米小説家フィリップ・ロス氏、誤った記述の修正方針についてWikipediaを非難 109
ストーリー by headless
資料 部門より
資料 部門より
米小説家のフィリップ・ロス氏が Wikipediaで自身の著作に関する記述の誤りを発見し、これを指摘したところ、二次資料が必要であるとして修正を断られたという(BBC Newsの記事、
The New Yorkerの記事、
本家/.)。
この著作は2000年に出版された「The Human Stain」。英語版のWikipediaでは文芸評論家のAnatole Broyard氏の生涯に想を得ていると記載されていたが、実際には友人の社会学者、Melvin Tumin氏の生涯から想を得たものだったという。ロス氏は「An Open Letter to Wikipedia」というタイトルでThe New Yorkerのブログに事のいきさつを投稿し、これを二次資料としてWikipediaの記述を修正させたとのこと。
この著作は2000年に出版された「The Human Stain」。英語版のWikipediaでは文芸評論家のAnatole Broyard氏の生涯に想を得ていると記載されていたが、実際には友人の社会学者、Melvin Tumin氏の生涯から想を得たものだったという。ロス氏は「An Open Letter to Wikipedia」というタイトルでThe New Yorkerのブログに事のいきさつを投稿し、これを二次資料としてWikipediaの記述を修正させたとのこと。
ああつまり (スコア:5, おもしろおかしい)
国語の問題で作者の気持ちを答えよ的なアレか。
「締め切りに追われて必死だった [要出典] 」
Re: (スコア:0)
それで、先生が用意した回答に作者が「それは違う」と言ったけどそんなことどこにも書いてないからハネられた、という感じ?
Re: (スコア:0)
国語の問題ってのは日本語の標準的な解釈で解答できるものです。単純にわかっている人程点が取れます。
文学的な素養は不要とも言えますし、ああいった問題でほぼ満点を取れなければ文学を語れるレベルにはありません。
ネタにマジレスですがわかってない人いるんで…。
Re:ああつまり (スコア:1)
現代文だと、「出題者はこう読んだ」と言う一個人の主観がどんどん出てきます。
「日本語の標準的な解釈」なんてぬるい話が通るなら、著者や予備校から正解に対する異論なんて出てきません。
Re:ああつまり (スコア:1)
># 理系と文系の人比べたら、国語で点取れない理系の人の方が論理的だし
人文科学に興味をもつ人間は馬鹿ってことですか?暴言www
まあ、文系でも理系でもない馬鹿が文系学部に進学することが多いのは事実かもしれないけど、それとこれとは全く関係ないでしょ
Re:ああつまり (スコア:1)
そこに自分で気づかせることが要ですのでね
よくあること (スコア:5, 興味深い)
どういうわけか、ちょっとした会社を興したって事で
すでに亡くなった俺の親族が載ってんだが
よりにもよって「酒飲んで死んだ」とか書いてやがる。
完全な間違いだ。本人は酒を一滴も飲まないポリシーだった。
訂正しても「確固としたソースがあるから」とリバート。
そのソースを見てみたら、とっくの昔に消えて無くなった団体の機関紙。
jawpが新たなデマを生み出しやがった、っつーわけじゃないが
なんつーか・・・w
歴史の渦に消えていくはずだったデマを発掘して広めんなよっつーか・・・w
どうすんだ?w
おれもブログ書けばいいのか?w
真面目に考えてみました (スコア:1)
少し興味があったため真面目に考えてみました。
通常の個人のブログは本人確認ができないからダメなんですね。またソースとして利用可能なメディアにも該当しません。
貴方がある程度の著名人で公式ブログとして公知されているなら可能と思います。その中で、親族の方との血縁関係を明記して、酒を飲まないことを本人から直接聞いたか、あるいはその奥さんや親戚一同に知られた話であると記載すれば参照として使用できると思います。
これに該当しない場合は、その親族の方が興した会社が現存するのであれば、その会社の公式ホームページに創業者の紹介、エピソードのような形で記載できればOKでしょう。
その会社が現存しない場合は、Wikipediaに載るくらいなら、地元ではそれなりの著名人だったでしょうから地方紙に働きかけて記事を書いてもらえれば、当然、参照として使用できます。
参照として利用できるメディアに掲載されたものを個人が否定するのはそれなりに大変だということは、通常のマスコミ報道と同じです。Wikipediaの場合は、抗議を受け付ける責任者がいないため、内容証明付きの証拠を送るつけることができないのが難点ですね。
「そんな手間かけられるか!」というのであれば、その記事のノートページに「私は親族でよく知っているが酒を一滴も飲まなかった、よって現在の記事は間違っている」と書けば、その認識が広まっていくかもしれません。ノートページに書いたものはリバートなどはされませんから。
Re:よくあること (スコア:1)
ブログじゃ内容について誰も担保しないからダメだと思います。
例:「炎もプラズマだ!」->要出典->「俺のページに書いてある!」->ノートでものすごい長い議論というか説得
ノート:プラズマ [wikipedia.org]
日本でもあったよね (スコア:1)
本人が「ここ間違ってる」って言ったのに「ソースがない」とかでリバートされたとか
ブログで愚痴ってるのをみた覚えがあるんだがうろ覚えなので見つからなかった。
まあ山口人生「P=NP問題を解決した(キリッ」みたいなのを放置されても困るので
ある程度は本人以外のソースも必要だとは思うけど、
行き過ぎてソース至上主義なかんじだよね。
Wikipediaの編集はやるけど、最近は誤字脱字の修正以外手を出さない。
カオスラウンジの商標 (スコア:3, 興味深い)
現代アート作家を名乗る「カオス*ラウンジ [chaosxlounge.com]」という団体があるんだけれども、「カオス*ラウンジ」の商標は第三者がすでに取得済みで、それをまた別の人物に譲渡したという出来事があった。
【速報】カオスラウンジ カオスラウンジの商標権をマジスタンスに取られる【pixiv現代アート騒動】 [togetter.com]
特許電子図書館 称呼検索 [inpit.go.jp] 「カオスラウンジ」で検索
これを受けてWikipediaのカオス*ラウンジ [wikipedia.org]の項目に現代アート集団は商標を持っていない旨が書き加えられたが、裏づけが無いとして「要出展」タグが付けられている。
個人のtwitterが出展として挙げられているページで、go.jpなページが出展に値しないとは不思議な話であることよのう。
# SlashDot Light [takeash.net] やってます。
Re:カオスラウンジの商標 (スコア:1, 荒らし)
ちゃんと出典付きで直すのはアリなので、このへん編集者の質というより量が足りない(慢性的)な問題でもあるんですよね。
なお、政府レベルとはいえ、出典にするには微妙な情報とかはあるとはおもいます。
今回はぜんぜん違いますが...
# こういう行動をうまく諫める機会もほんとうはほしいんですよ。良いと思ってすることが不味い時だってあるので、そういう機会は貴重なんだが、えてしてタコツボ化してしまうのが、どんなところ(オープンソース開発もね)でも起きるので...
M-FalconSky (暑いか寒い)
Re:カオスラウンジの商標 (スコア:1, 荒らし)
補足:
ノート [wikipedia.org]にもありますが、商標っても範囲があるので、意味が限定され一般的な「名称が使えない」にしてしまっていいかというと、ちょっと違うので、現在進行中という意味では編集は妥当かなとは思います。が、わかりにくいですよね...。
M-FalconSky (暑いか寒い)
Re:カオスラウンジの商標 (スコア:2)
元々の取得した人はレストランの名称として使おうとしていたって噂がありますね。[要出展]
それが譲渡の際に区分変更されて、現在は「アクションフィギュア及びアクセサリー,トイフィギュア及びアクセサリー」と「芸術・歴史・民族・産業・自然科学・科学技術に関する資料の展示,芸術の分野における文化又は教育のための展示会の運営,電子計算機端末及び通信を介して行う美術品・芸術品の展示施設の提供に関する情報の提供及び助言,古生物・考古物・化石・美術品・工芸品・骨董品・装飾品の展示」が対象区分となっています。
ですので「カオス*ラウンジ」の名前でゲーセンやキャバクラを運営するのは商標権の侵害には当たらないかもしれませんが、「芸術作品の展示」を行う場合は侵害に当たる可能性が高いと思われます。
元々、カオスラウンジ(商標なし)は企業の商標を許可を得ず使ったり、お札のコピーを作ったり [google.com]、他人の絵を素材にコラージュ [google.com]する作風であり、代表である黒瀬陽平氏は「使用許可を得ると作品の意味が変わる」「権利者以外相手にしない」「裁判で決着を付ける」と発言していました。
なので、訴えられなければ「カオス*ラウンジ」は世の中に影響を与える力を持っていない芸術未満ということになってしまうので、訴えられてこそ芸術として完成するのではないかな。
# SlashDot Light [takeash.net] やってます。
Re:カオスラウンジの商標 (スコア:1)
カオスラウンジの商標がYahooオークションに出てるみたい。
【現代アート最終章】カオス*ラウンジ商標権【そして茶番へ】 - Yahoo!オークション [yahoo.co.jp]
【速報】カオスラウンジの商標権がヤフオクで1円スタート【pixiv現代アート騒動】 - Togetter [togetter.com]
現代アート集団が商標権を購入して権利者になるならば、Wikipediaの「使うことはできない」も明確な間違いとして削除できますね。
ホントこの件は意外なアップデートが起こるんで油断できないわ。
# SlashDot Light [takeash.net] やってます。
Re:日本でもあったよね (スコア:2)
私が知っているのでは西和彦さんのページが似たような感じになりましたね。
Re:日本でもあったよね (スコア:1)
西氏の場合は、無理やり本文編集に突攻した挙句、それを止められたからって、よそでウィキペディアを攻撃し始めたからねえ。ウィキペディアがソース至上主義をとるのは、無資格無差別という意味で誰でも編集可能にするため(つまり、検証性をオープンにすることで内容の確度については読者の自己責任にする方針)なので、それはそれで筋が通っているのだから、外部で検証可能なソースを新設するというフィリップ・ロス氏が今回取ったような方法くらいしか、実際には解決法がないに等しいわけです(少なくとも、力ずくで正しいほうに押し切ろうという方向での発想は、両者が傷つけあうだけの消耗戦にしかなりません)。もちろん誤った情報がソースなしで書かれている場合には、正確性を疑問視するに足る理由が提示できれば、正しい情報のソースを出せなくとも、単純除去など別の対応が可能な場合もあります。
まあ飽く迄ウィキペディアのルールのみで見ればの話であって、その運営自体が法に触れるとかそういう場合にはまた変わってくる部分もあるとは思いますが。
Re:日本でもあったよね (スコア:1)
> 本人が「ここ間違ってる」って言ったのに「ソースがない」とかでリバートされたとか
> ブログで愚痴ってるのをみた覚えがあるんだがうろ覚えなので見つからなかった。
[要出典]
Wikipedia では一次資料を使わない? (スコア:1)
安岡先生の日記『二次史料のみに基づく「歴史」 [srad.jp]』でも言及されていますが、
Wikipedia では一次資料を使わない主義だそうですからこういうことになるんでしょうね。
理不尽なようにも思えますが、有象無象がよってたかって書き殴るという Wikipedia の性格上、
一次資料の正確性を編集者に担保させることが難しいの対し、
正確性については発行元が担保してくれる二次資料しか使わないことにするのが妥当とか、そんなところなんでしょうか?
Re:Wikipedia では一次史料を使わない? (スコア:2)
ん、呼ばれたかしら?
「独自研究」を書かせないために一次史料を排除したらしいのですけど、正直あまりうまくいってるとは思えません。だって、二次史料の変なところばかり寄せ集めれば、やっぱり「独自研究」は可能ですもん。
Re: (スコア:0)
まあ、だいたいはそんな所です。
ここでも http://it.srad.jp/comments.pl?sid=578571&cid=2227927 [srad.jp] とか自分の妄想を言う人にはこと欠きませんので
こういう自説の一次資料だけだと、
* 独自説などが横行する
* 批判などによる中立視点がたもてない(ある一次資料についての二次資料なら肯定も批判も含んで存在しうるし)
なんかがあるので、適切な場所に発表された文書や発言をソースにするほうがまだマシという
Re: (スコア:0)
一次資料より虹資料の方が信頼性がある[要出典]という根拠が全く理解できない。
虹資料の方が数が増えるから?
Re: (スコア:0)
調べりゃすぐわかるのに。
http://ja.wikipedia.org/wiki/Wikipedia:%E4%BF%A1%E9%A0%BC%E3%81%A7%E3%... [wikipedia.org]
Re: (スコア:0)
一次資料の方の信頼性か必ず高いとしてしまうと、自称「神」等が大量発生しますが、どうします?
(という問題を避けるための苦肉の策って感じじゃね?>二次資料偏重)
Re: (スコア:0)
その存在を確認出来ない一次資料に基づく記述はしなければ良い
Re: (スコア:0)
Wikipediaに限らず、百科事典なんてのは一次資料を記載するための書物じゃないからです。
これまで貴方の読んだ紙の百科事典に、その事典独自の説が書かれたものがありましたか?
Re:Wikipedia では一次資料を使わない? (スコア:1)
たとえば、ある作品の「BSマンガ夜話」(未単行本化、未商用ビデオ化)について
・出演者Aが「BがCだ」と語った。
という項目を書き込んだら、「要出展」を貼られて、しばらくたったらソースなしということで削除されました。
削除の理由は「単行本にも、商用ビデオにもされてない放送内容は、ソースにならない」でした。
録画ビデオテープがある図書館に行けば確認可能にもかかわらず、
オンラインでアクセス可能でないとだめだというのです。
一方、被リンク先はデッドリンクになっているにも関わらず、リンク作成時は生きていた(かもしれない)新聞サイトへのデッドリンクの集まりが
ソースありと認識されてwikipedia記述は消されません。
「源氏物語は、光源氏が主人公だ」と書いたら、要出展(2次資料をしめせ)をつけられたときの気持ち、わかります?
Re:Wikipedia では一次資料を使わない? (スコア:3)
難しいところですが、テープがある具体的な図書館を含めて示せばおそらく出典として認められるはずです。
確かにガイドライン「出典を明記する」の「入手方法を示す」という節 [wikipedia.org]には「もしあなたが用いている情報源がオンラインで利用できないならば、それは標準的な図書館・書庫・公文書館で入手可能であるべきです」という記述があります。
しかしガイドライン「検証可能性」の「文献へのアクセス」という節 [wikipedia.org]には「この検証可能性の原則は文献へのアクセスが容易でなければならないことを意味するものではありません。(中略)一部の刊行物は大学図書館でのみ入手可能かもしれません」という記述があります。英語版のガイドライン“Reliable sources/Cost” [wikipedia.org]でも特定のアーカイブなどでしか入手できない資料も信頼できる情報源であるとされています。
そのため限られた図書館でしか入手できないテープでも出典として認められるはずです。
ガイドラインにはリンク切れの回避と修復 [wikipedia.org]という項目があります。
新聞記事であればまずアーカイブへの参照に切り替えられないか検討してください。その上で難しいのであれば要出典を付けた上で削除してください。
まず、できれば要出典を付けた人に対して真意の説明を求めてください。話し合いは論争の解決のステップ2 [wikipedia.org]です。
「光源氏は雲隠までの主人公であり、源氏物語全体の主人公とは言えない」という主張なのかもしれません。そうであれば合意できるような記述が得られるかもしれません。
その上で例えば単に形式的に情報源が無いと言うのであれば、要出典を付けた人に対して記述が常識ではないと本当に考えているのか確認してください。
ガイドライン「信頼できる情報源の出所」の「不確かな素材」という節 [wikipedia.org]には「しかし、あなたが真実であり常識であると信じている記述を、情報源がないという理由だけで除去しないでください。例えば、記述者が惑星の軌道は楕円になるという裏付けをしていないという理由だけで、『地球の楕円軌道』への言及を除去しないでください」という記述があります。
また、規則をあまりに杓子定規に適用していると感じた場合はガイドライン「ウィキペディアは何でないか」の「 ウィキペディアは規則主義ではありません」 [wikipedia.org]を参照してください。「ウィキペディアには、確固としたルールはありません」というのは五本の柱 [wikipedia.org]の1つです。
Re: (スコア:0)
一次資料の意味を勘違いされているようです。
本人の修正なら何でも許される。 (スコア:1)
本人が言うことだから正しいということになると、今回のような場合は良いとしても、
何か当人が不祥事を起こした場合にその部分の記述を本人が都合のいいように書き換えることもあるからなぁ。
それでも,ぼかあ,wikipedia は大したもんだと思うよ (スコア:1)
なんだかんだ言って,テレビや新聞より嘘が少ないからねえ.
# テレビや新聞には「わかってないことも発表しちゃう/書いちゃう」という悪い癖があるんだよなあ.
Re:それでも,ぼかあ,wikipedia は大したもんだと思うよ (スコア:1)
てっきり「テレビや新聞は恣意的に書いちゃうという○い癖があるんだよなぁ。」だと思ってた。
#「○」にはお好きな文字を入れて下さい。
Wikipediaなんてまともに相手しないでネタだと思うくらいでいいじゃん。
と言いたいけど、そうは思っていないで「信用しちゃう」人が一定数いるからイメージが大事な人達には大問題なのか。
人は信じたいものを信じるそうだし。
Re:それでも,ぼかあ,wikipedia は大したもんだと思うよ (スコア:1)
報道の傾向について、今まで、とげとげした心で疑心暗鬼で構えていましたが、心が丸くなりました
だからWikipediaは (スコア:0)
ダメなんだ。
にちゃんねると同じレベル。
面白いけどね。
Re: (スコア:0)
Re: (スコア:0)
2chみたいにそもそも信頼性はない、みたいなスタンスならそれでもいいと思うんだが、
出典があり正確な情報なんだと中途半端に主張してしまっているのがたちが悪い。
うちの所属組織のページ、事実と異なることが書いてあったんだが、出典が書いてない。
とりあえず間違ってるから訂正しといたら、巻き戻した上にロックされた。
今では直ってるけど編集者とかいう連中はああいった対応に快感を覚えるんだろうね。
Re:だからWikipediaは (スコア:2)
出典があり正確な情報なんだと中途半端に主張してしまっているのがたちが悪い。
その理解が中途半端なんじゃないか?
Re: (スコア:0)
出典がないなら要出典を貼って、出典が出なければその部分を消せばいい。
出典の無い情報で上書きしてはいけない。
基本 (スコア:0)
アスペルガーの巣窟だからな。部外者に対して自分ルールを押しつけて、一方で最初にコミュニケーションを試みるって発想が欠如している。
Re: (スコア:0)
つうか「分別のある大人の判断」が求められてんのに、分別の無い子供の法律家ごっこが個人を同定する手法を欠いた状態の捨てアカウントで繰り返されてるところで終わってるだろ。
まあアレだ、動的IPアドレスのせいでソックパペット嫌疑が嫌疑のまま(確認された問題利用者として強行に排除し難い)になってしまうのも一因だとは思うんだが、如何せん分別の無いキディちゃんたちを自動的にパージする手段が無ければどうしようもないと思うな。
Re: (スコア:0)
>個人を同定する手法を欠いた状態の捨てアカウントで
ウィキペディアの中のひとの典型ですね。実名以外の全てのアカウントは同様に匿名に過ぎないということが分かってない。実際、面と向かって言わないことを言ってる時点で、責任なんて仮のものでしかない。
wikiを利用するメリットは、誰でも修正できる可逆プラットフォームとシンプルなルールを提供することで、目的の異なる行動の重ね合わせから全体として破壊よりも早く創造される系を構築することにある。そのとき初めて加速度的な情報の集積が可能になる。
そこに多数決を持ち込んだり、無数のルールを付け足していったら、もはやwikiなんか使わないで、BBSで十分だ。それだと最後は無駄に耐性のある固定メンバーしか残らない。参加者に流動性がなければリニアより進歩が遅くなるってのは、wiki発明以前に明らかになってたのにね。
Re:基本 (スコア:1)
なんか世界一頭のいい感じの人が難しいこと言ってんだってのはわかった
Re: (スコア:0)
元ACですが、捨てアカウントにせよニックネームなんかの匿名アカウントにせよ、投稿時のIPアドレスで紐付けられてるんですよ、実際のところ(一般アカウントでは確認できませんが)。
ところが、動的IPだとその紐付けが完全じゃないから、ソックパペットの追跡が十分ではなく、その結果として捨てアカウントで批判が集まると別アカウントで再出発するしょっぱい連中がはびこる…マルチアカウントの不適切な利用にもかかわらず。
利用者に求められる「責任」なんていうのは、実際のところとしてウィキペディアの理念を理解しそれに従う分別を持ち合わせるということ
Re:基本 (スコア:2)
> まあ「信頼される百科事典を作る」という趣旨に沿うことに耐性を発揮できない、
> あるいはその趣旨を本気で実現しようとする他者と協調できない方は、ウィキペディアに必要ないんですが。
ウィキペディアにはその必要ではない他者を
どうにかする機構が不十分で、それが問題。
Re:基本 (スコア:1)
>結局はある程度キディちゃんたちをパージするルーチンワークを自動化しなければどうにも回らないと思いますね。
それがなくてまわるというのが、本来のwikiのコンセプトだし、それを一旦やってしまえば、BBSのスキームに逆戻り。相互監視の芽を片っ端から潰していったら、無駄に巨大なデータベースだけ残って管理不能になるという、アンチパターンの典型じゃないか。
オープンのまま成り立っているソフトウェア開発すらいくらでもあるのに、たかだかデータベースの作成でwikiが使いこなせないとは、、、
この方は対処法があっただけまだマシ (スコア:0)
編集合戦の挙句にページが実質的に編集不能になったり
合意を取ろうとせずひたすら差し戻し行為を続ける偏執的編集者とかが出たり
欠点だらけの「自称百科事典」だと言う事を理解して利用する必要がある。
Re:この方は対処法があっただけまだマシ (スコア:2)
> 大局的な原則論の話と、表面的なご都合ルールとを区別できない人が
こういう人がいっぱいるのは wikipediaの中の人の
責任であって外の人には責任はない。
二次資料側次第って事か (スコア:0)
さらに二次資料側が一次資料側に対して悪意を持っていたり、
正確性よりも自己の利益を追求するようなケースではどうなるんだろう。
俺の先祖もWikipediaに載ってるけど、所々で記述が間違ってるんだよね。
生年は合ってるけど月日が全然違っていたり、師事していた人の名前が微妙に間違っていたり、
生まれ故郷から某所に移り住んだ次期が1年ずれてたり…。
Re:二次資料側次第って事か (スコア:2, 参考になる)
まったく推測憶測で書かれたものについて、当事者/直接関係者であっても、正しく訂正できなくて困る。
あまりほめられた話じゃなければ公式な記述として残したりしてないし。
そもそも間違っていた記述の根拠となった資料については「要出典」が付いていなかったり。
間違ってるんだ…という人には、オフィシャルblogなどにその事実と訂正事項を書いてもらうようにしてます。
一次資料、二次資料…というよりは、第三者が検証可能であることが重要なんだと思ってます。
が、一次資料から下手に引いてくると、著作物を無断で持ってきたとか難癖がつくし…。
Re:二次資料側次第って事か (スコア:2)
> 生年は合ってるけど月日が全然違っていたり、
この場合、証拠は戸籍ってことになるんだろうが
戸籍は Wikipedia 的には有効な資料なんだろうか?