アカウント名:
パスワード:
なぜなら観測者、つまり今/.Jを見ているあなたやわたしが死んだ時点でその人にとっては世界は滅亡する(というよりどうでもよくなる)からだ。墓場まで恐怖の大王を持って行くことはできない。
明日死ねば今日認識している"人類"は自分の知覚している世界から滅亡するし、1億年経とうが滅亡しているだろう。なので、この理屈を動物や植物、モネラ界の生物にまで応用すれば、世界は既にグラハム数に達するぐらい滅亡しているのだ。
言い換えればこの問題は「自分はいつ滅亡する?」or「自分が死ぬまでの間に自分ごと人類は滅亡するイベントが起きると思うか?」という問題にすぎない。前者はナンセンスだし後者は詭弁に属する話題(杞憂の語源そのもの)なので結局「わからない」もしくは「自身の寿命と同じ」というのが正しい。
#そもそもガイア理論に従えば人類は減少こそ不可避だが自然の手に委ねている限りは減少は一定量で止まるはず。#その現象の問題に取り組む学者や賢者をクメールルージュみたいなのが1人残らず虐殺しない限りは。
「その人にとっての世界」とは、唯心論・唯識論的な考え方ですね。その辺り、1500年前くらいに、インドで散々いじくられていますが、難しくてよく分からないです。そんでもって、「自分が認識している『世界』なんて、も、どーーでもいいや」(執着を滅する)という意識が、仏教の「智慧」というものらしいです。
という脱線した話をしてしまえば、世界の滅亡は、自分の死を待たずに滅せられる(「滅亡」を滅することができる)と言うことらしいです。
(エラソウニ書いておきながらナンですが、ホントの事はワタシには分かりません)
より多くのコメントがこの議論にあるかもしれませんが、JavaScriptが有効ではない環境を使用している場合、クラシックなコメントシステム(D1)に設定を変更する必要があります。
皆さんもソースを読むときに、行と行の間を読むような気持ちで見てほしい -- あるハッカー
明日とも言えるし10年後とも言える (スコア:1)
なぜなら観測者、つまり今/.Jを見ているあなたやわたしが死んだ時点でその人にとっては世界は滅亡する(というよりどうでもよくなる)からだ。
墓場まで恐怖の大王を持って行くことはできない。
明日死ねば今日認識している"人類"は自分の知覚している世界から滅亡するし、1億年経とうが滅亡しているだろう。
なので、この理屈を動物や植物、モネラ界の生物にまで応用すれば、世界は既にグラハム数に達するぐらい滅亡しているのだ。
言い換えればこの問題は「自分はいつ滅亡する?」or「自分が死ぬまでの間に自分ごと人類は滅亡するイベントが起きると思うか?」という問題にすぎない。
前者はナンセンスだし後者は詭弁に属する話題(杞憂の語源そのもの)なので結局「わからない」もしくは「自身の寿命と同じ」というのが正しい。
#そもそもガイア理論に従えば人類は減少こそ不可避だが自然の手に委ねている限りは減少は一定量で止まるはず。
#その現象の問題に取り組む学者や賢者をクメールルージュみたいなのが1人残らず虐殺しない限りは。
唯心論・唯識論 (スコア:2)
「その人にとっての世界」とは、唯心論・唯識論的な考え方ですね。
その辺り、1500年前くらいに、インドで散々いじくられていますが、
難しくてよく分からないです。
そんでもって、「自分が認識している『世界』なんて、も、どーーでもいいや」
(執着を滅する)という意識が、仏教の「智慧」というものらしいです。
という脱線した話をしてしまえば、世界の滅亡は、自分の死を待たずに滅せられる
(「滅亡」を滅することができる)と言うことらしいです。
(エラソウニ書いておきながらナンですが、ホントの事はワタシには分かりません)