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日本

yasuokaの日記: 馬島太郎の『芙蓉会報』原稿

日記 by yasuoka

愛媛県立松山中学校芙蓉会『芙蓉会報』第17号(昭和37年10月)のpp.81-121に、馬島太郎の追悼特集が掲載されているとの情報をいただいたので、愛媛県立図書館えひめ資料室に、山本冨次郎文庫[ヤマK37-26-10]を閲覧に来た。追悼特集冒頭の「馬島太郎翁略歴」(p.81)を、ざっと引用しておくことにする。

明治二十三年六月二十七日 熊本市ニ生ル
本籍地 松山市北歩行町九番地
幼稚園 熊本市山崎幼稚園
小学校 新潟県新発田猿橋小学校
高等小学校 福岡県小倉市 及 松山市
中学校 松山中学校(明治四十三年)
慶応義塾 理財科予科病気中途退学
大正四年 財団法人電機学校ニ就職助教授(英語)
   副幹事(会計)幹事(経理部長)
   法人監事トナリ病気引退嘱託トナル

昭和三十七年
静窓院心誉学念正道居士
六月二十七日

なお、昭和37年6月27日は告別式の日であり、訃報については、山本冨次郎「無名の老篤学者 馬島太郎さんの死を悼む」(pp.102-104)が、こう書いている。

畏友、馬島太郎氏(横須賀市在住、松山市出身)の突然の訃報が、けさもたらされて、私は一瞬、暗然とならざるを得なかった。七十三歳、宿痾加療中、一たん回復退院後わずか三日目の去る六月二十四日午前一時半に急逝せられたそうである。
愛媛タイムスの古き愛読者であり、また寄稿家であった。本紙に、さき頃から「週間ニュース」欄が設けられたのも、実は同氏の発案によるのである。
年齢は私より長じてはいたが、松山中学在学当時の学生グループ「芙蓉会」時代この方、先輩後輩の親しい間柄であった。この芙蓉会の会員は、今全国に散在しているが現存者約三十数名、松中卒業後四、五十年に近い今日でも友愛に結ばれた交遊はずっと変ることなく、毎年春秋二回、豪華なる会誌を発刊交流しつつ随時随所に旧情を温めているという。近頃珍しい老人クラブ的存在だ。京浜、京阪神その他各地の政財界、法曹界、学会で活躍中の有名なる一流メンバーも多く含まれている。悲しくも今、その一人が失われたのである。
馬島氏は、一昨年の末頃“X'masは誤りでXmasが正しい”と喝破して、あの“アポストロフ(')”の有無の正否について論断を下し、全国の新聞に発表、学界や業界に時ならぬ旋風をまき起したその人である。

なお、山本冨次郎文庫[ヤマK37-26-1]~[ヤマK37-26-10]を読む限り、『芙蓉会報』は第2号以降毎号、馬島太郎の原稿を掲載しているようだ。私(安岡孝一)が把握できた原稿を一覧にしておくので、他に情報をお持ちの方は、ぜひ知らせてほしい。

  • 想ひ出とおわび, 芙蓉の花咲く頃, 昭和30年再会記念号[第2号](昭和31年11月3日).
  • 井蛙妄言(1), 芙蓉会報, 新年号[第3号](昭和32年1月).
  • 井蛙妄言(2), 芙蓉会報, 春分号[第4号](昭和32年3月).
  • 飽痴眠申す, 芙蓉会報, 七夕号[第5号](昭和32年7月).
  • 横須賀の長町, 芙蓉会報, 秋分号[第6号](昭和32年9月).
  • 寺小屋の和尚, 芙蓉会報, 新年号[第7号](昭和33年1月1日), pp.8-11.
  • 名物の味, 芙蓉会報, 春分号[第8号](昭和33年3月).
  • 残暑御見舞申上候, 芙蓉会報, 秋分号[第9号](昭和33年11月3日), pp.30-32.
  • 近来稀なりし正月, 芙蓉会報, 春分号[第10号](昭和34年4月1日), pp.1-4.
  • 幸運な松山行, 芙蓉会報, 秋分号[第11号](昭和34年10月31日), pp.14-16.
  • 足許から鳥が立つ, 芙蓉会報, 春分号[第12号](昭和35年6月).
  • 紙に就いての無駄話, 芙蓉会報, 秋分号[第13号](昭和35年9月), pp.34-37.
  • 幼時の思い出(1), 芙蓉会報, 秋分号[第15号](昭和36年9月), pp.43-46.
  • 幼時の思い出(2), 芙蓉会報, 第16号(昭和37年6月5日), pp.14-19.
  • 私の近況特報, 芙蓉会報, 第16号(昭和37年6月5日), p.20-22.
  • 電機学校回顧, 芙蓉会報, 第17号(昭和37年10月), pp.82-83.
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