yutarineの日記: アドラー心理学の目的論 9
日記 by
yutarine
ここ数年話題になってるアドラー心理学。この前NHKでも紹介されていた。
アドラーの本は読んでないので、ネットで聞きかじったところだけだけど、
このアドラー心理学で言われている目的論というのは果たしてどうなんだろうか?
簡単に言うと
「目的がまずあって、それを果たすために感情や行動を選択している」
ということらしい。
この目的論だけ使ってしまうと、行動や結果だけで
「あぁ、あの人は内心ではそう思ってるからあんなことをやっているんだろう」
と決められてしまうような気もする。
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数日前にテレビで舛添都知事の件(まだ辞任する前)で出演者が
「(病気で)倒れるという選択はありますか?」(笑いながら)
と言ってるのを聞いて、ものすごく違和感を覚えたのでいろいろ探ってみたら、そんな
ようなアドラー心理学の目的論に基づくのではないかというあたりに行き着いたわけで
はある。
「病気になって倒れる」のではなく「責任回避のために病気になることを選ぶ」といった
解釈になるのだろう。
ただ自己責任論と非常に相性が良さそうだったり、内心を他人に勝手に決められるような
使われ方になったりしそうなので、あまり持て囃すようなものなのか疑問ではある。
いじめの問題でも、「あの子は内心ではいじめられることを選択している」と考えるのだ
ろうか?
カウンセリングなどで慎重に使われるならともかく、表層だけ見て無遠慮に他者に当ては
めるようなものではないはずである。
とりあえずKindleで安売りしてたときに買ったまま放置していたアドラー心理学の本でも
読んでみることにしますかね。
道具としての心理学 (スコア:2)
アドラー心理学そのものというより、道具としてのアドラー心理学をどう見るかというのが
気になってるところ。
ちょっとしたブームになってるので、何かしらの影響は出てきそうだけどはてさて。
科学技術と違って心理学が社会に及ぼす影響ってのはハッキリわかるようなものでもないし
すぐ表に出てくるとも限らないか…。
人の振り見てなんとやら (スコア:2)
自分でも知らず知らずそういう思考をするときもあるので、どういう場面に適用するのが適切なのかアタマの隅っこに入れておきたい。
自分自身、常に冷静さを保てるわけでもないわけだし。
いろいろ突っ込みどころはあるけれど、ものの見方としては有効 (スコア:1)
> 「あぁ、あの人は内心ではそう思ってるからあんなことをやっているんだろう」
その「内心」が、恣意性というか強い意図みたいなものだけではなくて、なんとなくとか、他に選択肢があることに気づかなかっただけというのもありうる、というところがポイント。あと、
> 表層だけ見て無遠慮に他者に当てはめるようなものではないはずである。
様々な人間関係がある中で、表層以上のなにか(感情とか、悪意とか)を忖度しないほうが幸せに生きることができるケースもある、という示唆は有用です。
Re: (スコア:0)
ものすごく的外れなんですけど
ポイントもなにも、そもそも「あの人の内心」なんて心理学にはありません
yutarine氏とか、他の人もそうですが、心理学がレッテル貼りの道具になりうることを危惧しているわけですよ
ケースもある、じゃありません
Re:いろいろ突っ込みどころはあるけれど、ものの見方としては有効 (スコア:1)
> 心理学がレッテル貼り
自分自身に適用すれば有用。それで他人のこころの中なんて分からないし、知る必要もないかも、と思えたらそれで充分。
Re: (スコア:0)
とんちんかんな奴だなあ
心理学の有用性じゃなくて危険性の話をしてんのよ、他の人たちは
我田引水 (スコア:1)
アドラー心理学というのは、心を操るための一種の兵法なんだと思います。フロイトやユングの精神分析学が心の風景を土地の起伏のように見るのだとしたら、兵法の一要素として戦場の傾斜の方向や角度を見るのが目的論でしょう。(当然他にも兵法の要素はあります)
いじめに絡めて目的論を持ってくるのは使い方を間違っているように思います。水が流れたから傾斜があるのは確かですがそこに傾斜がある理由は周囲に様々な凹凸や障壁などがあるからです。
まあアドラーにしてもフロイトにしてもかぶれやすいので、かぶれた結果の言説には要注意ですね。
同じく読んだことがないのですが (スコア:1)
書かれた説明を読む限り、適応機制のような、無意識的・自動的な反応に基づく行動が起こることを言っているのかな?と思いました。
だとすると、例えばメタ認知をあまりしない人なんかは、心配されてるように、無遠慮に他人に当てはめたりしてしまいそうではある。
Re:同じく読んだことがないのですが (スコア:2)
会話としてのコミュニケーションのアクセントとして使われるのが多そうとは思うけど、
刺さる人には突き刺さる言葉と成り得るので、使う人には自分が言ったことに対して
ちゃんと責任を取る覚悟を持って使って欲しいというのを祈るだけです。
また心配する方面だけじゃなくて有用になるような例も合わせて考えていきたいところ。