yasuokaの日記: 近衛文麿と応仁の乱 4
日記 by
yasuoka
『読売新聞』2016年12月22日号(大阪版だと第22920号)の「編集手帳」(p.1)の以下の文章がどうも気になった。
ある人が、首相を務めた近衛文麿に尋ねた。これこれに関する古文書が近衛家にありますね? 近衛が答えた。「あの戦争で焼けました」。それは惜しい。空襲で? 「いや、応仁の乱です」◆作家の戸板康二さんがエッセーに書き留めている。
『オール讀物』に連載されていた戸板康二の「ちょっといい話」が元ネタらしいが、どうも気になったので、さらに遡って調べてみることにした。そうしたところ、『日本経済新聞』1967年5月16日号(第29319号)に、近衛通隆の「近衛家歴代の執念◇守り伝える陽明文庫の40万点◇」(p.24)という記事を見つけた。
こんな話がある。ある人が、私の父に向かって「近衛家はたいへん古いお家ですから、さぞかし昔の物がた くさん残っておりましょうが、いったいどれぐらいあるのですか」とたずねた。すると「イヤ、火事で焼けてしまったので、あまり残っておりません」という返事なので「サテ、近衛家の火事というのは近年聞いたことがありませんが、いつのことですか」と再問したら「応仁の乱の時ですよ」と答えたというのである。
この話は巷間(こうかん)一種の笑い話として伝えられているので、はたして父がそのようなことを言った事実があったかどうかは保証の限りではないが、一応一面の真実性は含んでいると思う。
「戦争」と「火事」で微妙に違う気がするけど、うーむ、息子の近衛通隆がこのネタをバラ撒いたのね。ただ、この時点で、すでに「巷間一種の笑い話」だったとすると、さらに元ネタがあるのかしら?
時代は下るのですが (スコア:1)
Re:時代は下るのですが (スコア:2)
近衛文麿→細川護貞→細川護熙 [1101.com]ラインを、私(安岡孝一)なりにちょっと調べてみました。よければ、今日の日記 [srad.jp]をどうぞ。
Re:時代は下るのですが (スコア:1)
でも京都人が直近の戦災として「応仁の乱」を引き合いに出すのは関西人にとっては不思議な事ではありません。
京都人は歴史を自慢してるつもりなのでしょうけど、米軍の空襲で一面焼け野原になった大阪や神戸の人からは呆れられています。
Re:時代は下るのですが (スコア:1)
まぁ実際に人以外の被害ではWW2より
応仁の乱、あるいは本能寺、どんどん焼けなどの方が
大きかったんだろうな(団栗焼けは戦火じゃないけど、こっちの方が被害大きい?)
ただ、そう思う理由の一つに江戸時代までは重要な物が京都に集中していたのに対して
明治初期の行幸(未だに戻ってきはれへん)以降は
京都に残ってる物が少ない⇒結果的に京都で焼かれたのが少ないってのもあるとは思う
つまり、WW2の被害が少ない=京都の地位低下なんで、僻まなくても