメソッドが良いか、サイトメソッドが良いか論争になり、両者の代表が1888年シンシナティで対決することになりました。タッチメソッドの代表マッガリンとサイトメソッドの代表トーブです。結果はタッチメソッドの圧勝に終わりました。そこでタイプ学校では次第にタッチメソッドへと変っていったのです。

Elizabeth Margaret Vater Longleyは、「両手の全ての指を使うタイピング」は提唱したが、タッチメソッドは提唱しておらず、彼女自身はあくまでサイトメソッドだった。これに対し、Frank E. McGurrinとLouis Traubは、それぞれ独自のタッチメソッドを用いていた。1888年7月25日にシンシナティでおこなわれたタイピング・コンテストは、『Remington No.2』をタッチメソッドで操るFrank E. McGurrinと、『Caligraph No.2』をタッチメソッドで操るLouis Traubの一騎打ちであり、結果はFrank E. McGurrinの圧勝だったが、これを「タッチメソッドの圧勝」とするのは正しくない。

タッチタイプで早く打てるようになると困った事が起きました。タイプライターはキーを打つとそれにつながった活字の付いたアームでリボンの上から叩いて紙に印字します。アームは扇状になっていて、当初よく使うキーは扇状の中心にありました。ところが、早く打つとアーム同士がぶつかり、早く打てなくなったのです。そこでよく使うキーをキーボードの両端の方に配置するように改良されたのです。そして20世紀の初め頃に現在使われているキーボードが定着したのです。

アームが扇状に配置されたfrontstrike式タイプライターは、『Daugherty Visible』(1893年発売)以降登場したものであり、1888年時点では存在しない。なかんずく、現在のQWERTY配列を最初に採用したのは『Remington Standard Type-Writer No.2』(1882年発売)であり、1888年以前のことである。しかも『Remington Standard Type-Writer No.2』はupstrike式タイプライターであり、アームなどという機構を有さない。

つまるところこのコラムは、19世紀のタイプライターのことを全く調査せずに書かれているように思われる。この結果、20世紀のfrontstrike式タイプライターと19世紀のupstrike式タイプライターを完全に混同してしまっているし、タッチメソッドの出現とQWERTY配列の出現の順序が逆転してしまっている。アフィリエイト最果ての地にもコメントしたが、19世紀のタイプライターを研究せずに19世紀のキー配列について述べるのは、正直なところ、あまりに無謀な試みだと言わざるを得ない。

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