アカウント名:
パスワード:
より多くのコメントがこの議論にあるかもしれませんが、JavaScriptが有効ではない環境を使用している場合、クラシックなコメントシステム(D1)に設定を変更する必要があります。
物事のやり方は一つではない -- Perlな人
プロジェクトを成功させるには (スコア:1, 興味深い)
・オープン~と言いながら開発参加者はクローズドである
だと思うのだけどどうだろう?
それともこの結論はオープン主義の妄想だろうか。
んで結論応用としては
・開発に関して個人開発は今後向かない
ってことかな?……すでに経験則で分かってることか……。
・ソフトで可能なことがハードでは無理
オープンソースとオープンハード (スコア:2, 参考になる)
> ・ソフトで可能なことがハードでは無理
これが最大の要因だったのではないかと考えています。
今やソフトの配布などに対するコストはほぼ無視出来るでしょうし、
開発環境も BSD/Linux などはタダですし Windows などでも比較的安価です。
その結果、オープンな開発モデルを採用する事のコストが非常に低いと。
対してハードの場合、幾つかの重要な違いが存在します。
ソフトと違い「分けたら無くなるパン」であるハードの場合、配布するなら
それだけの数の現物が必要ですし、低コストで配布する手段もありません。
Linux の様に開発途上の版を「こまめにリリース」するのは非現実的です。
さらに、今時の電子回路の開発に必要な計器類も高価ですし。
その結果、ハードにオープンな開発モデルを採用するコストが非常に高く、
開発者集団が大きくなる事のメリットに比べ割に合わない、のだと思います。
この場合、少数精鋭による一点突破型の計画を選ぶのも止むを得ないかと。
細かい話になりますが、設計と実装を分けて論じる必要もあるのではないかと。
ソフトの場合は設計(=上位設計?)と実装(coding+debug?)の両者共に低コストで
オープン開発モデルを適用可能ですが、ハードは設計(=論理設計?)を情報として
電子的に低コストで共有する事は充分可能ですが、実装(試作+ldebug?)の方は
それが現物に依存する問題故にオープン開発モデルが高くつく、と。
# 実際には実装の問題を設計に立ち戻って解決する必要もありますし。
論理設計の電子情報としての公開は、既に清水研究室 [u-tokai.ac.jp]などの実例がありますね。
最後に、
> それともこの結論はオープン主義の妄想だろうか。
「オープン主義」のメリットは語り尽くされているので広く理解されていると
思うのですが、そのコストやデメリットの議論は比較的少ない様に思えます。
私は「妄想」とまでは思いませんでしたが、その得失の評価のバランスが若干
偏っているのではないかと思えたのですが、如何でしょうか?