nagajisの日記: 工手学校土木科@明治41年 2
日記 by
nagajis
工手学校という学校は面白いところで、工学の知識を持った職工を養成するため、東大や早稲田の教授といった錚々たるメンバーが教鞭を取っていた。例えば明治20年代には田辺朔郎が道路・隧道を教えていた。一次ソースは国立国会図書館デジタルライブラリー参照。工手学校一覧明治27年版、同41年版
興味の中心は明治41年前後の土木科の教員なのだが、残念ながらすぐに判るような人物が少ない。設立当初の教員は理事になっている者が多いようだ。
折角なので教務主理も入れておく。
教務主理
石黒五十二(河港・東大土木科の最初の卒業生、海軍技監、貴族院議員、土木学会第4代会長)
中山秀三郎(港湾・土木学会第11代会長)
教員
実地測量・測量法 伊藤壽郎
製図 花和安年(中央工学校初代校長)
鉄道、道路、隧道、衛生 森早苗(東大教授・新永間高架橋の建設に従事)
海工、水理 山岡元一(上下水道、総督府技師)
施工法、河工、橋梁、材料強弱 米元晋一(東京市技師、日本橋を設計。意匠は妻木頼黄)
実地測量、製図 花村米三郎(明治40年9月〜)
測量法 柏木和一郎(明治41年2月〜)
事蹟その他はネットでざっと調べただけ。深追いはこれから。
森早苗に学んだのは確実 (スコア:1)
『二十五年記念工手学校一覧』、大正2年発行で見ると、森早苗は明治35年2月から大正2年6月の期間は道路・隧道、衛生工学を教えていますね。
だから村田鶴が森から学んだことは確実でしょう。
Re: (スコア:0)