phasonの日記: 高効率での水の光分解 5
"Solar-to-hydrogen efficiency of more than 9% in photocatalytic water splitting"
P. Zhou et al., Nature, 613, 66-70 (2023).
気が付くと10か月ぶりの日記である.忙しかったとはいえ,ずいぶんとまあ書かなかったものだ.
(論文自体は読んでるし面白いものもあるのだが,こうやってまとめるには時間が取れないとなかなか難しい)
エネルギー問題や環境問題の観点から,再生可能エネルギー等の有効活用が注目されるようになって久しい.そのような中で多くの研究が行われているものの一つが,水素の活用である.水素自体は燃焼時に水のみを生成するエネルギー源であるため,「安価かつ低環境負荷で水素を量産する手段があれば」次世代エネルギーの候補になると言えよう.
※実際には,貯蔵・輸送などでも多くの技術革新が必要であり,そちらでもさまざまな研究がおこなわれている.
さて,そんな水素の生成手段のひとつに,太陽光と光触媒の組み合わせによる水の光分解がある.水の分解には理論的には最低で1.23 eV程度のエネルギー(光の波長で言うと1000 nm程度)が必要なので,光励起によりこれよりも高いエネルギーをもつ電子-正孔ペアを作ることができれば水を分解できる可能性がある.要するに,バンドギャップが1.23 eVよりも大きな半導体材料に光を当て,価電子帯の電子を(1.23 eVよりも大きなバンドギャップの上の)伝導帯に励起することで,水を光分解できるかもしれない,というわけだ.この「光触媒による水の分解(=酸素と水素の生成)」はおよそ50年前に日本で発見され,本多・藤嶋効果と呼ばれ今では広く知られている.
光触媒による水の分解は,水中に触媒を入れ太陽光を当てておくだけで勝手に水素が発生し,しかも駆動部分もないので壊れにくく低コストと,水素の発生手段として当時かなり注目された.
ではこれで水素が安価にバンバン作れるようになったかというと,話はそううまくは進まなかった.
例えば光触媒での水の分解には,下記のような問題がある.
・各過程でロスがあったりするので実際にはもっと大きなバンドギャップが必要になる
・かといってバンドギャップが大きすぎる材料だと,利用できる太陽光の波長範囲が狭い
(バンドギャップを超えて電子を励起しないといけないので,バンドギャップが大きいほどエネルギーが高い短波長の光しか励起に使えない)
・光励起で生成された電子と正孔が再結合しないようにうまくキャリア分離できるような構造にしないと,せっかく生成した電子-正孔がそのまま再結合して消えてしまう
こういった多くの問題が合わさるため,光触媒による水の分解はかなり効率が悪い.例えば初期の本多・藤嶋らによる実験でのエネルギー効率はわずか0.4%程度に過ぎず,太陽光のエネルギーのほとんどが利用できていなかった.
※余談ではあるが,植物による光合成のエネルギー効率(降り注ぐ太陽光のエネルギーの何%を化学エネルギーに変換できるか)はわずか1%程度と同じぐらい低い.
とは言え,水の光分解に可能性が詰まっていることもまた確かである.なにせより高効率な触媒を開発できれば,「そこらに転がしておくだけで水素がバンバン出てくる板」が実現できるわけだ.そんなわけで水の光分解は今でもそれなりに研究がおこなわれているのだが,今回の論文は「条件をうまいこと調整したらエネルギー効率9%を実現できたよ」というものになる.
今回の論文で用いられた光触媒は,InGaN/GaNのナノワイヤーである.GaNは近年LEDやACアダプタ向けの半導体材料として実用化が進んでいるが,AlやInを混ぜることでバンドギャップの大きさを広い範囲で自由にコントロールできることが知られている.このため狭いバンドギャップで比較的広い波長範囲の光を利用できる光触媒としての報告が増えている材料である.さらに助触媒を適切に選択し,ナノ構造化などを組み合わせて表面でのバンド構造の変化をうまく組み合わせると,かなり高い水の光分解効率が得られることが報告されている.
今回の論文では,Siウェハー上にGaNとInGaNをCVDにより交互に積層していくことで,GaNとInGaNが交互に柱状に積みあがったナノワイヤーが成長する(Extended Data Fig. 5c~e).ワイヤー径はおおよそ100~200 nm程度,長さは1 μm前後といったところか.InGaN/GaNにより,おおよそ400~700 nmの波長域の光を利用して水を分解することができる.そしてこのナノワイヤーの表面に,助触媒としてRh/Cr2O3/Co3O4のナノ粒子を付ける.
そして今回の論文の最大のポイントが,温度である.温度を上げると反応速度の向上などにより効率が上がる.ただし温度が上がりすぎると,生成した水素と酸素が触媒の効果で逆反応を起こし水に戻る反応も進んでしまうので,逆に効率が低下する.今回の光触媒で検討したところ,温度が70 ℃までは効率が単調に増加し,80 ℃で横ばいもしくはやや低下したので,実験は70 ℃で行っている.
と言っても,別途ヒーターで加熱するわけではない.触媒と水の入った容器を外部からある程度断熱してやることで熱がこもるようにし,これにより温度を上げるわけだ.言ってみれば,光触媒が利用できない長波長の赤外線を,装置全体を加熱して反応効率を上げるのに利用してやっている,ということになる.装置の構成はExtended Data Fig. 3(集光なしでの,Xeランプ&波長フィルタを使った模擬太陽光での実験)およびExtended Data Fig. 8(フレネルレンズによる集光を用いた屋外での実地試験)を参照していただきたい.
※集光すると,触媒面積が少なくて良いのでコストが安い.また,効率が上がることも多い.
そんなわけで実際の光による水素の発生の様子である.これはもう,屋外実地試験での動画を見ていただくのが早いだろう.まずは光触媒を用いない場合の動画を見ていただこう.この場合,発生しているのは太陽光により一部が沸騰している水蒸気の泡であり,水素が発生しているわけではない.
触媒なしでの動画
(太陽光がまぶしいので,見やすくするためにフィルター越しの映像)
これに対し,光触媒を入れたときの動画がこれである.
触媒ありでの動画
(こちらもフィルター越しの映像)
触媒ありでの動画
(フィルターなしの映像と,装置の全景.レンズなどの配置が良くわかる)
見てわかる通り,ぼこぼことなかなかすごい勢いで水素(と酸素)が発生している.
この分野の研究はあまり追っていなかったのだが,なんとまあずいぶんな勢いで水素が出るものである.
どの程度のエネルギー効率だったのかというと,実験室系で精製水&Xeランプ+波長フィルタの模擬太陽光を用いた実験でエネルギー効率9.2%,屋外&集光ありで通常の水道水を用いた場合が7.4%,同じく屋外&海水をそのまま使った場合でも6.6%の変換効率が得られている.海水のような不純物を多く含む水であってもいけるという面では,かなり利用はしやすそうではある.
もう一つ気になるのは,耐久性だ.触媒分野でよく用いられるturnover number(1つの活性点が失活するまでに,何回反応を回せるか)は44,000ほど(ちなみに,単位時間あたりに何回反応が回るか,というturnover frequencyは601 h-1).非常に少ない,というわけではないが,長期間放置して使い続けるにはちょっと厳しい.この劣化の原因であるが,反応後の触媒のICPでの分析などから,助触媒であるRh/Cr2O3/Co3O4の溶出であるとみられている.InGaN/GaNナノワイヤーには顕著な劣化はなさそうだったので,より良い安定性の高い助触媒が見つかれば,実用化が進む可能性もある.
というわけで,「温度を上げてやったら,水の光分解効率が劇的に上がったよ」という報告であった.