yasuokaの日記: 「信斯言也是周無遺民也」の「是」は何を指しているのか
とあるイキサツで、『孟子』の「信斯言也是周無遺民也」に対するUniversal Dependenciesを検討しなおしてみた。
# catena_inseparability = 7<1<10=5<6<9<4=3<2<8
1 信 信 VERB v,動詞,行為,態度 _ 7 csubj _ Gloss=believe|SpaceAfter=No
2 斯 斯 PRON n,代名詞,指示,* PronType=Dem 3 det _ Gloss=this|SpaceAfter=No
3 言 言 NOUN n,名詞,可搬,伝達 _ 1 obj _ Gloss=speech|SpaceAfter=No
4 也 也 PART p,助詞,提示,* _ 1 mark _ Gloss=that-which|SpaceAfter=No
5 是 是 PRON n,代名詞,指示,* PronType=Dem 7 expl _ Gloss=this|SpaceAfter=No
6 周 周 PROPN n,名詞,主体,国名 Case=Loc|NameType=Nat 7 nsubj _ Gloss=[country-name]|SpaceAfter=No
7 無 無 VERB v,動詞,存在,存在 Polarity=Neg 0 root _ Gloss=not-have|SpaceAfter=No
8 遺 遺 VERB v,動詞,行為,得失 VerbForm=Part 9 amod _ Gloss=leave-behind|SpaceAfter=No
9 民 民 NOUN n,名詞,人,人 _ 7 obj _ Gloss=people|SpaceAfter=No
10 也 也 PART p,助詞,句末,* _ 7 discourse:sp _ Gloss=[final-particle]|SpaceAfter=No
「UDPipe Visualizer with Immediate Catena Tree」で可視化すると、こんな感じ。古典中国語(漢文)の動賓終構造(predicate-object-final structure)から見ると、「信斯言也」と「是周無遺民也」の2つの節から構成される文である。「信斯言也」は、predicate「信」とobject「斯言」とfinal「也」に、キレイに分かれる。同様に「是周無遺民也」は「是X也」というコピュラ文だから、predicate「是」とobject「周無遺民」とfinal「也」に分かれて、さらに「周無遺民」が(主語の)「周」とpredicate「無」とobject「遺民」に分かれる、と考えるのが都合がいい。
ここで問題となるのが、このコピュラ文における形式主語「是」を、predicateとみなすことの是非である。現代中国語における「是」がコピュラ動詞となってしまったことを考えると、古典中国語のコピュラ文における主語代名詞「是」をpredicateとみなすのに、私(安岡孝一)個人としては特に抵抗が無い。端的に言えば「是X也」においては、「是」をrootとみなし、Xをobj(あるいはccomp)でリンクする、というやり方である。しかし、そうした場合に、形式主語を表すexplをどうするか、という問題が起こって、ヤヤコシイことになる。
それもあって、Universal Dependenciesでは、コピュラ文は目的語の方をrootとし、主語をnsubj(あるいはcsubj)で繋ぐというルールになっている。ただ、そうすると、この「信斯言也是周無遺民也」では、「無」から主語を表すリンクが3本も出てしまう(「周無遺民」の主語を表すnsubjが「周」へ、「是周無遺民也」の形式主語を表すexplが「是」へ、全体の節主語を表すcsubjが「信」へ)結果となる。さて、どうしたらいいんだろ。
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