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いやしくも科学的に考えるなら、宗教と言うものを考える時に見逃すことはできないことが1つあります。それは、「人類は信仰心に多大な投資をしてきた」と言う明白な事実です。
この事実は明白に次の結論を導きます。すなわち「信仰心を持つことは生き残るのに有利だった」と言うことです。実際、歴史上人類が信仰心と言うものに投資してきた資源は
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UNIXはただ死んだだけでなく、本当にひどい臭いを放ち始めている -- あるソフトウェアエンジニア
アインシュタインでさえ (スコア:2, 興味深い)
いやしくも科学的に考えるなら、宗教と言うものを考える時に見逃すことはできないことが1つあります。それは、「人類は信仰心に多大な投資をしてきた」と言う明白な事実です。
この事実は明白に次の結論を導きます。すなわち「信仰心を持つことは生き残るのに有利だった」と言うことです。実際、歴史上人類が信仰心と言うものに投資してきた資源は
Re:アインシュタインでさえ (スコア:0)
> 「信仰心を持つことは、生存に有利だった」
同意はするけど、たぶんこれに掛かるであろう「人類にとって」という様に、一般化してしまうのはどうかな?
信仰は、ユダヤ教・キリスト教・イスラム教・ドザ・マカー等を見ればわかるとおり、多くの場合は排他的です。信じる者は救われる。信じない者は地獄に落ちて死ねって感じ。
ある集団の中に、突然変異的に信仰が発生した場合、信仰の強烈なまでの排他性により、信仰を持つ者を有利にする傾向がある…程度に、生存に有利だったのではないでしょうか?
有利だったのは「人類にとって」ではなく、あくまで「それを信仰する個人にとって」ですよね?
信仰の発生そのものは有利・不利に関係なく、別な所にある気がします。
# それが何かと聞かれたら、自分もまだよくわからないですけど
> 実際、科学の名のもとに信仰を否定することに意味があるとは思えませんね。
科学は信仰・信仰という行為自体を否定はしないと思います。何を信じようが個人の勝手。
ただ、その信仰の内容については、精査し、場合によれば否定する必要もあるのではないですかね?ID論とか
Re:アインシュタインでさえ (スコア:1, 興味深い)
宗教というより、信仰心を生み出す力が脳の構造的なところにあるんじゃないでしょうか。そういう仮説なんかもよく聞くような気がしますし。
ただ、信仰心が生存競争に有利なんじゃなくて、信仰心を生み出せるような妄想力や強く一つの物事を考えられる力というのが、生存競争に有利なんじゃないでしょうか。
その力の使い方の方向によっては、技術革新や芸術も生めば、宗教や戦争なんかもしちゃうんだと思うんでしょうけれど。
宗教が不毛かどうかというよりは、宗教って人間の脳の特徴によって生まれる人間の行動パターンだよね?
くらいのスタンスがいいのではないかと。
あと、科学的に考えるとそういう仮説があるという前提でも、その考え方が正しいかどうかは今のところ保留だと思います。
脳の仕組みがより解明されれば、宗教も科学的に仕組みとして論じれると思うんですけれどね。