yutarineの日記: 報道の自由はいいぞ 5
日記 by
yutarine
日本の「報道の自由度」、72位に後退 | スラド
盛り上がっててたのしそうだけど、波に乗り遅れたので日記で駄文でも書いとこ。
ちょっと前までは「報道は事実だけ伝えるべきだ。誤報や捏造は許されない」と思ってた。
いまでは「あー人間だから間違えるし捏造もしちゃうよね」と考えるようになり、「まぁするのはしょうがないけど、そういう体質の報道機関は今後見ることはないしお金も落とすことはないなー」って思うようになった。俗世間にまみれてない理想を持ってるジャーナリストもいるだろうけど、組織として硬直化している報道機関には期待してない。
しかし見ないとはいってもテレビ局も新聞ももっと多様化しないとお話にならない…。もっと市場開放の方へ移行してかないかなー?
大義名分 (スコア:2)
ご立派な大義名分並べ立てる。
どんな読み方をするかは読む側の責任だから、どんな書き方しても悪くない。
取材源の秘匿のためソースは明らかにできません。
編集権があるんでどんな報道するかはこっちで決めます。
こういうところの情報を信用するってのは、一歩引いいてちゃんと考えないとだなぁ。
事実か虚構か、見分けることが読者に求められている (スコア:1)
虚偽を虚偽だとわかって報道するのは捏造だし、許されるべきことではないけど、わからず誤報してしまう場合もあるし、そもそも誤報というとらえ方が自らの政治思想に基づいたもので、実際は事実であるということもあるはず。
それに、事実だけそのまま伝えるニュースというのは日本の報道機関にありがちなプレスリリースに基づいた各社横並びのニュースと大して変わらないはず。
そんなもの読むならプレスリリースを直接見た方が早いし、それより本当かどうかわからないけど、独自ソースで興味深い視点を提供している記事の方が遙かに価値があるとわたしは思う。
たしかに、ストレートニュースが少なくなって、報道番組のワイドショー化が非常に進んでいるテレビ報道の現状には危機感を覚える。
けれども、テレビだからこそできる報道というものもあるから、テレビがすべて悪とも言い切れない。
それで、こんな駄文コメだらだら続けててもあれなので、タイトルに戻ると「読者がまともに批評できるのならまあ何とかなると思うよ」って感じです。
昔と違って、今は個人も Web, 特に SNS で意見発信が出来る時代なので、明らかに誤った報道ならネットでさんざんに叩かれまくるだろうし。
そして、その叩きコメントこそ、悲しきかな虚偽と偏見にあふれていることも殆どで、やはり誰の言葉を信じるか、何が正しいのか決定づけられるのは、他でもない自分だと思うのです。
# 「ここの記事は個人的に嫌いだから読まない」みたいな考え方は危険だと思うよ。自分に内在している偏見を増幅させてしまいかねない。
# 自分の意見とは正反対のことを言っている記事も、全部見た上で考えた方がいいと思います。まあ、貧乏人には有料記事はなかなか読みづらいのだけど…
Re:事実か虚構か、見分けることが読者に求められている (スコア:2)
好き嫌いに関わらずいろんな記事読んだ方がいいのはその通りなんですけど、なにぶん時間も限られてるんで(言い訳)、自分の持ってるアンテナに引っかかるようなのに限られますね。それでもいろんな人がいるのでそれぞれの得意分野でカバーし合うってとこですね。
国会議員の発言が問題になるときはインターネット審議中継でチェックしたりするけど、なかなか当該個所を見つけるのが大変で…。テキスト化されてればもっと便利なんだけどなー。
(なんて考えてたらこんなサイトもあった。どれくらい使えるかな?)国会会議録検索システム [ndl.go.jp]
まぁネットで炎上してるのはどういう風な炎上かでどのレベルの問題か判別できそうなのもなんともかんとも。炎上の発火点調べるといつものソースだったりするし…。
こういう見方してるとソースに色を付けて見ることになっちゃうので、本来はよくはないんですけど。
報道やネット炎上を人力もしくは自動で解析してソース提示するようなサービスでも始まらないかなぁって思ったりしてるけどはてさて。
誰の言葉をどういう基準で信じるかはそれこそ人それぞれだけど、最終的に決めるのは自分の意思ですね。
# たまに自己分析して自分の意思や感情がどういう心理や思想に影響されてるのか調べたりするのも、意思決定へのフィードバックになるかなぁって思ってる。
Re:事実か虚構か、見分けることが読者に求められている (スコア:1)
虚偽を虚偽だとわかって報道するのは捏造だし、許されるべきことではないけど、わからず誤報してしまう場合もあるし、そもそも誤報というとらえ方が自らの政治思想に基づいたもので、実際は事実であるということもあるはず。
だから、自社の報道方針はこれこれで、その考え方に基づいてこのような記事を書いている、こういう番組構成にしているってはっきり示せばすむことです。
# 感覚的に某社は右だ某社は左だってのはわかりますが、それでは意味がなくて。
ただ、特にテレビ番組なんかは放送法の縛りのためにそれができない面もあります。なので停波云々の流れにしても報道機関側がこういう姿勢で報道したいという主張をするなら理解できます。
しかし実際の行動は、表現の自由への冒涜だ弾圧だってやたらに話を一般化して騒ぐばかりですから。
語るに落ちたというか「報道姿勢」なんて考える頭はなくて、ただ思い付きで好き放題わめき散らしたいと自白してるも同然です。
さて、こんなのに「第4の権力」レベルの裁量与えててもいいのですかねぇ。
Re:事実か虚構か、見分けることが読者に求められている (スコア:2)
個人的な感覚ですけど報道ってのは
・客観的事実に基づいた報道
・感情など主観に基づいた報道(?)
ってのがあるんだと思います。後者は報道って呼んでいいか微妙ですけど。
あらかじめ報道の方向性を決めておいて、適当にソースを持ってきたり脚色したり曲解したりしてストーリーを作り上げるという手法でしょうかね。
人の感情にまで踏み込んで説明しろとまでは言わないけど、現在これだけ一次ソースに当たれることも多くなってるのでちゃんと事実確認部分への批判には晒されるべきだと思います。
そりゃ安倍政権を嫌いな人がいるのも当然だし、そういう人を報道で取り上げるのも報道の使命でしょう。ただそこから政府批判に結びつけるに当たって、無茶苦茶な論理展開してたらそりゃ批判されて当然ですってところかと。
テレビ局は放送法の縛りがあるからちゃんとバランス考えないとって条件もつくけど。
だからこれは表現、報道の自由とは別問題に帰着するとは思うんですけどねー。騒いでる人はそのへんをごちゃまぜにしてるだけにしか見えないし。
「自由」を叫ぶのならそれに対する「責任」もちゃんと果たして欲しいところ。