議論が指定されてないよ
自分の日記にコメントつけようとしてプレビューの後に投稿を押したら,
「議論が指定されてないよ」なんて表示が出て,消えてしまった。
まだ挙動不審だなー
ちなみに,書こうとした内容は,「日記本文の字がやたらでかくなった」
ということ。コメントがどうなっているか確認するつもりだったのに。
アナウンス:スラドとOSDNは受け入れ先を募集中です。
自分の日記にコメントつけようとしてプレビューの後に投稿を押したら,
「議論が指定されてないよ」なんて表示が出て,消えてしまった。
まだ挙動不審だなー
ちなみに,書こうとした内容は,「日記本文の字がやたらでかくなった」
ということ。コメントがどうなっているか確認するつもりだったのに。
slashdot.org で昨年12月26日に「マイクロソフトは未だに独占企業か?」と題するRoblimoによる書き下ろし記事が掲載された。オリジナルの長文記事に対する意見を募るという形で、内容自体にはそれほど新味はないものの、スラッシュドットには比較的珍しい試みとして注目している。というわけでその記事の日本語訳を全文掲載し、日本版の読者にも意見を問うてみたい。
マイクロソフトは今でもデスクトップを支配している。しかしほかの多くの分野、たとえばウェブサーバーやスーパーコンピューターなどの世界ではマイクロソフトは数多い競技参加者の一人にすぎず、しかも弱い参加者だ。ゲームでは、最新のxBoxが「これこそ買うべきゲーム機だ」という提灯記事をあらゆるメディアで集めているにもかかわらず、ソニーのプレイステーションが少なくとも1~2台は売上で上回っており、2006年の春にプレイステーション3が出たらその差をさらに広げるだろうと多くのアナリストは見ている。インターネットでは、MSNとMSNサーチはAOLとグーグルに大きく水をあけられており、それは全然奇妙な話ではない。そしてデスクトップでも、リナックスが成長を続ける一方、Mac OS Xがウィンドウズよりも信頼のおける安全なユーザー指向のOSとして広く受け入れられている。それでもなお、マイクロソフトが独占企業だと言い続ける?
マイクロソフトは独占的行動から(ゆっくりと)手を引きつつある
もし大口のITユーザーが、リナックスへの移行を考えているとマイクロソフトの営業担当者に告げたら、マイクロソフトはたいてい価格の引き下げを申し出てくる。この会社にはこれまでになかった行動である。マイクロソフトは今や、一部の国々では Windows Starter Edition なるものを販売している。タイではおそらく37~38米ドルで、Microsoft Office の基本的バージョンも同梱のものが入手可能である。言い換えれば、マイクロソフトは価格競争を始めたということで、独占企業には似つかわしくない行動だ。
これは、マイクロソフトが突然「みんな、愛し合おう」的態度を採用したことを意味するものではない。マイクロソフトが善意からではなく市場の圧力によって、互換性について注意を向け始めたからだと私は考える。しかし長い目で見れば、マイクロソフトが自社以外のオペレーティングシステムとファイルフォーマットを悪魔の手先の一種と見なすのをやめるかぎり、マイクロソフト製品をなるべく使いたくないという我々のような人々にとって人生はもっと生きやすいものになるだろうし、それが本当に大事なことなのだ。
マイクロソフトエクスプローラーはもはやオンライン世界を支配していない
デスクトップユーザーの大多数は今でもマイクロソフトのブラウザであるインターネットエクスプローラー(IE)を使っているのかもしれないが、もはや市場占有率は95%に達しない。2002年の書籍と昨年のオンライン記事で私は、ウェブデザイナーたちに対してIEのみで動作するサイトを作らないように警告した。(遠い)過去にネットスケープのみのサイトは作らないように、と書いたのとちょうど同じように。聞き入れてくれた人もいたし、そうでない人もいた。
Firefoxの普及は2005年に速度をゆるめたかもしれないが、止まったわけではない。Operaは、最初グーグル、次いでマイクロソフトに買収されるといううわさが出たほど、十分に力をつけてきた。いずれにしても、IEの動くコンピューターが現在、全デスクトップの90%であろうと(いくつかの調査が示すように)70%であろうと、毎月人気を落としつつある。今やマイクロソフトは、IEはもはやMacユーザーに適さないという決定を下したから市場占有率はさらに落ちる。確かに、IEの新しいバージョンが登場することにはなっているが、XPを購入したくないという何百万もの「古い」ウィンドウズのユーザーにとっては助けにならない。そういう人たちがモダンなブラウザの機能を望めば、Firefox か Opera か、その他の非マイクロソフト製品のブラウザに移行するしかないのだ。
ネットワークこそがコンピューターである
この命題は、もし「ネットワーク」という語で我々が語っているのが、よく整備されたLANではなくインターネット経由で届けられるアプリケーションのことだとすれば、今日通用する事実だとは思わない。去る10月に、インターネット経由のアプリケーションはまだまだ「すぐそこ」にあるとはいえない理由を説明した。最近では、Salesforce.com のサイトが停止して(公称)35万の購読者を怒らせた。さらに悪いことに、ZDNet のブロガーであるフィル・ウェインライトが指摘したように、Salesforce.com が利用者とのコミュニケーションをおろそかにしたことで問題を複雑化させ、おそらくインターネット経由のアプリケーションに対する「99.9%の信頼性」という主張に対する利用者の疑いを増幅させた。
近ごろ喧伝されているWeb 2.0(そしてWeb 3.0まである)のもののほとんどは、OSに依存しない。Google Maps は、標準に準拠したものであればどんなブラウザを使っても動く。リナックスでも、Mac OS でも、Unixでも、ウィンドウズでさえも。
マイクロソフトさえ、Web 2.0 のゲームに参加しようとしている。マイクロソフトの広報担当者から、こういう文を含むプレスリリースを受け取った。「もしご近所のクリスマスの電飾を見て回るのがお好きなら、http://msnsearch101.com/searchmap を訪れてすばらしい Windows Live Local の開発製品をお試しください」
このオンラインユーティリティの振る舞いは、Google Maps やその派生物を基準とすればその足元にも及ばないくらい奇妙で原始的だと思えた。だから私は「ああ、たぶんリナックスでMozillaを使ってやろうとしていたからだな」と思ったのだ。そこでウィンドウズXPが入っているコンピューターに換えて、FirefoxとIEの両方でサイトを試してみた。どういう理由でか、地図の背景はウィンドウズ上のFirefoxではまったくロードしなかったし、ウィンドウズ上のIEでも、リナックス上のMozillaと同じくらい激重だった。
もしこれが Windows Live Local にできることの見本だとすれば、マイクロソフトはオンラインの地図事業でいかなる種類の独占(市場占有率さえ)にも向かっていないと思う。それだけでなく、Microsoft(R) Office Live がどれだけよいものになるかという同社の約束に対しても懐疑的にならざるを得ない。グーグルとサンがウェブ上で動く OpenOffice.org のバージョンを協同して開発するといううわさの4分の1でも実現するなら、マイクロソフトは(避けられない)インターネット経由のオフィスソフトウェア事業においても、大きく引き離された着外になるだろうと思う。
何十万もの競争相手
「グーグルはマイクロソフトよりクールだぜ」ゲームをするのは楽しいし、最上位のプログラマーにとって世界に痕跡を残したいなら働くのに最も熱い場所はマイクロソフトでなくグーグルになったということを語るのも楽しい。でもグーグルにしたところで、世界中の有能なソフトウェア開発者のほんの一部しか雇用することはできない。(スラッシュドットを所有しているのと同一企業が運営している)SourceForge.net には10万を超えるオープンソースのプロジェクトがあり、SourceForge.net もオープンソースとフリーソフトウェアをホストする数あるサービスの1つに過ぎない。文字どおり何百万ものプログラマーがオープンソースとフリーソフトウェアに取り組んでおり、個人の商用ソフトウェアを開発している人たちも星の数ほどいる。
「タイプライターをでたらめに叩くサルの数が十分なら、いつかはシェイクスピアの作品を作り出す」という古い言い回しはだれでも聞いたことがあるし、たぶん言われ過ぎているくらいだ。これは本当かもしれないし本当でないかもしれないが、確実なのは、何百万ものプログラマーを何百万ものコンピューターの前に座らせて何でも好きなことをやらせれば、成果のいくつかは世界を変えるようなすばらしいものになるだろう。たとえこの推定プログラマー1000人のうち999人までが既製のプロジェクトに取り組んだり自分が始めたものを完成できなかったとしても、何千もの世界を変える可能性のあるプロジェクトが残り、それらのほとんどはグーグル(あるいはマイクロソフト)の従業員が開発に携わってないプロジェクトになるのである。
私はインドに行ったことがあるが、現地で出会ったプログラマーのうち最も頭脳明晰な人たちは外注を請け負う企業ではなく、自立して働いていた。自営のプログラマーは中国にもブラジルにもケニアにも数多く、この星のほとんどすべての場所にいるし、間違いなくここアメリカ合衆国にも数多い。そして、世界中で何百万ものプログラマーが、昼間の雇われ仕事をこなして食い扶持を稼ぎつつ、夜は自宅で「本当の仕事」をしているのだ。
あなたも私も、グーグルの経営陣もマイクロソフトの経営陣も、コンピューターサイエンスの学位を持ちながら親戚以外の男性と自宅外の職場で席を同じうして働くことを国法によって禁じられているサウジアラビアの優秀な女性の心の中を、今この時に何が去来しているのかはわからない。あなたが記事を読んでいるこの時にも、北京のインターネットカフェで貧しい身なりの若い男性が、現今のOSすべてを時代遅れにしてしまうようなコードを猛然と書いているかもしれない。そしてその存在は中国製の100ドルノートパソコンに搭載されて現れるまで知ることはないのかもしれない。
ビル・ゲイツが友人とマイクロソフトを創業した時、コンピューターソフトウェアだけを販売する数少ない企業の一つであったが、ほかの同業者は規模が小さくて、マイクロソフトが競合他社のほとんどを買収するのを許すか、最良の製品をライセンスするか最良のプログラマーを引き抜いてしまえるくらいだった。その当時、プログラマーはコンピューターと同様、希少で高価な存在だった。今ではプログラマーもコンピューターも全世界にあり、インターネットで結ばれている。インターネットは国境を越えたプログラマーの協同作業を可能にしたばかりでなく、成果物を物の形で出荷することなく流通させることも可能にした。
ソフトウェアの企業が今日でも従業員にはオフィスで働いてもらわなければならない唯一の理由は、管理である。予定と取り組む対象の両面において。自分で動機を見出せる天才にはオフィスを持つ必要もないし、決まった時間通りに出勤するよう要請されたりすると憤慨さえするかもしれない。ということは、世界中の最優秀のプログラマーたちの多くは、グーグルでもマイクロソフトでもほかの会社どこであれ勤務はしないということだ。その代わりに彼らは自分自身の会社を立ち上げるか、多くの例ではオープンソースに基づいたコンサルタント業を始める。
だからマイクロソフトは1980年代のように数十社との競合に直面するのではなく、何十万社との競争になるわけだ。しかもこれらの競争相手は全世界に広がっている。この種の競争は、ネットスケープのような単一の企業との競争どころかIBM、サン、オラクルやその同業といった企業群との競争に比べても、適応したり買収したりかわしたりするのがはるかに難しい。
競争がマイクロソフトに製品の品質向上を余儀なくさせてきた
マイクロソフトはもはや、欲しい最上級のプログラマーすべてを雇うことはできないが、現在の6万以上の従業員で必要十分な才能を確保しており、彼らが近年すばらしい仕事を達成してきた。ウィンドウズXPはウィンドウズMEやウィンドウズ98に比べると計り知れないほど安定している。次世代のIEは、Firefox や Opera を使う我々のような人たちがなじんできたモダンなブラウザの特徴の多くを備えたものになるだろう。Microsoft Office は確かに、OpenOffice.org のユーザーが当然と思っている機能のいくつかは備えていないかもしれない。たとえば付属のグラフィックスユーティリティ、大企業の手が入っていないMySQLのようなフリーのデータベースのフロントエンドとして使える能力、作業結果を30種類以上のオープンな、あるいはPDFをはじめとする商用のフォーマットで保存できる能力など。しかし現在の Microsoft Office は10年前に比べるとはるかに改善されており、次の版では、OpenOffice.org が採用している OASIS Open Document Format ほどオープンでもないし標準への準拠度も低いとはいえ、一種のフリーなXMLファイルフォーマットさえ採用し、以前のマイクロソフトのファイルフォーマットに比べると閉鎖度も専有の度合も低い。
真の独占企業なら、製品をこういうふうに改善する必要がない。売りたいものを好きな価格で提供するだろう。廉価版を発売したり、開発途上国では廉価で販売を行ったりしないだろう。そうした開発途上国の多くは、急激に「ソフトウェア開発途上」の国になりつつあることに気づくかもしれない。
リナックスと、BSDベースのMac OS Xへのアップルの移行がなければ、マイクロソフトがウィンドウズの開発にこれほど注力することはなかっただろう。確かに、ネットスケープを押し潰してからFirefoxが飛躍を遂げるまでの期間に、IEにはさほど注力していなかったし。
米国のマイクロソフトを相手取った反トラスト裁判では、同社が独占企業であることが問題になっていたわけではなく(裁判所は当時そう認定したのだが)、独占による力を違法に行使したことを問題にしたものだった。この訴訟ではマイクロソフトを本質的には無傷のまま放置する形で決着したが、裁判官の1人が同社の行動を5年間監視することになっており、その期間が間もなく終わる。
ソフトウェア独占の時代は終わった
IBMはビジネス向けデスクトップコンピューター事業で独占的地位を築こうとしたが、数十、数百、後には数千の競合他社が現れてよりよく速く安いPCを製造するようになったので、市場をリードする地位を保つのに失敗した。今日でも、デルが世界一のパーソナルコンピューターの業者ではあるが、この C|Net の記事にある大規模なPC製造業者の市場占有率を全部足し上げても、全売上の(100%ではなく)約60%にしかならず、小規模業者が残りを占めているわけだ。(それでこの小規模業者のいくつかは、私のセーリング仲間のジーンが自宅用のPCを買った1人で全部やっているフロリダ州ブラドントンのショップのように、本当に小さい。)
パーソナルコンピューターのハードウェア製造事業は完全に脱独占化、脱中心化、民主化、国際化を遂げている。部品を正確に組み立てられるくらい機械を扱う能力に長けていれば(そして作ったものを人に売ることができる能力があれば)、極めて少額の投資でこの事業に参入することができる。ちょうどマイケル・デルが大学の寮でコンピューターの部品やシステムを組み立てて小売する商売を始めたのと同じように。
ソフトウェア商売を始めるには、さらに少額の投資ですむ。有能なプログラマーなら、あるいは有能なプログラマーの友人がいるか、マーケティングのやり手であるなら、始めるために必要なものはすべてそろっていると言える。商用ソフトウェアを作って売ってもいいし、企業向けにフリーソフトウェアやオープンソースソフトウェアをカスタマイズして(多くの場合さらにインストールしてメインテナンスして)もいい。最重要の流通経路がインターネットであれば、シリコンバレーやボストンのようなITビジネスの集積地に住んで働く必要はない。たとえば、JBoss はジョージア州アトランタにあるし、Asterisk を販売している Digium はアラバマ州ハンツビルに本拠を置いている。
ソフトウェア事業はあらゆる場所で沸き起こっている。ほとんどの会社は小さくて、ガートナーやIDCといったアナリスト企業が市場占有率の記録をとるほど(というか存在に気づくほど)大きくなるものはめったにない。しかし、非常に数が多いので、全体として見れば、市場ではマイクロソフトであろうと単一のソフトウェア企業を凌駕する存在感を持つようになってきている。
このことは、マイクロソフトが来年には10万社の新興企業に取って代わられることを意味するものではない。同社はまだ存在し続けるだろうし、数多くの報道もされ続けるだろう。それにオープンスタンダードの成果を取り込む(拡張したり消滅させようとしたりすることはないだろう)ことを考えると、ソフトウェアの世界で依然として強大であり続けるだろう。
しかしマイクロソフトが何をしようと、ソフトウェアの独占を再び得ることはないだろう。ほかのどんな企業も。ソフトウェア事業への参入障壁は、そんな事態が起きるには低くなり過ぎたし、独立して働けばソフトウェア大企業に雇われて働くのと少なくとも同じくらいの稼ぎが得られることに気づいているソフトウェア開発者の数も増えている。
『スモール・イズ・ビューティフル』は1973年刊行のすばらしい本の表題である。このタイトルは今日のソフトウェア産業についてうまく言い当てている。
ZDNN 日本版の記事によると,Amazon.com の "Search Inside the Book" サービス(以前のストーリー)に続き,Google も書籍の内容を検索するサービスを始める見込み( ZDNet 英語版の記事)。 Publishers Weekly の速報記事によると,今のところ Google は60,000冊について,データベースへの登録許諾を出版社から得ているという。 また,同記事によると,検索結果は Amazon.com の場合とは異なり,本文を直接表示するのではなく,概要を記した販売業者のページに飛ぶ。そして販売業者を選ぶのは出版社に任せるというやり方になるようだ。
インカ文明は無文字だったと言われているが,縄の結び目を使った情報伝達・蓄積の手段はあった。その結縄文字「キープ」が言語を表現したものかどうかは定説になっていないようだが,Discovery Channel の記事によると,解読状況がSigns of the Inka Khipuという書籍で発表される。Harvard University Gazette 5月22日号の String theorist という記事でも紹介されているが,著者はハーバード大学の人類学者 Gary Urton 教授。結び目の作り方には7つのポイントがあり2進法で表現でき,さらに24色使えることから理論上1,536個の情報の単位(≒文字?)を作れることに着目,同大学の数学者と協同でリレーショナル・データベースを駆使して研究を進めている。
個人的には紹介記事の中で「文字の解読」を cracking the code と表現しているのをおもしろいと思った。
CNN(AP配信の記事)によると,ニュージーランドに住む Bruce Simpson 氏が射程距離100キロの自作巡航ミサイルの開発を目指し,「5000米ドル以下で作るのを見ててくれ」と宣言してA DIY Cruise Missileでその過程を公開する。 「危険性を警告するのが目的」だとしているが,当然ながらアメリカの国防総省などから横槍が入り,「できっこない」という声も多数寄せられたため,シンプソン氏は意地になって開発と公開を続ける模様。
なお,趣旨に賛同し相応の寄付をした人のみが閲覧できることにするそうなので,いわゆる「オープンソース・ハードウェア」には該当しない。
日本のサイバー法学者として知られる白田秀彰氏だが,このほど HotWired の Bit Literacy で「インターネットの法と慣習」という連載を開始した。 コンピュータ・ネットワークには30年以上かけて形成されてきた「独特の共通合意や文化」があり,これからできあがってくるかもしれない「法」がそれと親和的なものになるよう働きかけていこうというねらいのようだ。
そこで,読者から「ネットワークにおいて経験した発言上のルールの中で『ネットワーク独特だなぁ』と思った事例を募集」している。第1回のお題は Winny。 hideaki@hotwired.co.jpに直接報告するのもいいけど,ここで公開して「そろそろ真面目に『法』を考えて」みない?
白田さん早くも「はたして原稿を落とさずにちゃんと続けられるのでしょうか。」なんて弱気なことを書いているので,尻をたたくためにも。
Impress AV Watchの記事によると,映画 "REVOLUSION OS" [Linuxとトーバルズ氏のドキュメンタリー映画。スラッシュドット・ジャパンでの過去のストーリー] の日本語版DVD制作にあたり,映像を公開してよりよい訳を募るという。参加者は日経BPのBiz Techのサイトで字幕付きストリーミング映像を見ながら,より良い対訳をポストする仕組み。4月下旬から6月末まで実施する。
過去に『指輪物語』の字幕改善運動などに燃えた,腕におぼえのある諸氏には絶好の活躍の機会だろう。
CNET Japan の記事によると,マサチューセッツ工科大学の脳認知科学研究チームが,顔の特徴が人に与える印象について調査することを目的の一つとして,いわゆるお見合いサイトEasyMixing.comを開設して,昨年12月から運用を開始した。News.comによる英文の詳細記事では,もう一つの大事な目的が金儲けであることをメンバーは特に隠しもせず語っている。そのサイトを見てみると,冗談のような写真と選択式キャプションが並んでいてけっこうおもしろいが,研究も金儲けもこれでは厳しいかも…と他人事ながら心配。
本家スラッシュドットに11月1日に掲載されたダン・ギルモアへのインタビューのうち、読者からのコメントを除く質問と回答の部分を翻訳してみた。素人くさい文章で申し訳ない。ダンは「世界で最も影響力のあるITジャーナリストの一人」とも称されるサンノゼ・マーキュリーのコラムニスト(asahi.comによる紹介文)。最近はblogに対して高い評価を与えていることで知られているかもしれない。本人も Dan Gillmor's eJournal というblogをやっている。
なお、本家のインタビューの方法は2001年12月28日のオリバー日記に紹介されている。このダン・ギルモアへのインタビューは、モデレーション機能がうまく働いたものとは言い難い気が個人的にはするが。
インタビューの合意が得られると、まずは、/.読者から質問を告知記事のコメントとして募り、そこからモデレーションポイントのもっとも多かったものおよびスタッフの選んだ質問をメールでインタビュー対象にメールで送る。すると数日〜数週間後に返事がきて、それが再び掲載されるという仕組みだ。プログラミングはいつまでアメリカにとどまる?
georgehaによるプログラムを書く仕事をインド、ロシア、シンガポール(などの外国)へ外注するのはますます容易に、かつ安価になりつつあります。プログラマーはあとどれくらいアメリカに基盤のある健全な業界にいられるのでしょうか。
ダン:
うーん、今日の市場環境を見ると、「健全な」という用語には眉をひそめざるを得ない。平均的なプログラマー、少なくとも求職中のプログラマーにとって条件は非常に悪いからね。花形と呼べる存在が不足しているのはいつものことだが。
でも時宜を得た質問だ。先頃マーキュリーニュースに載ったこの記事でも明らかなように。仕事を海外に出すのは確かに安上がりだし、ますます簡単になってもいる。ただ今のところ、十分に容易かどうか、言い換えれば種々の雑事を会社が計算に入れても最終的に安く上がるのかどうかは何とも言えない。長期の傾向としては米国に有利ではないが。
時差はもちろん、文化の違いも、必ずかなりの障壁になるものだ。国境をまたいだエンジニアリング・プロジェクトを管理しようとした人々と話をしたことがあるが、大いに困難になり得るという意見だった。
しかし、通信手段や共同作業のための道具の改良はめざましい。英語はビジネスと科学技術の世界でデフォルトの言語になっている。また、米国外の人々が受ける専門教育の質は向上していて、かつアメリカ自身の教育制度はどんどんだめになりつつあるから、外国の競争相手は増える一方だろう。
さらに、わたしが心配しているのは、あまりにも多くの米国のハイテク企業が「若いのを雇い、燃え尽きるまで働かせ、捨てる」というやりかたをとりがちだということだ。若い人々にとって最悪のメッセージになっている。技術系の企業で働くのは愚かなことだということになるんだから。ただ、これはアメリカが慢性的に抱える問題ではある。短期でものを見がちだという。
技術の将来の方向
knightwolfによる現在、業界のほとんどはシリコンに基づいた技術に依存し、シリコン・ウエハーに焼き付けるのに光学機械を使用しています。業界はどの分野を有望視していると思いますか。それと、有望なのに業界が追及していない分野は何ですか。さらに、十分に重視されていないとあなたが考える技術は何ですか。最後に、革新を担っているのは主にどこですか。IBMのような大企業なのか、あるいはより小規模な企業や新興の会社ですか。
ダン:
最後の質問から答えよう。技術革新は、ほとんどの場合、大学と小企業で起こっている。大企業でも確かに革新は行われるが、利益を上げているビジネスモデルを守るために、つぶされたり修正されることがしばしばだ。もちろんこれはおおざっぱに一般化した言い方だから、この法則を証明する(あるいは論駁する)例外を指摘できる人は多いだろう。
プロセス技術に関しては、自分が望むほどわたしは明るくないので、この回答の残りの部分には少し推論が入っている。しかし、確実に言えることは、半導体に起こっていることを見るたびに、この業界は戦場であり続けているということだ。
シリコンに基づいたチップの将来はまだまだ長いだろう。わたしの見るところ、ムーアの法則はあと十年くらいは限界に突き当たることはない。半導体の進歩は遅くなるか止まるだろうと門外漢が予言するたびに、業界の人間は笑って、進歩をさらに押し進めるんだ。
また、わたしは常にムーアの法則が意味するところの別の側面を忘れないでいようとしている。チップの改良は、高周波数のプロセッサーの外見や性能だけの問題ではない。物体がどれだけ小さくなれるかということでもある。少なくとも、高機能のもので何ができるかということと同じくらい、小型化の利点は何かということに興味を持っている。つい先ごろも、例えばZ80の新しい使い道を見つけた人のことを聞いたし、386で動くすばらしい埋め込みアプリケーションの存在を人々はいずれ知ることになるだろう。アイテニアム級のチップが単に通信機器の内部の小さな部品になるとき、どういうことになるのか、わたしにはわからないが、とにかくクールであることは間違いない。新しいプロセスと材料がハイエンドの世界でシリコンに取って代わり、この分野に革新をもたらすだろうか。間違いなくそうなる。わたしは量子コンピューティングに好奇心をそそられているから、必死で勉強しているところだ。
あらゆるものに無線を組み込もうというインテルの計画には、ひさしぶりに現れた重大な構想だと感銘を受けている。この動きはもっと注目を集めてしかるべきだと思う。あらゆるものに知能とメモリを付け加えるだけじゃなくて、すべてを接続するんだと考えるととても楽しい。それに、有機発光ダイオードの可能性を考えるとわくわくする。ディスプレイの姿をまったく変えてしまうだろう。もちろん、ナノテクノロジーとマイクロ・エレクトロ・メカニカル・システムも同様だ。
しかしながら、わたしが懸念するのは、産業が複雑さに対して十分に注目していないんじゃないかということだ。あらゆるものが1つに結ばれ、予測不能の状態で相互に作用するとき、泥縄のような戦略をとっている余裕はないと思う。
また、法律、特に知的財産権の分野の傾向も非常に心配だ。「知的財産」という用語を使用禁止にしたいほどだ。
特許制度も操縦不能になっている。確かに、連邦特許商標庁はいくつかの問題点を認識している。しかし、適用範囲の広過ぎる特許、新規性のない特許、不合理なだけの特許といったものを認可している例がまだあまりにも多すぎる。議会は、特許申請費用からの収入を奪い取ってほかの事業に振り向けるということを続けているから、特許商標庁が有能なスタッフを抱えることは、より難しくなっている。裁判所は特許の訴訟で手いっぱいになり、しかもその訴訟ときたら単に公に存在を主張するだけの代物だ。企業が技術者の代わりに弁護士を雇うようになったら、技術革新は打撃を受ける。
著作権関係の分野は革新にとって(また言論と学問の自由にとって。/.の人々がよく知っている通り)もう1つの心配の種だ。
ハリウッドは、IT技術革新のうちどれに市場への参入を許すか決定する権利があると主張している。ジャック・ヴァレンティが最近わたしに率直に語ったところによると、ハリウッドはピア・ツー・ピアに関して何らかの対処をする(翻訳: それをコントロールする)つもりだということだ。これほど多くの技術系企業が、顧客の権利のために闘う代わりに娯楽産業のカルテルとの妥協に安易に進んでしまうのを見ると大いに失望させられる。
政府は、ネットを抑制することに大方の予想を超えて成功している。確かに、Slashdotコミュニティなら、障壁を回避する方法を常に見つけ出すだろうが、中国政府が平均的インターネット利用者の見たいものの98パーセントを妨害することができるなら、自由の敗北だ。一方ここ米国でも、ある地域からネットに接続する方法は2つかせいぜい3つしかないといった事態に近づきつつある。それは技術革新と言論の自由の両面からみて恐るべきことだ。
技術についてのメディアの理解
Dr. Bentによる新しい技術に関する様々な主流メディアの記事を読んでいると、自分で報道していることが全然わかってないなという印象を受けます。平均的な主流メディアのジャーナリストは、自分の書く記事で扱っている技術についてせいぜい最小限の理解しかないことは明らかです。このことは新しい技術に対する一般人の理解と意識に対してどんなインパクトがありますか。古株のジャーナリストが若くて科学技術にも詳しい世代に取って代わられると、こういった理解不足は解消されるでしょうか。
ダン:
わたしも時々そんな印象を受けることがある。しかし、あなたが思うほどそれが悪いこととは思わない。
主流メディアのジャーナリストの大部分はジェネラリストだ。ほとんどの大新聞で、記者はよく異動になる。これはものの見方を新鮮に保ち、よくある類の公正さに影響を与え得る問題(情報源に接近しすぎることなど)を避けるために行われる。もちろん、記事に深みが欠けがちだという難点もある。科学技術に関しては、たくさんの新しいものが常に生まれているから、フレッシュでありつづけるのは例えば政治などの分野よりは容易だが。
あと、主流のニュース・メディアの使命を覚えておくことも重要だ。メディアの人間は、ある特定の主題についてよく知っているかもしれないし知らないかもしれない読者に向けて見解やニュースを紹介する傾向がある。わたしは完全な技術的誤りを見逃しはしない(だから何かをするには自分より知識のある人のそばでやろうとする)が、一般のニュース・メディアには、既に多くのことを知っている人々に向けた業界紙誌とは異なる規準を適用すべきだと思う。わたし自身の場合、紙の版の製作に携わっていてシリコンバレーの読者を相手にしているにもかかわらず、読者は聡明だけれども必ずしもその話題についてよく知っているわけではないことを前提にしている。オンライン版の読者なら、もっと科学技術の問題に関心が集中する傾向があるが。
わたしの仕事の大きな変化の1つは、科学技術の発達の結果だ。わたしより読者のほうが詳しいはずだ。またそのことは、わたしにとって脅威ではなく大きなチャンスだとも思う。この状態が続くかぎり、結果はよりよいものになるだろう。
明日の読者とジャーナリストがこの進歩をどのように生かしていくか確かめることは興味深いだろう。わたしの感触では、従来のジャーナリズム、テクノロジーに詳しいリポーター、ウェブログなどを組み合わせたものが、論点についてのより広い理解に結びつくだろうと思う。
物事の循環
Hannoによる誰もが知っているように、経済は循環して進んでいますが、あなたの経験からして、ITはどれくらい周期的ですか?最後の大きな下降局面はいつで、そのとき何が起こりましたか。また、そのために何が変わりましたか。
現時点で、「われわれ」IT労働者のほとんどは、「ニューエコノミー」バブルの結果とそれに引き続くITの下降局面に立ち会っています。今でも覚えていますが、ここドイツでは、わたしが高校を卒業した1991年には、コンピューターサイエンスの分野に進まないように助言されたものです。職業としての見込みは薄く、 IT関係の学問を修めた人の多くが職がないか低い額の給与しか受け取っていなかったので。その後でインターネットがやって来て、給料から何からすべてが爆発的に上がりました。それが続いている間は、信じられないほどに超現実的でしたがまだよかった。
今は、顧客は1銭でも惜しむようになっています。わたしは、会社が雇用契約を更新しなかったために、高度に熟練したIT労働者なのに失業中の人もいるのを知っているし、かつては業界の主要選手だったのに倒産した企業さえいくつかあります。
それで、IT産業において同様の経済状態にあった記憶はありますか。また、その経験はどんなものでしたか。
ダン:
わたしがシリコンバレーに来たのは、ちょうど1990年代のブームが起こり始めていた頃だった。その前はデトロイトに6年ほど住んでいた。どちらの地域も景気の循環を経験している。
現代のシリコンバレーには、好況と不況のサイクルが常にあった。ここの企業群は実体経済の一部門であり、科学技術自体と同様に、活力があり急速に成長している。前回の不況は90年代の初頭で、地域全体が不安な空気に包まれていた。職を見つけるのは困難だった。住宅の価格は暴落し(今回この現象が起こっていないのは驚きだ)、事態がもとに戻るための手掛かりなど誰も持っていなかった。マーキュリー・ニュースは、シリコンバレーの最良の日はもう過去のものになったのだろうかという内容の記事を掲載した。
その後、シリコンバレーは以前に起こったことを経験した、それは周縁から始まった。最も目立つ触媒になったのがネットスケープだ。技術とその後の株式の新規公開の両方において。しかし、それからの期待の高まりはただただ気違いじみていた。こんなことを言うのは、ある種の詐欺師がわたしたちに信じこませようとするように、インターネットがすべてを速くするのではなく変えつつあると堅く信じる人を目にするからだ。90年代の終わりにいちばん驚かされたのは、どういうわけだか技術が景気循環を根絶させたという途方もない考えだった。いつかはそんなことが起こるかもしれない(デジタル・コミュニケーションおよびナノテクノロジーが遍在するようになれば)が、歴史感覚のある人間なら、そんな誇大広告を鵜呑みにしてはいけない。
ここで景気の下降局面を2回以上経験した人なら、今回の不況のひどさも今までと同じくらい、もしかしたら最悪かもしれないだと言うだろう。われわれはバブルを経験するうちに理性をなくしてしまったので、堅実な成長を回復するにはこれまでより時間がかかるかもしれない。多くの革新が行われているが、今や市場への不信は非常に大きく人々を覆っており、今この環境では恥ずべきバブルが膨らむのを助長したベンチャーキャピタルだろうが何だろうが、融資してくれるコミュニティをもっておくことは完全に正しい。
ついこの前終ったのと同じような好景気がまた来るとは思えないが、今の混乱状態からいつかは抜け出ることは間違いない。多くの革新も行われているから、人々が再び市場を信頼するようになれば景気回復は起こるだろう。ただし問題はある。今この時に、とりわけブッシュとその仲間たちが市場の抜本的改良を粉砕するためにあらゆることをしているこの時に、市場を信頼するというのは道を誤っているのではないかと心配している。
利害の衝突について
joyoflinuxによる利害の衝突を経験したことはありますか。書くべきものより昇進や職務経歴上で有利になるものを優先したりといったような。そういうときはどうやって対処しますか。
ダン:
職務経歴の文脈でいうと、これまで働いてきた新聞で、何を書けとか書いちゃいけないとか誰にも命令されたことはない。当然ながら、記事やコラムを最終的にどんな形にするかに関して編集者とごくふつうの意見の不一致はあったが。
わたしは、1つの主要な点でこれまで幸運だった。シリコンバレーの大勢力の利益に反する場合(たいてい反するのだが)でも、強力な見解を示すことがわたしの仕事なんだ。
さて、利益の衝突がないと言うつもりはない。もちろん、衝突は起こる。最良の解毒剤で予防薬でもあるのは日の光にさらすことだ。いくつかのジャーナリズムの刊行物は倫理の違反に対して目を光らせているが、業界の外では広く読まれてはいない。ジャーナリズム批判に関して従来の方法ではなくウェブの影響力が増しつつあることに勇気づけられている。例えば、インタビューを受けた人が筆記録を自分のウェブサイトに上げて、自分の発言がどのように引用されたかという文脈を示すことは素晴らしいと思う。
わたしが書かないもの? もちろんある。これまでもさんざん訊かれたが、わたしはたいていの場合、自分の仲間に毒針を打つつもりはない。もっとも、会社の1部門が反マイクロソフトのロビー活動をする組織を支持したときは公に雇用者を批判した。マイクロソフトに関する見解自体には賛成なのだが、会社がその種の支持を表明することは、われわれの毎日の仕事であるジャーナリズムに対して有用ではないと考えたからだ。
アップルはデジタル著作権管理に本当に反対なの?
dpbsmithによるあなたのこの記事www.siliconvalley.com/mld/siliconvalley/4193833.htmには、アップルがデジタル著作権管理に対して意識的に、かつ定見に基づいて反対すると示唆されていますが、それを信じたい気持ちです。
でも、あの記事は基本的に推論ですね。
アップルが実際に企業としてデジタル著作権管理に反対する戦略をとるという証拠を握っていますか。ゲートウェイはフェアユースの権利を守ることを指示するという限定的ながら重要な公式の声明を出しました。なぜアップルが同様のことを何もしていないかわかりますか。
ダン:
確かに、あれは推論の域を出なかったけれど、レトリックでなく証拠に基づいて書いたつもりだ。
直接に答えよう。わたしは、アップルが企業として反デジタル著作権管理戦略をとりはしないと思う。個人的にはそうしてほしいと望んでいるのだが。アップルは概して顧客本位の立場をとってきたし、ほかのそのへんの会社よりはるかにましだとは思う。恐らく、あの会社は、両陣営が問題を2進法の質問(つまり完全な管理か完全な無秩序かの二者択一)に誘導しがちな状況でバランスを模索しているのだと思う。バランスの例としては、アップルは、iPodのユーザーが他のディスクに(直接ではなく)コピーするのを可能にすることはない。しかし、わたしの知る限り、サードパーティがそれを容易にすることを止める策は講じていない。
ゲートウェイのキャンペーンはすばらしかった。しかし、ゲートウェイはウィンテル生態系の一部だし、明らかにデジタル著作権管理推進側であるハリウッドに好意的な政権にマイクロソフトが急速に接近しつつあることに疑問の余地はない。ゲートウェイがよくできたリナックスボックスを売り、顧客の選択権とデジタル自由の観点から販売促進活動を始めたら、もっと感動するのだが。
シリコンバレーの新興企業文化に変化?
Infonautによるダン、わたしたちの質問に答えるために時間をさいてくれて感謝しています。
1990年代の終わりにシリコンバレーのベンチャー・キャピタリストは、利益を上げる見込みのまったくなかった会社を多数作るのに関係するために金銭と注意を払ってきました。
個人的な経験から、ベンチャー・キャピタルは個々の新興企業をがっちりコントロールすることを通じて、IT市場の発展に対していかに影響力を持っているかわかりました。
ここ2、3年のシリコンバレーでのIT関連の新興企業への資金集めや創業のやりかたを見て、根本的な力の移動や変化はありましたか。
ダン:
大変化は、今はほとんど誰にも資金が提供されていないということだ。ベンチャー・キャピタリストもやっぱり群れで動くものだから。
わたしは一般にベンチャー・キャピタリスト(少なくとも遠い将来に向けて調査し、危険な賭けをするベンチャー・キャピタリスト)には敬意を抱いている。しかし、ベンチャー・キャピタルが90年代の終わりにやったことはあまり尊敬できない。彼らとその背後にいる投資銀行は、ほとんどのリスクを市場に負わせたのだから。
変化があるとすれば、これまで多くの技術革新を促してきた従来の危険負担のやりかたに戻るという望みを持っている。シリコンバレーは、清算する前に持続可能なビジネスを構築するという考え方に戻りつつある。
バブルの時期には、事業を清算することがほとんどすべてだった。それを捨て去るのはよいことだ。
わたしが見るところ、もう1つの大きな変化は、起業家の危険負担がシリコンバレーの外側へ広がっていることだ。これは世界的な進歩に重大な影響を与える。わたしは、長期でものを考えることが文化の一部になっているような場所を含む外国の聡明なベンチャー・キャピタリストに会って、そういう人たちが結局は有利なのかもしれないと思った。
隠れた腐敗?
PhotoGuyによるドットコムブーム中には、非常に多額の金銭が恐ろしく問題のある方法で費やされたのを目撃しました。まったく理解を越えていました。それがまったくの愚かさからきたというよりは、リベートなどの疑わしい取り引き(背中をかいてあげるからぼくの背中もかいてくれよ)が行われていたということのほうが説明として適切かもしれないとしばしば思います。
これほど多額の金が浪費された裏には、多くの汚れた取引があったことは確実だと思いますが、報道でも噂話でもそういった話を耳にしません。
その第一の理由は、これらの会社は公開企業ではないから説明責任を負わない、したがってミニエンロンが発見されることはなかったということでしょうか。とんでもなく愚かだったからと考えるより、腐敗がからんでいるからと考えたほうが、いろんな面で説明としてわかりやすいでしょう。こういったことが実際に起こっていることを認識していないという点で、わたしはかなり素朴かもしれません。この業界の汚れた取引や見返りの配分についてどう考えますか。
ダン:
素朴ではないと思うよ。民間会社にはまったく問題外の行動が多くあることは疑いの余地がない。しかし、記者であれほかの誰であれ、どの程度そうなのかつかむのは難しいし、公開の説明責任があればこのプロセスのより多くの部分が光にさらされることを示唆するのは実に正しいことだ。
毎日一面を飾っているニュースを見ると、公開市場においてさえ、不幸にも説明責任は恐ろしく不足している。残念ながら、ニュースになるのは非常に遅い。しかし、あらゆるバブル(そしてあらゆる好況)は強欲な金融業者を生む。この領域にはつきものだ。
また、政治的には、強欲な金融業者からの資金提供を受けたイデオローグも生まれる。その結果、大規模な規制緩和が行われる。それは一般的にはいいことなんだが、悪事を監視するのをやめさせるための用意周到なキャンペーンが伴うんだ。だから巡回警官がいなかったんだし、今でもある種のイデオローグが改革を妨害したがるのはそういうわけなんだ。連邦証券取引委員長のハーヴィー・ピット[訳注:11月5日辞任]は、多くの人々が疑う通り企業の下僕であることを証明するのに必死だけど[(w]、投資銀行の責任を追求している州は今よくやっていると思う。おそらく、わたしこそ素朴なんだろう。しかし、市場は規則を必要としていると信じている。強制力を伴う規則なしでは、誰も信頼などできない。
プロミセズ・プロミセズ
gcondonによるIT報道はわたしたちに様々なでたらめを何年も約束してきました。マイクロソフトの革新、アップルの破産、デスクトップのリナックス、空飛ぶ自動車、などなど。わたしの考えでは、ITジャーナリストが業界の人間への接触と親密な内輪の集団に対して過剰な信頼を置いていることによるところが大きいと思います。業界人との接触は、誇大広告とFUDで内輪の集団を染め上げようとする業界人自身の立てた予定表に従うものなので、記者は例によって業界内ですでに確立された関係を強化するだけの役割しか果たしません。
IT産業は伝統的に小企業、新興企業に革新の多くを負っていますから、これは特に問題です。
つまるところ、ITジャーナリズムは本当に業界に寄与しているでしょうか、そして、そうならば、どのように?
ダン:
ジャーナリズムはあらゆることに貢献しているよ。はい、笑うのはそこまで。
あなたの前提は多少一面的だと思う。ジャーナリストがすべての分野で既得権を反映しがちなのは事実だ。さらに、われわれは良きにつけ悪しきにつけ、群れで行動するものだし、問い合わせに答えてくれる情報源の言葉を引用しがちなのも事実だ。
しかし、一般通念に挑戦し、わたしたちを真の未来へといざなうような報道も数多いのだと指摘しておかなければならない。わたしが心ひかれているのは、最良の情報あるいはトップニュースのいくつかが、非伝統的な情報源(ここがまさにその1つだ)から生まれているということだ。
これは素晴らしいことだ。ジャーナリストには、現実と誇大広告を区別するという仕事があるから、わたしはいろんなやり方でそうしようとしている。あらゆるものを読み(Slashdotも含む。自分が思ってもみなかった視角を常に与えてくれる)、できるだけ多くの人々と話をし、一般的には自分の仮定を疑ってみることにしている。こういったことすべてのための時間を持てるのが、この仕事の贅沢さだ。
さて、あなたが指摘したでたらめの例のうちの1つについても反論してみたい。わたしも、デスクトップのリナックスを軽蔑していた。わたしにとって、デスクトップのUnixとはMac OS Xという名前を持つものだ。しかし、オープン・ソース生態系は、わたしの思いなど気にしてはいない。デスクトップ環境の要素を1つにまとめ、多くのユーザーにとって適切と言える以上のものを、ゆっくりだが確実に作りつつある。アナログの生物は指数関数的な変化を真に理解することができないので、わたしたちはムーアの法則の長期のインパクトを過小評価する傾向があるが、それと同じように、わたしはコミュニティでの開発プロセスの集合的な力を過小評価したのではないかと思う。言ってみれば新築の手伝いの、人数が桁違いに多い知的職業版だね。
直接行動主義?
Anonymous Cowardによるもし記憶違いでなければ、あなたがかなり真面目な活動家だったときのことです。Usenixでバッジを配ってサインを掲げるあなたの姿を見たのを覚えています。
まだあなた自身を活動家と考えますか。そうでなければ、何が変わりましたか。オタクのコミュニティーの中にはまだ行動主義の活躍の場はありますか。あるとすればそれは何ですか。
ダン:
誰かと混同してるんじゃないかな。たぶんジョン・ギルモアと。彼のことは尊敬しているけど、親戚でも何でもない。わたしの記憶にある中で最後にサインを掲げたのは、1970年代の初めにワシントンでベトナム戦争に反対する集会に参加したときだった。
わたしはある意味では活動家だと思う。著作権、競争政策、プライバシーなどをかなりの頻度でコラムにとり上げている。わたしは、オタクはもっともっと活動的になる必要があると強く信じている。すべてを中央統制したがる人々は、革新と自由に至る道を閉ざしつつある。そうなると、オタクにとって、恐らくほかの人々以上に失うものは多いはずだ。
Stableって古いって意味だっけ? -- Debian初級