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yasuokaの日記: 戦略的思考とQWERTY

日記 by yasuoka
Avinash K. DixitとBarry J. Nalebuffの『戦略的思考とは何か』(菅野隆・嶋津祐一=訳、阪急コミュニケーションズ、1991年10月)を読んだのだが、第9章の「協力と協調」に、QWERTY配列に対するガセネタが披露されていた。

一九世紀の半ばまでタイプライターのキーボードの文字配列には標準形がなかったが、一八七三年に至って、クリストファー・ショールスが「最新」レイアウトを開発した。そのレイアウトは左上列に配置された六つのアルファベット文字から「Qwerty」と呼ばれた。

Christopher Latham Sholesが考案したキー配列が「Qwerty」と呼ばれるようになるのは、20世紀に入ってからのことで、それ以前は「Universal」とか「Remington Key-board」とか呼ばれていた。また「Qwerty」が「標準形」のキー配列となったのは、やはり20世紀に入ってからで、1890年代には、まだ各社各様のキー配列がタイプライターに使用されていた。

「Qwerty」は最もよく使われる文字間の距離が最大になるように設計されており、わざとタイピストのタイプの速度を遅くし、手動タイプライターのキーが絡んで動かなくなることを減少させた。

英語で最もよく使われる文字列は「th」だが、「Qwerty」では「t」と「h」は近接して配置されている。その次は「er」+「re」だが、これらのキーは隣り合っている。どう見ても「文字間の距離が最大に」なったりはしていない。「わざとタイピストのタイプの速度を遅くし」などというガセネタを言い出したのは、「DSK」(Dvorak配列)信者のRobert Parkinsonで、「Qwerty」に対するイチャモン以外の何者でもない。

これは当時としては名案で、一九〇四年までにニューヨークのレミントンミシン社がこのレイアウトで大量生産し、事実上の標準形になった。

ニューヨーク州イリオンのレミントンミシン社(Remington Sewing Machine Company)は、あくまでミシンの会社であって、タイプライターの生産などしていない。そもそもレミントンミシン社は1888年にHartley & Grahamに売却されてしまっており、1904年には存在していない。「Remington Key-board」のタイプライターを生産していたのは、1886年まではE. Remington & Sons、その後はRemington Standard Type-Writer Manufacturing Companyで、別の「Remington」だ。

どのキーボードを使うかという選択は一種の戦略である。

などと言えるのは、「選択」が可能な場合に限ってのことである。19世紀末は、そういう「選択」が不可能な時期だった、ということをDixitやNalebuffは全く理解していない。逆に言えば当時、それがタイプライター生産者側の『戦略』であったわけだが、ゲーム理論の研究者は、プレイヤーをあくまで「ユーザー」に限定するのがお好きなようで、「生産者」というプレイヤーが介在している点を無視したがる。そのやり方は、ゲーム理論としては面白くても、現実の「Qwerty」の普及を説明したことにはならない。

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「科学者は100%安全だと保証できないものは動かしてはならない」、科学者「えっ」、プログラマ「えっ」

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