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日記

yasuokaの日記: Re: 近衛文麿と応仁の乱 1

日記 by yasuoka

「近衛文麿と応仁の乱」に関して、もう少し調べてみたところ、『文藝春秋』の1955年6月臨時増刊号『風雲人物讀本』に、細川護貞の「日本のハムレット近衞文麿」(pp.127-133)という記事を見つけた。

或るとき彼は訪客とこんな會話を交した。
「近衞さんの樣なお家には、ずいぶん古くからのものが傳つて居りますでしよう」
近衞「いや、火事がありましてね。その時すつかり燒けてしまいました」
「それは少しも存じませんでしたが、いつお燒けになつたのでしようか」
近衞「えゝ、應仁の亂のときです」

「戦争」ではなく「火事」なのだが、娘婿の細川護貞がバラ撒いたこのネタに、息子の近衛通隆が食いついてしまった可能性が高い気がする。その一方で、文藝春秋の『凉風夜話』(靑年書房、1937年7月)は、近衛文麿の以下の発言を記録している(pp.90-91)。

記者 近衞家に遣つて居るので一番古い物にはどんなものがあるのですか。
近衞(文) 御堂關白の日記ですナ。日記類では日本中で一番古いでせう、彼是れ千年ですから。
近衞(秀) 京都は随分戰爭があつたでせう、どうして殘つたんでせう。
近衞(文) 方々持つて逃げたのだらう。
山本 實際應仁の亂の時などによく助かつたものですね。
近衞(文) 一條家では一條兼良といふ人が非常に學者であつたが、應仁の亂で藏書が燒けたので慟哭したと云ふ。

この発言は、1936年5月27日に星ヶ岡茶寮でおこなわれた座談会におけるもので、参加者は近衛文麿・近衛秀麿・久米正雄・山本有三・菊池寛とのことである。近衛文麿のこの発言によれば、応仁の乱で焼けたのは、近衛家の蔵書ではなく、一條家の蔵書である、という風に私(安岡孝一)には読める。うーん、もうちょっと調べてみないとダメかしら。

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