yutarineの日記: 「質的公平性」とはいったい? 3
テレビ放送における選挙報道についてのBPOの判断において「質的公平性」という言葉が出てきた。
BPO:「臆せずに放送を」 TV選挙放送で意見書公表 - 毎日新聞
しかし数回読んでも、いまいちこの「質的公平性」というのが理解出来ない…。
BPOのサイトの方も読んでみる。
第25号 | BPO | 放送倫理・番組向上機構 |
政策の内容や問題点など有権者の選択に必要な情報を伝えるために、取材で知り得た事実を偏りなく報道し、明確な論拠に基づく評論をするという「質的公平」だと指摘した
いや、これでは取材対象や取材内容により偏りが出てしまうので、「公平」とは言えないと思うのだが?いったい何と何を比べて公平とするのだろう?比べるモノが薄ぼんやりとも見えてこない。これでは単に報道の自由のことを言っているようにしか読めないけど、BPO的にはこれが「公平」という認識なのだろうか?
もしかしたら「質的公平性」というのは普通に考える「公平性」とは違う概念として新たに広まっているのかも知れない。
ということでしばらく検索してみると、
『外国の立法』|国立国会図書館の2008年、236の以下の資料がヒット。
フランスのテレビ放送と多元主義の原則 - 023602.pdf
この中の注釈(4)に以下の記述。
質的公平性の概念が導入され、議会に議席をもたない政党や政治団体についても配慮するようになった。
で、注釈(4)が示している内容は以下の通り。
公平性の判断についても、CSA が放送番組の内容を価値判断的に問題にするというよりは、テレビが政治家や政治的意見をとりあげるときは、政府、与党、野党に平等に放送時間を配分しなければならないという3分の3原則にもとづいて、数量的に放送の公平性を保とうとしている。
この資料で述べられているフランスの放送における質的公平性は、BPOの考えている質的公平性の概念と一致しない。詳しくはさらに調べる必要があるが、どうやらフランスの放送における質的公平性とは異なるようである。
もうしばらく検索してみると、BPO委員長代行の是枝氏の記事が出てきた。
東京新聞:「放送法は介入から守る盾」 是枝監督、報道の「思考停止」危惧:社会(TOKYO Web)
「放送番組の(満たさなければいけない)公平性とは質的なもの。(コメントの)秒数を同じにしたからいい、というのは作っている側が批判を避けようとする思考停止だ」
また是枝氏のサイトと思われる場所に以下のページがある。
2016年3月11日 「歴史修正主義」に抗するために ~放送と公権力の関係についての私見③~ | MESSAGE | KORE-EDA.com
「公平・公正」は量的にバランスを取るものではなく質的なものであり、放送における「公正さ」とは、例えば番組で批判をした対象に対して、反論の機会を提供することである───と、何で読み習ったのかはすぐには出て来ませんが恐らくテレビジャーナリズムについて書かれた本をひもとけば、1ページ目に書かれているような原則だと、僕はとらえておりました。
との記載が見つかる。
今回のBPOの2017年2月7日 第25号委員会の資料には是枝氏が委員長代行として記載されているため、「質的公平性」については是枝氏の考えが反映されているのではないかと推察される。
しかし上で引用したように是枝氏が「テレビジャーナリズムについて書かれた本」か何かで読んで習ったであろう概念というあたりまでしか分からなかった。そもそもその本がどのようなものなのかが示されていないし是枝氏が今回の発表にどれくらい関与しているかも不明なので、これ以上は発表したBPO自身が語らなければ分からない。
果たしてBPOが示した「質的公平性」とはいったいどのような概念で、この中ではどのように公平性が担保されると考えられているのだろうか?
質と量 (スコア:0)
ここでいう「質的」とは、「『量的』ではない」という意味です。
量的とは、放送時間・文字数・ページ数などです。
http://ndl.go.jp/jp/diet/publication/legis/236/023602.pdf [ndl.go.jp]
>(4)2000年からは数量だけでなく、質的公平性の概念が導入され、
>議会に議席をもたない政党や政治団体についても配慮するようになった。
放送時間を均等配分するという(量的)公平性、という意味「以外」の公平性が「質的」という意味ですね。
具体的にそれが何なのかが語られることはないでしょう。
強いて言えば、感情的納得感というか。
Re:質と量 (スコア:1)
あーそういう意味っすか…。ニホンゴ、ムズカシイネー。
Re: (スコア:0)
素直に感情的公平性つえばいいのにね
公平にも感情優先、まさに韓国サイド