
yasuokaの日記: Conobieの考えるA判の起源
一昨日・昨日の私(安岡孝一)の日記の読者から、『コピー用紙にあるA判とB判。どちらが日本独自の規格でしょう?』(Conobie、2022年10月26日)も読んでみてほしい、との御連絡をいただいた。もしや「物理学者オズワルド」かと思ったが、さすがにそうではなかった。
コピー用紙などの用紙サイズには、A4、A3といった「A判」とB4、B5といった「B判」がある。A判は、もともとはドイツの規格で、20世紀初めにノーベル賞を受賞したオストワルド氏が提案したもの。
DIN 476におけるB判の起源でも書いたとおり、Friedrich Wilhelm Ostwaldは「ドイツの規格」DIN 476にB判とC判を持ち込んだが、A判は持ち込んでいない。フランスの「Loi sur le timbre」(1798年11月3日公布)由来のA判を持ち込んだのは、どうやらWalter Porstmannのようだ。
これに対して、B判は日本独自の規格である。江戸時代に尾張、紀伊、水戸の御三家が使っていた「美濃判」という紙の寸法が、明治に入って標準寸法となった。これが現在のB判のもとになっている。
美濃判は273mm×394mmだったらしいので、日本のB4判(257mm×364mm)よりも、「ドイツの規格」DIN 476のD3判(272mm×385mm)の方が近い。美濃判を引き合いに出すなら、なぜDIN 476のD判を日本が採用しなかったのか、ちゃんと説明する必要があると思う。
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だからと言って、こんなガセネタだらけの記事を次々にバラまくのは、「子育て」という観点からも話にならない。それともConobieの考える「子育て」って、こういうガセネタを子供に教え込むことなのかしら?
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