elderwandの日記: orz ...vs... omg
http://srad.jp/journal/544254/omg. なんか似てるな。
本物の師走になると、日記さえも書けなくなるでよ。
とりあえず、良いお年を。酔い落としを。
あ、xxx は whois へどうぞ。
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http://srad.jp/journal/544254/omg. なんか似てるな。
本物の師走になると、日記さえも書けなくなるでよ。
とりあえず、良いお年を。酔い落としを。
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関西弁を使うとかっこいいんだそうな。
けど、まわりの人がしゃべるのを聞いていると、「とても」「すごく」「めっちゃ」のような『副詞』を使って形容詞を強調している人は少ないような気がする。
どう言うかというと、
「とてもきれい」-> 「きれーーい」
「とてもおいしい」-> 「おいしい、おいしい」
のように、イタリア人風に最後から2番目の音節を伸ばしたり、同じ形容詞を重ねたりである。
日本人の日常会話から「とても」が消えているような気がするのだが、また、私の思い過ごしだろうね。
時間が空いてしまったので、「質問しなくなる」 の続きをこちらで。
なんとなく、受験戦争が中心になってきたころから、「余計な質問して時間を無駄にするな」みたいな空気が出て来たような気がする。そんなことを感じたのは自分だけかもしれないが。
中学生のころ(何年前だ?)分からないことを少ししつこく聞いたら、受験戦争からドロップアウトしてる連中からやんやの喝采を受けたことがあったりもするが、そう考えると納得できるような気がする。
日本人だから受験戦争なのか、受験戦争で今の日本人になっちゃったのか、(要するに、卵かにわとりか)そのあたりはよく分からないが。
大学生がよく質問するというアメリカ人が福島原発を作って運用してたら、想定外対策もできてたんだろうか?
http://diamond.jp/articles/-/15087 というわけだ。
http://diamond.jp/articles/-/15087?page=8 で、言うように、「授業中に質問しないから」というのが、なんとも言えない。質問しなかったのは、今の学生じゃなくって、僕たちだったのだ。
しかし、何故日本人は質問しなくなっちゃうんだろう。小学生は結構よく質問するような気がするが、中学から上では、「最初のひとりはまずい」になってる。
大阪の教育はこれからどうなるんだろうね。テストの成績アップのためにひたすら模擬テストをやるんだろうか?「最初のひとり」?なんてのは問題外だろうね。
そこに、相手が期待する物があるかどうか、だけを返してあげると、エントロピーは 1bit しかない。相手は、さっさとその結果に基づいて次の行動に移ってしまう。
それだと、次の行動への対処に忙しいということになってしまうので、面白く無い。
というわけで、少し待っていただきたいのだが、どこで待ち時間を作ろうかってことだ。
で、相手が期待する程度のエントロピーを作って返してあげる。、、、と、相手は「なんじゃこりゃぁ」ってことになって、少し待ってくれるのではないか。
ほんまかいな???
ここに書くほどのことでもないが、自己満足のために書いておく。
プログラミングしてると、モジュラー化というか、まとまった作業を別立ての関数(ぽいの)に仕立てたくなる。特に Python のようにインデントを強制される言語では、見た目にも深いインデントがかっこ悪いのでそうなる。
そうすると、こんどは関数で使う変数をグローバルにしたくなる。でないと、関数の引数とか戻り値とか、やたらと受け渡しが多くなって面倒くさい。ところが、ま、グローバル変数を使うのは、また別の意味でかっこ悪い。
そこで、別立て関数もメインもまとめて class にしてしまう。つまり、オブジェクト指向の導入である。グローバルにしたかった変数はここではメンバ変数である。(お、かっこいい)つまり、こんな感じでベタの手続きを class に変えることができる。
ベタ
a = 'blar'
b = 'foo'
print a + b
オブジェクト指向
class Adder:
def __init__(self, a, b):
self.a = a
self.b = b
def get_result(self):
return self.a + self.b
if __name__ == '__main__':
adder = Adder('blar', 'foo')
print adder.get_result()
つまり、なんでもいいから、グローバル変数かっこわる、、、と思ったら、「オブジェクト指向」を使いましょう(なんちゃって)なのだ。
マウスオーバして title タグに入ったテキストを読むのがお約束だというのに、、、orz
表面数ミリをホーバーする指に反応して、マウスオーバを実現してくれるようなタブレットセンサーは実現するのでしょうか?
表で GUI の話が出ている。慣れの問題かもしれないが、GUI の「文法」の問題というのはどうなんだろう。
表のテーマは Ubuntu であって、Microsoft の「リボンインタフェース」ではなさそうではあるが。
GUI の文法とは、つまり 1980 年代の Palo Alto コンピュータを遠くから眺めていて雑誌の受け売りであるが、GUI では「まず、目的となる対象物を選ぶ」から始まり、選ぶことで何ができるかのメニュー項目が決まる。そこでメニューを「呼び出して」選ぶことで、コンピュータにやらせる仕事が始まるということだ。(と、理解した)
それに対して、既存の(コマンドベースの)インタフェースでは、まず何を「したい」を決める。対象物を宣言するのは一番最後である。
既存型の「文法」が、【動詞】【目的語】であるのに対して、新しい「文法」では【目的語】【動詞】となる。
これは、英語と日本語の違いと同じである。英語に慣れてきてもついつい「目的語」が先になってしまうくらい、染み付いたものはなかなか直らない。「リボン=使いやすい」などと言われると、やはり彼らは「文法」が違うのだという気がする。
ふたつの文法で、【目的語】【動詞】となる方が「目的 (Object) 指向」と聞いたのだけれど、どうなんだろ?
オブジェクト指向を理解するのに、Smalltalk(80) を雑誌記事で読むしかなかったころ、画面に出てくる何か(枠とか図形とか)がオブジェクトで、そいつを選んで右クリックすると出て来るメニューがメソッドみたいな説明があった。
そして、(例えば vi エディタのように、コマンドと挿入)モードから抜けないと別の操作ができないわけじゃなく、いつでもどこでもオブジェクトを選べる、つまり「モードから自由になる」と。
彼らは "Don't mode me in" と書いた Tシャツを着て自慢したとかなんとか。
最近、iPad/iPhone を入手していたりするのだが、最初にアプリが並んだ画面が出て、一見 menu-driven で他の Window システムと同じだが、アプリ毎に微妙に操作が違ったりとか、"mode me in" されてる感たっぷりだ。
画面の大きさで制約があるんだろうけど、なんとかならんだろうか。まだ発展途上なのか、一時の流行病でそのうち廃れるのか、、、
上から目線がお気に召さない。
利用者も依頼者も情報関係ではない、ちょっとしたボランティア仲間だが、「お前ならできるだろ」つから、「その代わり、ちょっと実験するぞ」みたいな感じで、メールアドレス入力を変えてみたって話。だから、「あげた」でいいんだが、そんな話をここへ持ち出すのが間違いっちゃそのとおり。
こちらも遠慮なく作ったけど、利用者も遠慮がないので「悪評」もごらんのとおり。そこまで、「普通」が浸透してるってことなんだろうな。
普段、日記とコメントしか書かないので、そのつもりで書いてたのが残ってたりとか、いろいろお気に召さないこと多々あり、ゴメン。
計算機科学者とは、壊れていないものを修理する人々のことである