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日記

phasonの日記: 階層的複合材料を用いた放射冷却布地

日記 by phason

"Hierarchical-morphology metafabric for scalable passive daytime radiative cooling"
S. Zeng et al., Science, 373, 692-696 (2021).

昨今何かと話題の武漢にある華中科学技術大学などのグループによる研究.この大学は光関連でいろいろな研究を行っており,今回の論文もそのような研究の一つとなる.

近年,温暖化の加速やら計算機の消費電力の増大やら省エネの流れやらを受け,パッシブな冷却技術が注目を集めている.パッシブな冷却技術というのは要するに外部から強制的に冷却するのではなく,熱源自体からの放射を促進したりして放熱を増やす技術であるが,その中でも特にここ最近研究が進んでいるのが紫外~可視領域の光を反射しつつ,赤外線を効率よく放射するような素材である.
よく知られたように,太陽から降り注ぐ光のエネルギーはおよそ6000 Kの物体からの黒体輻射(が,大気などにより吸収・減衰されたもの)に近く,波長で言うと500 nm付近(緑色付近)にピークを持つ.これに対し地上にある「熱い」物体(と言っても炎だとかそういうものではなく,稼働している機械や電子機器などの表面温度)は数十℃程度であり,そこからの熱放射のピーク波長は数 μm程度の赤外領域になる.さらに大気は波長0.2~5.5 μmあたりと8~14 μmあたりの赤外線をよく通すので(5.5~8 μmは水蒸気がかなり吸収する),「紫外~可視領域の光をよく反射し,赤外領域の光をよく放射するような材料」で物体の表面を覆ってやると,外部からの(輻射による)熱流入を防ぎつつ,物体の熱を輻射により冷たい宇宙へと捨てる=冷却することが可能になる.要するに,冬場に話題に出る放射冷却を使って物体を冷やすことが可能になるわけだ.

このような冷却法は何も現代科学の専売特許でも何でもなく,昔紹介したシルバーアントのように生物も利用していることが知られている.これら生物は可視光の波長と同程度の構造を表面に作り,波長の短い可視・紫外光にとっては乱雑な表面に見えるため大きく散乱される(=外界からの光を反射する)が,もっと波長の長い赤外光にとっては凹凸が細か過ぎて連続体に近似されるため(※)散乱されず,内部からの熱輻射が効率的に外部に透過していく,という現象を引き起こしている.このため,表面に可視光の波長程度の微細構造を作りこめば放射冷却により外気温よりもさらに低温に冷却できることが知られている(ただしもちろん,熱の捨て先である宇宙空間よりは高温であるので,熱力学の基本法則は破らない).

※対象物が光の波長よりも細かくなってくると,光の波動性により対象物の裏側に波が回り込む効果により波が透過していってしまう.単純に言ってしまうと,光にとってみれば波長より細かい構造は「ぼやけてよく見えない」ため,ピンボケ画像のように「周囲と平均化した物体」の中を進んでいるのと同じように振る舞う.

さてそんなパッシブ冷却技術であるが,ナノ構造を作る,という点を考えると量産性や耐久性,コスト面に難があった.今回報告されたのはそんなパッシブ冷却技術を利用できる「布」である.この布は既存の技術により十分低コストで量産可能で,加工性や強度も通常の布と同等,さらに数十回以上の洗濯にも耐える耐久性が報告されている.

著者らが作成したのは,紫外線を反射するPTFEフィルムと,可視光を反射する酸化チタンの微粒子,それに赤外線を効率よく放射できる熱可塑性樹脂であるポリ乳酸(PLA.最近では3Dプリンタでもよく用いられている)からなる複合材料である.まずPLAを加熱溶融し,そこに直径200~1000 nm程度の酸化チタンの微粒子をよく混ぜ込む.この混合物を細い穴から射出・冷却することで,PLA中に酸化チタン微粒子が分散した糸を得ることができる(いわゆる一般的な溶融紡糸).この糸で通常通り布を織り,布の片面の表面をPTFE(いわゆるテフロンと同じ)のフィルムでコーティングする.PTFEフィルムのコーティングも繊維業界でよく行われている加工手段であり,衣類等に防水性を持たせる,などの用途でよく用いられている.このPTFEフィルム,製造段階で引き延ばして薄くすることで作成されているのだが,この時引き延ばされることで微視的には細い糸状のPTFEがつながったような構造となっており(Supplementary MaterialsのFig. S1,こういった構造は,浄水器に用いられている中空糸膜でもよく見られる),短めの波長の光をよく散乱する.糸本体を形成しているPLAはC=O二重結合やC-O単結合を多数含んでおり,これらの結合の振動に由来して赤外領域で強い吸収を示す.光の吸収と放出は逆過程であるため,ある波長の光を吸収しやすい=(高温時に)その波長の光を放出しやすい,である.赤外域に強い吸収を持つPLAは,熱による赤外線を放出しやすい,ということでもある.

そんなわけで,作成された布は以下のように階層的な構造をもつ.
・表層:PTFEのシート.数百 nm程度の細いPTFE繊維でできており,紫外~可視をよく散乱
・糸本体:PLA.赤外をよく吸収・放出するが,可視光は透過
・糸内部:酸化チタンの微粒子.可視付近の光をよく散乱
この布に太陽光が当たると,紫外はPTFEコーティングで散乱され,可視領域はPLA製の糸本体に埋め込まれている酸化チタンで散乱され,布の裏側にはほとんど光が入ってこない(=太陽光で加熱されない).一方,この布で覆われた物体から伝わってきた熱はPLAによって赤外線に変換され放出,PTFEや酸化チタン微粒子のサイズは赤外輻射の波長に比べると十分小さいため(赤外線にとっては)連続体に見えるためほぼ散乱されず,そのまま効率的に外部に出ていき輻射による冷却が機能する,という設計だ.

では実際にそううまくいくのかを実験結果を見ていこう.最初は糸や布としての物理特性である.
作成された糸であるが,十分な柔軟性と強度を備えているため,通常の加工を行うことができる.例えばSupplementary Materialsの動画1ではミシン糸として使用して通常の布地が縫えることや,動画2ではこの複合糸を織ることで長い布地を容易に作成できることが示されている.
続いては,この糸を使って作られた布地の性質である.いくら冷却に優れていても,強度が落ちるとか使いにくいのでは利用できない.著者らが作成した布は,硬さ(力を加えたときにどのぐらい伸びにくいか)に関しては綿やリネンの倍程度,Spandex(よく伸びるポリウレタン樹脂.水着などに使われているらしい)やシフォン生地や市販のUVカット生地(実験で使われているのは,例えばNorth Faceのナイロン製の商品など)と同等の強度であった.伸びに関しては,さすがに水着にも使われるSpandexに比べると伸びないが,綿よりは良く伸びる,といったぐらいが.まあ総じて,酸化チタンの微粒子を練りこんでも市販されている布地と同程度の強度と伸びは維持されている.
なお,衣類として使用する場合には通気性も重要となるが,PTFEコーティングしてあるもののある程度の通気性は維持されており,布地を通して空気が十分に抜ける様子なども実験として掲載されている.耐久性に関しては,50回洗濯しても酸化チタンの含有量や光の反射率がほとんど変化しない様子が示されており,まあ実用的な耐久性はありそうだ.

ではいよいよ,放熱性能を見ていこう.
反射率と放射率(理想的な黒体と比べ,どの程度その波長の光を放射できるか,という比)の測定結果である.この布地の測定結果では,300 nm~1.5 μmの可視~近赤外領域で反射率が90%以上程度となっており,可視光をよく反射することがわかる.一方,波長が2 μmを超えたあたりから反射率は急減(そして放射率は急上昇)し,5 μm以上当たりでは反射率はほぼ5~10 %以下,放射率は90%付近となっている.設計通り,「紫外から可視領域はよく反射し,赤外線をよく放出する素材」となっているわけだ.
実際の放熱効果はどうだろうか?
温度モニタ用に熱電対を埋め込んだ銅板の表面にこの布地を載せ,快晴の屋外で温度を測定した.日が沈んでいる夜間では,外気温が10~16 ℃なのに対し,上にこの布地を載せた銅板の温度はそれよりもコンスタントに8 ℃ほど低い2~8 ℃で推移した.放射冷却の効果である.一方日中になり直射日光を受けるようになるとこの差は徐々に縮むが,最も日照の厳しい12時過ぎあたりでも,外気温より2 ℃以上低い温度となっていた.
続いて,人間が着用した時を模して,体温がわりのヒーターを仕込んだ模造皮膚を用意し,その上に今回作成した放熱用布地や既存の布地を載せたものを直射日光の当たる屋外に設置,温度変化をモニターした.何も布地を載せていない状況だと,温度は徐々に上昇し13時ごろに41~42 ℃ぐらいにまで達した.これはかなり暑い.では現在市販されている通常の布地(色はどれもほぼ白色)を載せるとどうかというと,直射日光を受けるよりはましなものの,どの布地の場合でも正午ごろには38~40 ℃程度とかなり高温になってしまっている.一方,今回開発された複合素材の布地だが,最高で33 ℃程度と既存の布地よりも(模擬)体表温度を5~7 ℃ほど低く保つことができている.

最後の実験として著者らは,実際にこの布地でできた服を被験者に着せ,その体表温度の測定も行っている.向かって右半分(被験者の左半身側)がこの布地で,左半分が通常の綿でできたシャツを着せ,30分直射日光を浴びてもらい,その際の温度変化をモニタした,というものだ.実験結果は動画を見てもらうのが良いが,直射日光化で明らかに右側(今回作成した布地側)の温度が低くなっている.これだけだと「単に布の断熱性が高く,熱が中にこもって外に出てきてないだけ」という可能性もあるが,動画の最後できちんとシャツを脱がせて内部の温度を比較している.シャツを脱いだ時の体表温度も明らかに今回の布地側の方が低く,輻射による冷却が効果的に効いていることがわかる.綿のシャツと比較して,3 ℃以上冷えているそうだ.
同様の実験を,自動車用のミニチュア(長さ15 cmぐらい)とそこにかけるカバーでも行っている.黒い模型を炎天下で90分放置したところ,カバー無しだと温度が60 ℃以上にまで上昇している.銀色のカバーをかけても90分後の温度は3 ℃ほど低いぐらいで,その温度にはあまり差がない(熱くなるまでの時間は伸びるが,銀色のカバーは赤外線の放射も少ないため,熱伝導などにより徐々に温度が上がると放熱が進まず,結局最終的には熱くなる).それに対し今回の布地でカバーした模型は30 ℃程度と,カバー無しに比べ30 ℃も低い結果となっていた.

そんなわけで,お手軽に作れるわりに丈夫で使い勝手の良い放熱性繊維の研究であった.
人が着て3~5 ℃程度低い,というのがどのぐらいありがたいのかいまいちよくわからないが,コスト次第ではありかもしれない.

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