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yourCatの日記: UEデザイン 4

日記 by yourCat

iPodとGIGABEAT』はどうやら誤解を招く文章だったようだ。もともと長くなったものを短くまとめて日記に仕立てたために、行間を読んでも読みきれないような稚拙な文章になっている。申し訳ない。そこで少々長くなるが、iPodとGIGABEATにみるデザインの違いについて論じてみたい。コメントも何件かいただいているが、この文章を以って個別の返事の代わりとさせてもらいたい。

どうやら、GIGABEATがiPodモドキと呼ばれる事に対し「ちがわい、iPodはもっとすごいんだい、Appleはかっちょいいんだい」と異議を唱えていると捉えられたようだが、それは全く本意ではない。GIGABEATを見た人は、わたしと同じようにiPodモドキと思うのだなという単なる感想である。そしてその後のデザイン云々は、iPodの欠点を補おうという意図が見えるにも関わらず、オルタナティヴにすらなり得ないGIGABEATの問題を「デザイン」に認め、逆にAppleのうまさが分かったという話だ。「見た目」とあるため、デザインとは見た目であるとの誤解を招いたが、「見た目とUI」はこの場合デザイン対象としてセットである。

GIGABEATはiPodをよく研究しているし、相当意識しているのは間違いない。iPodという装置が、使われる場というシステムの中でどういう役割をどう果たすか、つまりはiPodという仕掛けをきちんと研究している跡が窺えるのだ。ストレージ・モードとプレーヤー・モードの並立、専用アプリケーションとセットになった著作権保護機構などをうまく真似ている。やはりiPodモドキなのだ。しかしながらiPodを理解しているとはいいがたい。
こういう場合、よくデザインの「足し算」と「引き算」という言い方が使われる。iPodは携帯音楽プレーヤーと携帯外付けHDDの足し算だが、ここからAppleは、物事をシンプルにするために引き算のデザインをしている。
一方東芝は、iPodの仕掛けに、さらに改良を加えた。5GB iPodから10GB iPodにアップグレードできないことは、20GBになってまた同じ問題を繰り返すことを意味する。だからHDDを脱着式にする。正しい。ポケットや鞄に入れる携帯プレーヤーなのに、常に本体を操作する必要があるためしまっておけない。だからリモコンをつける。これも正しい。Windowsで使えるように、FireWire=電源供給端子付き6pin IEEE1394ではなく広く普及しているUSB 1.1互換のUSB 2.0を採用する。現実的に正しい。そして正しい改良を足し算した結果、見るからに複雑な機能優先のデザインを作り上げたのだ。デザインと呼ぶより設計と読んだ方が相応しいだろう。
この違いは、それぞれに用意された広告スチールを比べるとよりいっそう分かりやすい。iPodの写真では、イヤホンのケーブルをホワイト・アウトさせてまで、シンプルさを演出している。一方GIGABEATの写真は、全ての機能を一度に見せようとせんばかりだ。

では東芝は、iPodを研究したときに何を見落としたのだろうか。Appleが実は、iPodという仕掛けを通じて、使われる場=システムをデザインしていることに気づかなかったのだ。
例えばiPodに施されたデザインとは、次のようなものだ。FireWire経由で電源を供給する事で、ケーブルの取り回しの煩わしさを軽減すること。iTunesとは自動シンクロすることで、データのダウンロード作業をなくすこと。その2つを同じFireWireのホット・プラグでまかなうことで、あるいは充電やダウンロードという作業を意識から隠すこと。機能数に見合ったボタン数を設けるのではなく、ユーザーの動作によって機能を分けること (1ボタン・マウスの発想に近いかも……わたしは1ボタン・マウス信者ではありませんが)。こうしたデザインは、ハードウェアという仕掛けを含むUIデザインだろう (こうした広義のUIを指す言葉として、最近はメタレベルのUIを指すUser Experiences: UEが好まれる。Windows XPもXPもここから採ったものだ)。ソフトもハードも、UEデザインに従って帰納的に導かれたに過ぎない。
ボタンを増やさず押し方を増やすように、シンプルにすること、肉体感覚 (ジェスチャー) を伴うこと、それを通じてUser Experiencesをデザインすること。これが、Lisa以来Appleが目指してきた「デザイン」の正体だ。iPodがiPodたる所以だ。
GIGABEATは残念ながらUEデザインと呼べるものが存在しない。ユーザー行動/経験は、設計から演繹的に導かれるに過ぎない。白っぽくて四角くて液晶の小窓がついている事など、ここでは何の意味もない。アメリカ人が意味も分からず真似て書く偽漢字のようなもので、まさにモドキである。
わたしのいう「デザイン力の差」とは、このことである。

【今日の点取り占い】
住所不定・無職のアキハバラー協同組合
6点

【追記】
引用の間違いを訂正 (2002年20日 09:38)

この議論は賞味期限が切れたので、アーカイブ化されています。 新たにコメントを付けることはできません。
  • Appleの人は間違える動物だという認識からくる、
    できるかぎりやり直しを許すとか、わかりやすい
    インターフェイスとか、そういうものが最近うす
    れてきたかなと思っていたけど、まだまだApple
    は死なずか。
    自分が一番好きなのが「選んでからくどけ」の
    考え方です。
    • Appleの人は間違える動物だという認識からくる、
      できるかぎりやり直しを許すとか、わかりやすい
      インターフェイスとか、そういうものが最近うす
      れてきたかなと思っていたけど、まだまだApple
      は死なずか。
      うーん、薄れていますよ。でもわたしには、それはヒステリックなMac好きのいう「UNIXのせい」でも「Appleは見た目に走った」でもないと映ります。人間がパソコンを使う場面=システムが変わったため、Macという仕掛けも変わったからです。
      • HDD前提になり大量のファイルを扱うようになったこと
      • GUIが一般化し、それで何ができるようになるのか解ったこと
      • 各OS共通の技術基盤を持つインターネットが中心になったこと
      これらにより、前のようにGUIの可能性を手探りするような試行錯誤は、ベンダー側にもユーザー側にも求められていません。
      コンピューターは定型処理を効率良く行う道具でもありますが、試行錯誤を許し過ぎると効率が落ちてしまいます。例えばMacユーザーも、馴れてくるに従い、ショートカット・キーを多用したり、ダイアログ・ボックスのメッセージを読まずにOKしたりするようになります。使い方が固定され、Macが用意してくれる失敗を回避する手段をバイパスするようになります。UIのタスク処理にたいするオーバーヘッドが大きくなっているのです。
      GUIという未知の世界を徘徊する時代は終わったことを、Appleが受け入れた結果でしょう。OS Xでは、成熟したGUI文化を元に、簡単に安定してタスク処理をこなせる方向へ向かうでしょう。生活の中のMac--デジタル・ハブとはそういうことです。
      親コメント
      • >OS Xでは、成熟したGUI文化を元に、簡単に安定して
        >タスク処理をこなせる方向へ向かうでしょう。

        PCのわかりやすさやとっつきやすさを追求していくと
        システムが重くなりかえって慣れたころにはうっとお
        しくなりGUIよりもCUIのバッチ処理志向の良さを認識
        すると思ってましたが、それは自分がPC文化の試行錯
        誤のなかでの一面を見ていただけかもしれませんね。
        親コメント
  • by Anonymous Coward on 2002年06月21日 18時59分 (#111398)
    知人からiPodを触らせて貰った際に、唯一判らなかったのが「電源の切り方」。
    スリープへの移行でも何でも良いのだが、電源が入ったまま放置が気持ち悪く、何とかしたかったのだが結局判らなかった。

    昔、まだPCがATX系のソフトウェア電源でなかった頃、「Macは電源の入れ方切り方も判らない」と毛嫌いする向きがいらして、同じPCユーザの自分ですらそう言う方々を笑っていた物だが、それと同じ事を自分が体験することになるとは…
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長期的な見通しやビジョンはあえて持たないようにしてる -- Linus Torvalds

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