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日記

phasonの日記: 電子をドープされた水は金色の金属になる 2

日記 by phason

"Spectroscopic evidence for a gold-coloured metallic water solution"
P. E. Mason et al., Nature, 595, 673-676 (2021).

この研究グループ,およそ6年前に紹介した「水にアルカリ金属入れた時の爆発を超高速カメラで見てみようぜ!」って研究をやったところらしい.どれだけアルカリ金属好きなんだ…….
ともあれ著者らは以前に「アルカリ金属の液滴を水に突っ込むと爆発するが,それはなぜか?」というのを超高速度カメラで研究したのだが,結論として「アルカリ金属から水に一気に電子がドープされアルカリ金属の塊が一気に高価数化,イオンの反発力によりウニ状にとげが飛び出し,表面積が増えて反応速度が爆発的に上昇して吹っ飛ぶ」ということを明らかにしている.この時ついでに発見したのが,一気に水にドープされた電子が,溶媒和電子として存在し,「青い水」が(一瞬だけ)できる,というものである.
溶媒和電子というのは,電子がまるで陰イオンであるかのように溶液に溶け込んだものであり,最もよく知られた例は金属ナトリウムなどのアルカリ金属を液体アンモニア中に入れたものであろう.
食塩を水に溶かすとNa+とCl-に乖離し,それぞれが溶媒和されて溶け込む.液体アンモニア中にアルカリ金属,例えば金属Naを入れると,Na+とむき出しの電子であるe-に解離し,それぞれをアンモニア分子が包み込むことで均一な溶液となる.この溶液中では電子が独立した「陰イオン」として動き回っており(周囲に溶媒和したアンモニアがまとわりついているが,それはまあイオンの水溶液でも同じことだ),溶媒和電子に由来するきれいな青い色合いを示す.溶媒和電子が元のアルカリ金属から完全に解離していることの一つの証明がこの色であり,どんなアルカリ金属を使っても全く同じ色合いの溶液が得られることが知られている(つまり,色を示している「電子」がアルカリ金属から完全に乖離していることを示唆する).

さてそんな溶媒和電子であるが,(私も寡聞にして知らなかったが)実は溶液中での濃度を上げていくと金属化することが知られているらしい.どういうことかというと,低濃度のうちは溶媒和電子は溶液中の隙間をホッピングしながら移動するような感じなのだが,液体中での電子の濃度が上がってくると互いの波動関数が重なり合い,ついには非局在化して金属伝導を示すようになる,ということらしい.
考え方としては水銀などと同じような液体金属の仲間,と思えばよいのだろうが,溶液中の電子が金属化する,というのは何とも面白い.
※なお,液体金属の伝導を理論化するのは非常に難しく,現在でもさまざまな試みが行われている.これは液体中では結晶と異なり構造の周期性がなくなるため,一般的な固体電子論で使われる「周期性を前提とした各種の近似や取り扱い」ができなくなるためである.

さてそんな「溶媒和電子の金属化」だが,理論的には水でも起こると言われていたらしい.ただ残念ながら水分子は分解しやすいため,水にアルカリ金属を入れると水素を発しながら分解し,単なる水酸化物に変化してしまう.
今回の報告はそんな「水中の溶媒和電子による金属化」にチャレンジし,見事成し遂げた,というものである.

著者らが用いた手法は以下のようになる.まず,NaとKの1:1の合金を用意する.これは融点が室温以下の液体金属であり,ノズルなどを用いて容易に移動させることができる.ここにいきなり水を付けると単に吹っ飛んでしまうので,著者らは真空チャンバーを用意し,そこに10-4 mbar(およそ1000万分の1気圧)という微妙な圧力で水蒸気を導入した.この圧力,もちろん日常的な感覚からは非常に低圧なのだが,真空を扱っている人間から見ると結構高めな圧力である.実は今回の実験,この圧力が肝となっている.
そんな「そこそこの圧力の水蒸気」が詰まった真空チャンバーの中の天井部分にセットしたノズルの先端から,NaK合金をゆっくりと押し出す.するとNaKの液滴が生成し,その表面に水分子が薄く堆積する.この水の薄層に対しNaKの液滴から電子が急激に移動し,溶媒和電子を作り出すわけだ.
さて,先ほど「水とアルカリ金属は反応して水酸化物になってしまう」という話をした.実はこの実験でも,徐々に水の分解が起こり「溶媒和電子のいる水」→「水が分解した水酸化物の溶液」に変化していくのだが,実はこの反応がそこまで早くないのだ.このため,NaK液滴の表面に水の薄層が生成する時間が十分早ければ,分解して水酸化物になってしまう前に十分な量の溶媒和電子を生成するチャンスがある.
実験の説明のところで「意外に高い圧力の水蒸気」だということを書いたが,それがここで効いてくる.実は類似の実験は過去にも行われているのだが,そこでは水蒸気圧が低すぎ,十分な水の層ができるまでの時間がかかりすぎていて,そのため溶媒和電子が十分生成するよりも前に,水の分解反応が起こってしまっていた(ということが,今回の実験結果から推測できる).

というわけで実験の流れをまとめると,
・真空チャンバー内に程よい水蒸気を入れておく
・NaK合金をノズルから押し出し,液滴を作る
・表面に水が吸着し,溶媒和電子をふんだんに含んだ水の薄層が生成
・素早くカメラ&分光学的手段で観察
・徐々に分解して水酸化物の層が出てくるので,新しいNaKを押し出して古い液滴は落下させる
・新しいNaK液滴で同じことを繰り返せる
という感じになる.液体金属の良いところは,次から次へと新しい液滴を押し出せるので,何度も継続して実験が行え,再現性も確認できるという点であろう.

では実験結果を見てみよう.Supplementary Informationとして公開されている動画の8分20秒あたりからが実際の実験の様子で,10分18秒あたりからの様子が,水蒸気の存在下でNaKの液滴を発生させたときの様子である.10分38秒あたりからの拡大画像だとよくわかるだろうか.
NaK自体は銀白色の金属なのだが,水蒸気に触れるとその表面に金色の薄い膜が生じることが見て取れる.この「金色」こそが,水に溶媒和した電子による金属伝導により生じたものになる.この溶媒和電子,意外に長い寿命を持っており,5秒程度は安定に存在できている(水中での溶媒和電子がここまで長いこともつとは思わなかった).その後徐々に水が分解していき,最後には水酸化物(を多量に含んだ水)の層に変化してしまう.

さてそんな感じで十分長い時間溶媒和電子が存在しているので,著者らはチャンバーの窓から内部の分光を行っている.
反射率の測定からはまず,2.74 eV(452 nmに相当)のところに,半値幅0.59 eVのプラズモンによると思われる吸収が確認された.これが金色の由来である.
著者らはさらに研究を進めるため,放射光を用いた光電子分光も行っている.その結果,フェルミエネルギー付近にNaKより幅の狭いバンドが確認され,これが水中で金属伝導を示す溶媒和電子に由来するものだと考えられる.水の薄膜が非常に薄いため,その下にあるNaK由来の光電子も観測され,さらに深いエネルギー側では水の分子軌道由来の電子も見えてくる.測定結果を複数のピークに分解してやると,ほぼ自由電子であるNaKのバンド + ほぼ自由電子である溶媒和電子のやや幅の狭いバンド + 溶媒和電子のプラズモン + NaKのプラズモン + 水分子/水酸化物由来の電子,という少数のピークで測定結果を完全に再現できることが判明した.さらに溶媒和電子のバンド由来のピークの強度からドープされている自由電子量を見積もることが可能で,その量はおよそ5×1021 cm-3となった.このドープ量は,18 mol%程度に当たり,ほぼ限界に近いドープ量ではないかと著者らは述べている(大雑把な理論予測では,20 mol%あたりが限界とみられている).また液体アンモニア中の溶媒和電子が1~5 mol%の溶媒和電子で金属化することを踏まえると,水中の溶媒和電子が金属化していても全く不思議ではないキャリア濃度と言える.

そんなわけで,意外に単純な方法で再現性良く作製できる,水中での金属化した溶媒和電子の実験法であった.著者らも述べているようにこれは速報であり,実験の容易さなども踏まえれば今後これを用いた各種の分析が進められる可能性も高い.水中での溶媒和電子の挙動についての知見が深まる日も近いかもしれない.

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クラックを法規制強化で止められると思ってる奴は頭がおかしい -- あるアレゲ人

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