Claybirdの日記: 公開情報の扱い 1
「公開されている情報をまとめるのは自由で、責任も問われない」とでも言い換えられるような言動を見かけた。
「誰でも見られる情報なんだから」というのが理由である。
そんな訳あるかと。
モヤモヤしたので理由を考えてみた。
「公開されている情報を見られても文句は言うな」、なら正しいと思う。
しかし、「公開されている情報をまとめた者に文句を言うな」、には違和感を覚える。
正確には、まとめ作成は自由だと思う。
が、まとめを作ること(まとめかたなど)に責任が伴わないという発想はおかしい。
# 「まとめ対象の情報を出した側」の責任についてはここでは言及しない
情報発信においては、「ある情報を発信することの責任(の少なくとも一部)は、それを作成・公開した者にある」のが原則だ。
だから、「公開されている情報を見られても文句は言うな」は正しい。
# 情報を受け取った者の責任は「嘘を嘘と~」の名言通り。
しかし、世の中には大量の情報が公開されている。その中から有用な情報を見つけ出すのは容易ではない。そこで情報を取捨選択し、「情報がどこにあるかを示す行為」に価値が認められる。検索エンジンやニュースサイトは、これで食っているわけで。
つまり「情報がどこにあるか」も情報である。まとめ作成における「情報がどこにあるかを示す」ことや「情報を組み合わせて公開する」ことも情報の発信であり、当然責任がある。
まとめ作成においては、人が作業する以上、編集者の個人的な主観も紛れ込む。しかも、並べ方次第で文脈を作り上げ、悪意を持って印象操作を行うことも可能だ。だからこそ、まとめ作成には(一次情報発信者より少ないとしても)責任が伴うことを意識する必要がある。
まとめただけだから、僅かな責任すらない、というのは受け入れがたい。
確かに (スコア:1)
校正と称してこんなことする人もいますので [srad.jp]
まとめる人にも一定の責任はありますよね