okkyの日記: OpenSource Software を書き換えるか、Business Model を書き換えるか 2
ええ加減年寄りになると、会議だの何だのと言っては渡米する事になる。今月もオタワだし。
すると、ヨーロッパやアメリカと、日本・韓国・中国とかとでは、Open Source に対するアプローチが全然違う、という事が判る。話を簡単にするために、それぞれを「アメリカ型」と「日本型」と呼ぶことにしよう。特徴はこうなる。
- 日本型
- まず、自分がやりたいことがある。
- Linux なり、何なり、ソフトを持ってくる。当然、自分の目的にはちゃんとはまらない。ので、改造する。大抵の場合、改造するより1から作り直したほうが早いんとちやうか?というぐらい、改造する。
- 変更は莫大になる。Community に持って行っても誰も受け取ってくれない。差分が大きすぎるのも問題だが、それ以上に、ニーズが特殊すぎるのだ。
- メンテナンスコストは払わない。会社が払う必要などない。Community に投げてしまう際に、何人かの技術者の名前で出してある。彼らは逃げられない。彼らはプライベートを犠牲にして、メンテナンスを続ける。なぜ、会社がコストを払う必要があるというのだ? そのようなコストを払わなくてもCommunityがコストを払ってくれるのが Open Source というものではないか。
- Community メンバーがたまたま「弊社の社員」だったからといって、彼らの給料を上げる必要などアリはしない。
- なに? 技術者が別の会社に引き抜かれた? なんという恩知らずだ!!!
- アメリカ型
- まず、Open Source Software を持ってくる。で、適性を見る。
- 大抵のソフトと言うものは、原作者が主張する機能の 1/10 もまともに実装してあったらめでたいほうだ。大抵、作者は「自分が使う部分」についてしか、まともに考えていない。
- しかし、それがお客様のニーズに合うとは限らない。
- だから、調べる。どの機能は動いているのか、どの機能は動いていないのか、どの機能を使っても大丈夫なのか、どの機能を使うと計算機が破綻するのか、調べる。
- 大抵、極めて ペシミスティックな結論が出る。しかし、大丈夫だ。「それでも」という市場は絶対ある。そこに持っていけばよい。もちろん、その際には「利用者の責任」を明確に歌った契約書にサインをさせる。
- そういう客をいくつも捕まえていると、あるいは捕まえ損ねていると、顧客のプロファイル情報が出来上がる。それを見ると、「今不足している、どの機能を追加すれば、市場がドンッと広がるのか」がはっきり見える。
- そこで、最小の労力で必要な機能を実装する。
- なるべく手を抜いて、小さく作るのがコツだ。コストをかけるほど、市場の拡大量が多くないと元が取れないし、Community が受け取ってくれる確率も下がってしまう。
- 最初はチープなもので満足している客も、そのうちハイエンドな機能が欲しくなる。そしたら、Linux ではなく、別の商品を奨めればいい。IBMならAIX, HP なら HP/UX。これらは値段が高いが、機能はバッチリだ。
- 大丈夫。チープなもので満足していた頃の客は、ベンチャーだ。それでは足りなくなったのなら、それは「成り上がった」という事。機材を買う金は VC がたっぷりと払っている。その金を如何に効率よく、われわれが掠め取るか、そこがポイントだ。
まぁ、多少の誇張はありますが。でも判ったでしょうか? ようするに日本型は自分達が変わるのではなく、Open Source を変えようとしているのです。アメリカ型はそうではなく、ビジネスモデルを変えています。
これ、10年のスパンで物を見たら、どう考えても「アメリカ型」の方が簡単に黒字になるでしょう。50年なら判りませんが、50年も持つ Open Source Software って、見た事も聞いたことも食べたこともありません。16の子が書いたソフトを66になってもメンテするなんて悪夢です。
つまり、日本は Open Source の使い方がこれ以下ないぐらい下手糞だ、という事です。ここにビジネスチャンスがあります。
あー、そこのあなた。「Open Source の使い方を教える企業を立ち上げよう」なんぞと馬鹿言っちゃいけないよ?! 日本型のモデルは「営業とHQが仕事をしない」という意味なんだから、彼らに何を言っても糠に釘。そうじゃなくて、「ちゃんと Open Source の適性を考えた使い方をする企業」を立ち上げなさい、と言うことだ。別に、商売そのものは、すでにあるもので構わない。人の商売をパチれば良い。
Amazon.com に近い設け方が出来るぞ (^w^)。
えーと (スコア:0)
なんであれ独立営業型でフランチャイズに徹した商法が肌にあってない
ということなんじゃないかなあと。
ビルゲイツがIBMへの売り込みで運命を変えたのはあまりに有名ですが、
仰るとおりこうしたヤリ手の営業が独立して会社を興す文化が馴染まない。
自社技術が90%で、こういう資格保持者が何人で、利益はこうな優良企業という
信頼感で商売できるかどうかで、OpenSourceというのは口実の一つという価値観。
確かに、そういう底力がプラスに働く場面はあって、アメリカでも
SunやIBMに期待するのはそういうものでしょう。
例外的にライブドア傘下のPRO-Gなんかは、その辺巧みだったかなあ。
焦土作戦という敵を作るやり方だったけど、開発は最小限(日本語化)で
市場をデザイン・プロデュースするという根本は近いと思います。
「いいものは高くても売れる」「高くするだけの価値をつけて売る」
という既成概念を壊したソースネクストみたいな会社もあるし。
(ライブドアはターボを持っているし、ソースネクストも低価格ターボを売ってる)
やたらOpenSourceと言わないだけで、やってる会社はあるとも言えるのか。
クライアントで勝負にならないために、OpenSourceの売り込み先が、
システム屋どうしの化かし合いになって、うまく素人を丸め込む舞台が
日本には少ないなかで健闘しているとさえ思えてきます。
うまく説明できていないのかもしれないけれど… (スコア:1)
> なんであれ独立営業型でフランチャイズに徹した商法が肌にあってない
> ということなんじゃないかなあと。
ありがとう。
今回指摘したかったのは「なんであれ独立営業型でフランチャイズに徹した商法が肌にあってない」という状態に陥る、その理由のほうだったのだけれど。でも、その指摘は「ものすごく」わかり易い『兆候』だと思う。つまり、「なんであれ独立営業型でフランチャイズに徹した商法が肌にあってない」ように見える相手、というのは、今回書いた指摘が成立する相手だ、というのは正しい気がする。
独立営業型・フランチャイズ は確かにお客様に直結するシステムを要求しますが、Open Source そのものはそれ以外の場所でも使えるわけで。でも、ろくな使い方はしていない。その「ろくな使い方をしていない」最大の問題点は
「なんとかしてよぉーーーー!!!!」
と逆切れすれば、メーカが何とかしてくれた、その甘えを Open Source に持ち込もうという発想でしょう。
必要以上に自分のシステムを重厚長大にしたがる、という傾向は「重厚長大化によって超線形に膨らむ維持費」を勘案しない、と言う意味ですから。
これは別に SIer だけではなく、エンドユーザ(この場合のエンドユーザって言うのは、非 IT 産業な会社の事で、個人ユーザは含まない)にも、同じ傾向があります。そして両者が互いに互いの言葉を鵜呑みにしあって、ウロボロスのように、自己補強な、しかし何の根拠もない、重厚長大システム要求仕様を作り上げる。そして、「想定外の出費」に皆して悲鳴をあげる。
この環から「脱出」するのは難しいかもしれないけれど、「最初から無い」ようにすることは比較的易しい。
ま、もっと簡単に言うと、
「前例の前提は、今回も成立する前提か、 もう一度考え直そう。
考え直せないなら、前例の無い世界にいってみよう」
という事かもしれない。
fjの教祖様