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yasuokaの日記: O型はゼロ型なのか

日記 by yasuoka
松田薫の『「血液型と性格」の社会史』(河出書房新社, 1994年7月改訂第二版)を読んでいたところ、29ページで以下の記述にブチ当たった。

血液には型があり、型が異なるヒトの血清と血球を混ぜると、溶けあったり固まったりする現象がおき、合計四つの型があるという論理の組み立てはラントシュタイナーたちが済ませた。そこで、ラントシュタイナーの発見のまえから血液を研究していたデュンゲルン博士は、この二種類 の「血液」を便宜的に「A(アー)」「B(ベー)」と名づけて論理を進め、A成分もB成分も無いタイプを「0(ゼロ)」、A成分とB成分をもつタイプを「AB」と命名していった。そして「A型」と「A型」のあいだからも「O型」が生まれることを実証し、一九〇九年のウィーンやハイデルベルクの学会で、「メンデルの法則にしたがう血液型は法医学や人類学へ応用できる」と発表した。

Emil Freiherr von Dungernは「0(ゼロ)」型などという命名はおこなっていない。以前『ABO血液型はなぜABCではないのか』にも書いたが、このあたりについて、もうちょっと詳しく書いておくことにしよう。
Karl Landsteinerの1901年の論文『Ueber Agglutinationserscheinungen normalen menschlichen Blutes』(Wiener klinische Wochenschrift, 14 Jg., Nr.46 (14. November 1901), S.1132-1134)では、ヒトの血液には3種類あることが述べられており、それぞれ「Gruppe A」「Gruppe B」「Gruppe C」と名づけられている。これに対し、Alfred von DecastelloとAdriano Sturliは、1902年の論文『Ueber die Isoagglutinine im Serum gesunder und kranker Menschen』(Münchener medicinische Wochenschrift, 49 Jg., No.26 (1. Juli 1902), S.1090-1095)で第4の型が存在することを示唆したが、それに対して命名はしなかった。
ABO血液型を命名したのは、Emil Freiherr von DungernとLudwik Hirszfeldであり、それは1910年から1911年にかけて発表された3連作の論文でなされた。最初の論文『Ueber Nachweis und Vererbung biochemischer Strukturen, I』(Zeitschrift für Immunitätsforschung und experimentelle Therapie, 1 Teil, Bd.IV, No.4 (21. Januar 1910), S.531-546)では、ヒトの4種類の血液型を「A」「B」「weder A noch B」「A und B」と呼んでいる。「weder A noch B」はLandsteinerの言う「Gruppe C」、「A und B」は「第4の型」にあたる。これに続く論文『Ueber Vererbung gruppenspezifischer Strukturen des Blutes, II』(Zeitschrift für Immunitätsforschung und experimentelle Therapie, 1 Teil, Bd.VI, No.1 (22. Juni 1910), S.284-292)では、「A」「A(o)」「O」という血液型の遺伝に関して詳しく述べられており、要約すると以下の通りである。

  1. 「A」型の親どうしからは「A」型の子供しか生まれない。
  2. 「O」型の親どうしからは「O」型の子供しか生まれない。
  3. 「A(o)」型の親どうしからはメンデルの法則にしたがって「A」「A(o)」「A(o)」「O」の子供が生まれる。
  4. 「A」型と「O」型の親からは「A(o)」型の子供しか生まれない。
  5. 「A(o)」型と「O」型の親からはメンデルの法則にしたがって「A(o)」「A(o)」「O」「O」の子供が生まれる。
  6. 「A」型と「A(o)」型の親からはメンデルの法則にしたがって「A」「A」「A(o)」「A(o)」の子供が生まれているはずだ。

ちなみに「O」型は、先の論文では「weder A noch B」と記されていたものである。3つ目の論文『Ueber gruppenspezifische Strukturen des Blutes, III』(Zeitschrift für Immunitätsforschung und experimentelle Therapie, 1 Teil, Bd.VIII, No.4 (9. Januar 1911), S.526-562)では、ヒトの血液型を「A」「B」「O」「AB」と記すと同時に、それらの遺伝についてさらに詳しくまとめている。つまり、Emil Freiherr von DungernとLudwik Hirszfeldは、論文中で「大文字のO」と「小文字のo」を用いてヒトの血液型の遺伝を説明しており、「数字の0」ではありえない。「O」は、論文中の記述によれば、ドイツ語の「ohne」の頭文字である可能性が高いが、残念ながら断言はできない。
なお、Zeitschrift für Immunitätsforschung und experimentelle Therapieは、ドイツのイェナで発行されていた論文誌であり、「ウィーンやハイデルベルグ」ではない。また、『「血液型と性格」の社会史』の30ページで引用している論文『Ueber eine Methode, das Blut verschiedener Menschen serologisch zu unterscheiden』(Münchener Medizinische Wochenschrift, 57 Jg., No.14 (5. April 1910), S.741-742)は、ABO血液型に関する直接の記述はなく、むしろサルなどの血液型について述べたものであることを書き添えておく。

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