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yuriの日記: 宗教と信仰について 10

日記 by yuri
誰に師事しているわけでもない自称尼僧見習いの私は
人に問われれば仏教徒と答えるけれど
どちらかというと宗教より信仰を持ちたいと思っている。
何を信じているのかは自分でもよく分からないけど
理屈ぬきで信じられるものがあってもいいような気がするから。

でも宗教のせいでいさかいが起きたりするんだよね
他人が信じているものがどうしても認められなかったりするんだよね
うーんやっぱり名前の通った何かを信じるのって難しいのかな
信仰を持っている人が少し羨ましくなった。
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  • つーか、尼僧のように質素で慎ましい生活
    を見習っていただけなんで、酒は飲むわ肉は食うわ蚊とかも殺すわで
    全然見習えてないし(唯一異性関係は清い…けど、それって単に
    自分がもっさいだけ)
    尼僧見習いやめようかと本気で画策中。
  • 宗教って普通は開祖が哲学した結果を字面だけ追ってるようなものなんじゃないかと思うのです。

    人間、何か考えていてその結論が出るときは「降ってくる」という表現が相応しいような状態ですので、何か宗教/哲学的なテーマを一生懸命考えて結論を得た人がそれを啓示だとか神託だとか思っちゃっても不思議はないわけで、それを啓示だとか神託だとか思った人が開祖になったりする。と。

    で、開祖は一生懸命誰かに説明しようとして色々たとえ話をするのですが、信者の方は自分で考えたワケじゃないので真に理解したとは言えず、また開祖の言葉を有り難がっているために検証することもしないので、開祖の言葉を言葉通りに誤解するわけです。

    聖書と呼ばれる教典なんてその典型的な例だと思います。
    YHVHは古代アラマイ語で「存在すること」という意味なのですが、これを踏まえないと「神は絶対善」だとか「自殺は悪」だとか「原罪の存在理由」だとかの説明が論拠を失ってただの物語になってしまいますから。
    # YHVHは「存在するもの」と訳されるのが普通だし、それを「一次的存在」と考えると宗教っぽい。
    # だけど、そう考えてYHVHをこの世から追い出してしまうとやっぱり筋が通らなくなってしまう。

    これはよーするに「存在すること」を絶対善=神と定義してあるので、そこから離れれば離れるだけ悪になる。従って存在することをやめる自殺は悪だし、逆説的だけど原罪を背負ってる(=悪)だから人間は死ぬ。って意味で、結局「生きろ」と言ってるだけなのね。

    そういう誤解が常にあるから何かを理解するためには自分で考える必要があるので、「宗教より哲学」というワケです。
    そういう意味では自分で考えることを説いて回ったソクラテスはキリストやモーゼやムハンマドや釈迦のような、あるいはそれ以上の評価を受けて然るべきだと思うくらい偉いです。
    # でも哲学者(てつがくもの)はシアワセにはなれないんです。なぜか。
    • なるほどなぁーと唸らされました。経典が深遠めいていたり(←日本語怪しい)
      開祖の言葉が暗示的だったりするのも一理あるわけですね。

      仏教にも、お釈迦さまが言葉は要らないって言って、弟子がそれに気づいて
      ニッコリ笑い返して教えを受け取ったという逸話があったのを思い出しました。ちょっと話がずれますが。

      そうすっと、宗教より信仰を持ちたいという当初の私の希望は
      誰かの考えた結果を信じるよりも自分で考えた結果を信じたい、または
      自分が信じられるような結果を導きたい、
      と変わっていくかもしれません。

      #ちょっと難しいのであとでゆっくり考えてみます。
      親コメント
      • そういえばダライ・ラマも「哲学をしなさい」って何年か前にビッグコミックスピリッツのインタビューで言ってたし、仏教では出家した人は「自分で考える」修行をしますね。

        でも、断食したり寝なかったりするのは意味がなさそう。苦行には「苦労すれば報われる」という世界を滅ぼす悪魔的規範が紛れ込んでいる可能性がありますし。
        親コメント
        • by argon (3541) on 2002年08月31日 1時24分 (#156807) 日記
          >でも、断食したり寝なかったりするのは意味がなさそう。

          ゴータマ シッダルタは苦行もあの世も否定してたはず。生き方を考えるのが仏教だったのに、
          日本では遺された者の癒しのための葬式仏教になっている。片手落ちな気がする。
          親コメント
  • by Anonymous Coward on 2002年08月28日 22時55分 (#154964)
    信念による信仰は美しいと思うけど、思考停止と責任転嫁のための宗教は嫌い。
    かつては、自然の脅威や権力者の横暴にさらされ続け、常にびくびくおどおどして暮らさなければいけなかった無辜の人々が多少なりとも心安らかに過ごせるようになるという効用があったけど、現代には不要のものと思います。
    それに、宗教組織が出来てしまうと、他人の信仰を私利私欲の為に利用する輩が必ず現われますし。

    宗教って、人間を幸せにするためにあるものじゃないの?

    # 青臭いのでAC

    • メジャーな宗教の解説本などを読むと教義の中にすばらしいと
      思える考え方があるなあと思います。
      宗教に基づいてある信仰を持てることは羨ましいけれど、
      私も宗教組織は苦手かも。

      ただ、宗教組織を否定してしまうと、自分の先祖や故人を偲ぶための場所って、
      宗教と関わっているところが多いし、「今から寺院の機能は崩壊しますんで、
      皆さんあとは自分達で管理するよーに」なんて言われると困る人がいるのも
      事実ではないでしょうか?
      そういう意味ではなくなると困る生活の一部だったりもします。
      うーん難しいわぁ(ため息)

      >宗教って、人間を幸せにするためにあるものじゃないの?

      かつてはそうだったはずですし、今もその機能はあると思いますが、
      それ以外のものもどっさり含まれているのが今の宗教なんですかねー・・・
      親コメント
      • by Anonymous Coward
        そっちの機能のことまでは考えが回りませんでした。
        うーん、確かに困る人も多そうですね。

        お墓管理とその他イベントを執り行なう会社があれば良い、とも思えませんし…

        # 難しくて困ったのでAC
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「毎々お世話になっております。仕様書を頂きたく。」「拝承」 -- ある会社の日常

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