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日本

本能寺の変は室町幕府の再興が目的? 72

ストーリー by hylom
以前真相は闇の中 部門より
あるAnonymous Coward 曰く、

「本能寺の変」を起こしたことで知られる戦国武将、明智光秀の直筆の書状が発見された。これにより、明智光秀が本能寺の変を起こした理由について議論が盛り上がっているという(毎日新聞産経新聞NHKアゴラ)。

戦国時代、明智光秀が織田信長に謀反を起こした「本能寺の変」については、明智光秀がなぜ謀反を起こしたのかが長年の謎とされていた。当時明智光秀は一定の力はあったものの、羽柴秀吉(後の豊臣秀吉)や柴田勝家などほかにも有力な織田家家臣がおり、反旗を翻したとしてもその後の覇権を握れるかどうかは難しい状況であった。

発見された書状には、織田信長によって京都から追放された室町幕府最後の将軍である足利義昭が、本能寺の変の後に京都に戻ってくるこという旨の内容が記されている。ここから、明智光秀は室町幕府の再興を目指して本能寺の変を起こした可能性が高いとみられるという。

なお、この書状の写しは残っていたが、原本は発見されていなかったという。

この議論は賞味期限が切れたので、アーカイブ化されています。 新たにコメントを付けることはできません。
  • by NOBAX (21937) on 2017年09月15日 16時12分 (#3280377)
    インターネットもメールもない時代、書状が情報伝達の手段で
    謀略、篭絡のためあることないこと書くのは普通のことでした。
    この手紙は本能寺の変直後、反信長派へ宛てたもので、
    このころ中国地方にいた羽柴秀吉も味方になりそうな地方の大名に
    本能寺の変で信長は無事に逃れて、京都に入ったという手紙を
    乱発しています。

    したがって、書いてある内容は意図的なウソが含まれている
    可能性があり、文面通り信じてしまうのはいかがなものでしょうか。
    • by eru (12367) on 2017年09月15日 16時25分 (#3280386) 日記

      謀反を起こす人間が正直に「あいつ(信長)気にいらねーから謀反起こすから手伝え」と言うはずもないからなぁ。

      親コメント
    • by Anonymous Coward on 2017年09月15日 16時45分 (#3280401)

      この文書自体が捏造という可能性はとりあえず置いておき、本当に光秀が土橋重治に宛てた手紙だったとしよう。

      毎日新聞の記事によると、「義昭が京に戻る際は協力することになっていると重治から示され、光秀自身も義昭と既に協力を約束していることを伝える内容という」。

      つまり、土橋重治が義昭の帰京の為に光秀に協力の要請を出したこと、までは事実とみるしかない。重治が義昭と通じていなかったとしたら、「義昭と協力しろ」なんて手紙をわざわざ出したりするはずがないし、光秀は重治からの手紙の内容を繰り返しているだけだから嘘を書くことは出来ない。

      嘘があるとしたら、光秀が「お前に言われるまでもなく、義昭とはすでに握ってるよ」と言っているところ。だけど、去就明らかじゃない奴にならともかく、はっきりと義昭党だと宣言している重治にまで嘘をつく必要があるだろうか。

      親コメント
      • といっても土橋氏がはっきり義昭再興に興味もってたってのも変な気がするなぁ。
        当面は仇である鈴木氏を討つのが優先でしょう。

        土橋のバックにいた長宗我部と義明が結びついてたとかかな。やっぱり四国説か。

        親コメント
      • by Anonymous Coward

        義昭って、目下が上を立てるような態度を示さないとグチグチ言い出しそう。

        光秀が信長配下の有力武将たちを抑えて権力を掌握するには誰かしらを担ぎ出す必要があったはずで、実際に義昭が黒幕ではなかったとしても黒幕であると匂わせる意味はあったのでは?
        重治からも「義昭が黒幕ですよ」と聞かされれば信憑性が増しますし。

    • by Anonymous Coward

      > したがって、書いてある内容は意図的なウソが含まれている
      > 可能性があり、文面通り信じてしまうのはいかがなものでしょうか。

      そういう話なら、御自身のコメントにも意図的なウソが含まれている可能性がありますね

      そんな自己矛盾を抱えるコメントを投稿してしまうのはいかがなものでしょうか

      • by Anonymous Coward

        それ揚げ足取りのつもりでしょうけど、自分は馬鹿ですって宣言してるだけですよ?
        書かれている文章の意味すら理解できていないというね

  • by manmos (29892) on 2017年09月15日 16時32分 (#3280391) 日記

    あんまり、ハゲハゲ言うもんだから、腐った魚食わせたのに、キレやがんの。
    ただ、藤孝にも相談しなかったのはまずかったかなぁ。突発的にやっちゃったからなぁ。
    とりあえず、足利復興でってことで、檄文書こうっと。
    毛利も義昭囲ってるくらいだから、こっちに付くよねぇ。
    ついでにサルの足止めもおねたいしとこ。

    10日後
    檄文の返事帰って来たから、礼状かこうっと。
    えっぇぇぇ。サル帰って来てるじゃん。え?毛利和睦?なにそれ?

    3日後死亡。

    その頃、滝川一益は何も知らなかった。

    私としては、真田丸で、武田滅亡の時の余計な一言のあと、魔王にシバかれて、恍惚の表情をしていた光秀が、とても好き。
    あれは何だな、愛するが故の独占、って動機派だな。
    事実、信長が生きてる時の光秀の書状では信長ベタ褒めってもあったはず。

    「殿、蘭丸となんかの穴に入れちゃやだぁ」ってやつで。

    なお、長可「とりあえず、シバく」

  • by Anonymous Coward on 2017年09月15日 15時54分 (#3280364)

    それって
    「アポロ計画は人間を月に送り込むことが目的の平和的な計画だったことが判明。」
    「決してICBM開発の隠れ蓑だったわけではありません。」みたいな?
    実にタイムリーなネタだな、おい。

    本音なんて誰にもわかんないよね。ICBM開発を口実に、月ロケット作っただけかも知んないし。
    #「エリアル」の理由がすごかったなー。多目的迎撃なんたらは全部嘘っぱちw

    • 一方日本は、

      人工ダイヤモンドの製造のため「爆縮レンズ」
      人工衛星打ち上げのため「H2ロケット」
      ハヤブサのサンプル回収ための「再突入体」

      いつでもICBM作れる。

      親コメント
    • by Anonymous Coward

      後にサターンVに繋がったC-5プランを、NASAマーシャル宇宙飛行センター(その後政府直轄になる)が検討していたのが、1960年~1962年初頭。
      当然実際に開発に走り始めたのはその後。
      一方米空軍の最初の固体燃料ICBMミニットマンは1950年代半ばから開発開始され、1959年には試射が始まり、1962年には配備が始まっている。
      また米海軍の最初のSLBM(潜水艦発射弾道弾)ポラリス(こちらは最初から固体燃料ロケット)の開始も1956年で、1960年には配備と試射が始まっている。
      合理的に考えて、全液体燃料ロケットのサターンV+アポロ司令・機械船+アポロ月着陸船が、ICBM開

    • by Anonymous Coward

      ICBMなら地球周回までで十分だから、月まで行く必要ないじゃんw

  • らしいです。例外多数。

    • ちょっとそのルールは例外多すぎてなぁ。

      日本史に限れば、「大規模」な「内乱」は、結果に関わらず『乱』と呼ばれていると思います。
      反乱側が勝利したものでも壬申の乱、治承・寿永の乱(源平合戦)、元弘の乱(鎌倉幕府滅亡)、延元の乱(足利尊氏)などは乱ですね。
      対外戦争的な要素が入れば『役』になる。大坂の役など例外あり。

      日本史以外だと靖康の変(北宋滅亡)、靖難の変(燕賊簒位)など大規模すぎる変もあるな

      で、小規模ならどうかというと、
      成功基準だと正中の変(後醍醐の討幕計画発覚)がどう考えても失敗。
      ただ政体が変更されたのは確かなので、体制が変わったか基準で考えても…
      ・伊賀氏の変(北条氏の家督争い)
      ・江戸時代のマイナー反乱 慶安の変(慶安の変)とか承応の変(戸次庄左衛門って知ってる?)
      ・幕末の武装蜂起 生野の変とか天誅組の変
      ・喰違の変(岩倉具視暗殺未遂)
      とかどう考えても失敗、体制変わってない。

      親コメント
      • by Anonymous Coward

        戦乱か戦役かは規模より期間でしょ。昔の戦争は農繁期が自然休戦期だから、長期間の戦乱のうちのワンシーズンが戦役。つまり、戦争が丸1年より長い時は役とは呼べない。役は税の単位でもあるわけだから、兵の拘束期間を半年以上にすることができなくて、戦乱が長いときは複数回の戦役になる。

        変は武力を伴う政変で、最終的にはともかく一時的には反乱(主にクーデーター)が成功している必要がある。

        • 役ってのは単独ではなく一連の戦闘行為を差すのもので(英語ならcampaign)
          それなりに長期のものを指す印象ですがね。
          1年より長いのは役でないってのは前九年、後三年、文禄、慶長など反例が多すぎてとても同意できない。
          逆に1年より短いのも文永、弘安、小田原などある。

          で、こいつらなぜか対外戦争のイメージ強いんだよなぁ。蝦夷、朝鮮、蒙古など。
          九州や小田原や大坂の役も現政権が成立するより前から存在する、政権外部の勢力相手だし。
          反乱ではないから「乱」は使えない、なので「役」って気がする。

          >変は武力を伴う政変で、最終的にはともかく一時的には反乱(主にクーデーター)が成功している必要がある。
          これも慶安の変(由比正雪の乱)みたいに微塵も成功していないのがあるんで。
          #南龍公失脚という意味で「変」かもしれん気もしてきた

          親コメント
    • by Anonymous Coward
      ノッブを倒して天下取るという目的は達成してるから成功でいいんでねぇの
      思ったより早く次の人のクーデターも成功しちゃったってだけだし
      • by Anonymous Coward

        あるいは、光秀反逆を企てた黒幕が豊臣だという陰謀論にたってみれば大成功とも言える。

    • by Anonymous Coward

      この俗説を見る度に、壬申の乱さんがかわいそうになってくる。

    • by Anonymous Coward

      そして「○○のLAN」はアクセスポイント。
      大塩平八郎のLANとか。

  • by Anonymous Coward on 2017年09月15日 16時08分 (#3280373)

    如何な戦国時代でも、個々の合戦では腹の内とは別に、各々耳障りの良い大義名分を掲げて合戦をして、多くの場合合戦後には(場合によっては仲裁人が入って)講和をして来たんだよ。
    そして現代でもそうだが、特に攻撃に出る場合は、複数の目的があるものだ。

    • by Anonymous Coward
      余計な御世話かもしれませんが、コメントします。
      「耳障りの良い」は間違いで「耳に心地よい」あたりが正解です。「耳障り」は「聞いて気にさわったり、不快に感じたりすること」ですから。
    • by Anonymous Coward

      まさか愛しの蘭丸のためとは言えない
      フフフ。。。腐腐腐腐腐。。。

    • by Anonymous Coward

      織田信長は足利義昭を担いで京都に入ったんだから、
      明智光秀も足利義昭を担ごうと思うのは、普通だよね。

      あの時点で、足利義昭は毛利の庇護の元、鞆の浦で幕府を開いていた(?)んだよね。
      反信長の旗頭に義昭は最適でなんじゃない。
      義昭は実力ないんだから、傀儡に最適ね。

      • by Anonymous Coward

        義昭は実力も無いくせに自分で動きたがるので、傀儡には面倒なタイプじゃないっすかね

      • by Anonymous Coward

        永禄の変で足利義輝が死んだとき、三好政権内で阿波公方派(義栄)の三人衆と近江公方派(義昭)の松永親子で内部分裂が起こった。松永久秀は奈良を本拠地としていたので、奈良で出家していた義昭が生き延びられたのはほぼ松永久秀のおかげと言っていい。ただ、三好三人衆が終始優勢で、義昭が越前朝倉氏に落ち延びた結果、阿波公方が将軍に就任してしまう。つまり、畿内での権力争いで義昭は負けている。

        光秀は斎藤道三・義龍親子の争いに巻き込まれて実家が滅亡・浪人の後、越前で義昭に仕官し、故・道三派の信長が岐阜を制圧したタイミングで、義昭と信長の間

  • by Anonymous Coward on 2017年09月15日 19時42分 (#3280529)

    明智光秀の謀反でなく、織田信忠が自刃した事。
    何処かの投稿板にあったネタだが、実に正鵠を射た指摘だと思う。

    死亡時正式氏名?
    織田信長:織田右大臣正二位平朝臣信長公
    明智光秀:惟任日向守従五位下大神朝臣光秀
    織田信忠:織田左近衛中将従三位平朝臣信忠公
    この他に戒名・神号・死後贈位があったりする。
    兎角、明治維新前の日本の止ん事無き方々のお名前は難しい。
    これ日本史で記述問題にしたら、壊滅的正答率だろうなぁ。←それ以前に正誤判断できる人が少ない。

    • 光秀が惟任を賜姓されたのは有名だけど、これって
      明らかに姓(かばね)ではないとして、
      本姓(氏)になるのかな。それともただの名字なんだろうか。
      あと大神氏になるのは初耳。おおみわ?おおが?

      豊臣が本姓なのは有名だけど。でも「とよとみひでよし」とは呼ばないのはなんでだろう。

      ところで試験で羽柴筑前が惟任日向を破ったとか書いて正解扱いになるのかな。採点者のレベル的に。
      豊臣秀吉が~、は明らかに誤りにしてほしい。中学レベルでも

      親コメント
    • by Anonymous Coward

      井伊掃部頭、酒井雅楽頭の読み取りもね。
      江戸時代の幕府公認の試験でも読めない人間が続出したらしいし。

    • by Anonymous Coward

      氏名っていうなら、織田信長や惟任光秀が正しい。むしろ、三好物外軒実休みたいに法号・字が知られていて法諱が不明なパターンがモヤモヤする。一休宗純や利休宗易みたいな例から考えると、実休が法諱ってことはありえるんだろうか。菩提寺が存続してるんだから、宗派の違いって言えばそれまでなんだろうけど、俗諱を間違って伝えているっていう前科があるし。

      • by Anonymous Coward

        >氏名っていうなら、織田信長や惟任光秀が正しい。

        すみません、その道に明るくないんで教えてください。
        その2人だけで「氏名」と「姓名」の2種類が混ざっているように思うんですが。

  • by Anonymous Coward on 2017年09月15日 20時16分 (#3280546)

    途端に判らなくなります…

    • by Anonymous Coward

      読み物として魅力を提供出来る歴史が有るってしやわせだよね
      史事をならべてみても下関事件ばっかりみたいな国わりと多いし

      • いまいちたとえの意味がわからん。下関事件って馬関戦争のこと?

        歴史が文字で残っている国なら
        それなりに魅力ある歴史小説書けると思うけど。
        日本人視点で知名度がないだけで。
        新大陸とかは厳しいかもしれんけど、それでもコロンブス以降なら書けるし。
        #南米史、とくにウルグアイとかパラグアイあたり面白そうなんだけど、言語の壁ががが
        #英語すら少ないからなぁ。

        親コメント
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アレゲは一日にしてならず -- アレゲ見習い

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