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日記

yasuokaの日記: Re: Re: 近衛文麿と応仁の乱

日記 by yasuoka

一昨日昨日の日記に関して、戸板康二の『ちょっといい話』(文藝春秋, 1978年1月)を、一応チェックしておいた(pp.245-246)。

近衛文麿公と話している人が、陽明文庫にこういう本があるかと尋ねると、「あれは戦争で焼けました」といった。
「それは惜しい、疎開なさらなかったんですか」
「いいや、応仁の乱の時ですよ」

ただ、このネタは『オール讀物』の連載には見当たらなかった。あるいは、細川護貞の持ちネタをパクって「潤色」したのかもしれないが、そのあたりの事情はわからない。その一方で、『政界往來』1939年8月号には「風流と文化を語る」(pp.66-77)という記事があり、近衛文麿の以下の発言を記録している。

小林 公爵閣下のお宅には道長卿の日記がおありになるさうですが、何卷ですか、何か卷物にでもなつてゐるのでございますか。
近衞 …………。
小林 それを次の方がお寫しになつたのもおありになるさうですね。
近衞 道長の子賴道といふ人が寫したのがあります。
小林 道長といふお方のお書きになつたのは、忙しい時には裏に書いたりしたらしいですが、なかなか面白いものですね。況んやかれこれ千年近いんですからね。
木舍 大變なものですね。
小林 それは僕らの方の畑で行くと、これくらゐに切つた斷片が、一枚何千圓するんだから――勿論切るわけには行かんでせうけれども、えらいものがあるんですね。
木舍 燒けなかつたのですかね。
近衞 應仁の亂が一番危なかつたのですけれども、幸運なことに近衛家のものは持つて逃げて助かつたのです。外の家のものは應仁の亂で殆んど全部燒けてしまつたやうです。

この発言は、1939年7月5日の対談会におけるもので、参加者は近衛文麿・小林一三・木舎幾太郎とのことである。近衛文麿のこの発言によれば、応仁の乱で焼けたのは、近衛家のものではなく、ほかの家のものである、という風に私(安岡孝一)には読める。うーん、さてさて…

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UNIXはただ死んだだけでなく、本当にひどい臭いを放ち始めている -- あるソフトウェアエンジニア

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