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人工知能

yasuokaの日記: Montague形式意味論とМельчук依存文法は、どちらが漢文の自動解析に向いているか

日記 by yasuoka

11月17日(日)の日本言語学会第159回大会で、公開シンポジウム「AIによって揺さぶられる言語理論 ―意味論の観点から―」が開かれる、というのをお教えいただいた。

形式意味論は、モンタギュー以来、論理学を中心とする言語分析を推し進め、あたかもそれが意味の研究であり、また研究の結果はAIなどの隣接分野の研究に直接寄与するはずだという素朴な信念のもとに研究が進められてきた。しかしながら、最近のAIの研究、とくにディープラーニングの登場により、意味論ひいては言語理論は大きく揺さぶられている。場合によっては論理学による分析は不要となるだけでなく、従来の言語理論では扱えないような人間のことばの側面が、視覚や学習が高度化したAIの世界で扱われ発展する可能性があるからである。AIの世界における「意味」とは何を指すのか。言語理論はAIを下支えするような理論やアイデアを提供できるのか。そういった問題をフロアからのご意見も交え、活発に議論したい。

うー、行きたい。というのも、私(安岡孝一)個人の感触としても、Richard Merritt Montagueの形式意味論はイマイチで、少なくとも古典中国語(漢文)の自動解析には使えなさそうなのだ。じゃあ、言語理論全般が使えないかというと全くそんなことは無くて、たとえば、Игорь Александрович Мельчукの依存文法は、古典中国語の自動解析において、かなり強力なツールだったりする。実際、私自身、Мельчукの依存文法(を現代的にしたUniversal Dependencies)をAIにブチ込んで、漢文訓読の返り点を自動で打ったりするわけだ(cf.『漢文の依存文法解析と返り点の関係について』)。

なので、「意味論ひいては言語理論は大きく揺さぶられている」というのは、私から見るとちょっと大袈裟で、言語理論の中にも使えるものもあれば使えないものもある、というアタリマエの辺りに落ち着く気がするのだ。まあ、その辺が「場合によっては」に込められているのかもしれないが、それにしても、うー、行きたい。

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日々是ハック也 -- あるハードコアバイナリアン

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