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いやしくも科学的に考えるなら、宗教と言うものを考える時に見逃すことはできないことが1つあります。それは、「人類は信仰心に多大な投資をしてきた」と言う明白な事実です。
この事実は明白に次の結論を導きます。すなわち「信仰心を持つことは生き残るのに有利だった」と言うことです。実際、歴史上人類が信仰心と言うものに投資してきた資源は
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普通のやつらの下を行け -- バッドノウハウ専門家
アインシュタインでさえ (スコア:2, 興味深い)
いやしくも科学的に考えるなら、宗教と言うものを考える時に見逃すことはできないことが1つあります。それは、「人類は信仰心に多大な投資をしてきた」と言う明白な事実です。
この事実は明白に次の結論を導きます。すなわち「信仰心を持つことは生き残るのに有利だった」と言うことです。実際、歴史上人類が信仰心と言うものに投資してきた資源は
Re:アインシュタインでさえ (スコア:0)
なんだか、話の途中から結論までにえらくむちゃな飛躍があるように思えるのだが。。。まあ、それは置いておこう。
「鰯の頭も信心から」という言葉があります。どんな下らない風習だって、信じればなにがしかの恩恵がある(ことがある)ということを表す諺です。宗教を信じることで、集団として生きていくことが有利になったということは実際にあったのかもしれません。ただ、だからといって宗教の内容が科学的な真実に基づくものであるとは言えません。「鰯の頭」は「鰯の頭」であって、それ以上の意味をあたえることは科学にはできません。
「人間としてまったく自然なことなのです。」という言葉も出てきますが、ここでいう「自然」とは何でしょうか? 「ダーウィニズムな世界で生き抜くことに有利だから自然」ということがいいたいようです。ただ、私は、あなたがここでいう「自然」を「科学的な結論」としてしまうことに、大変な恐怖を感じます。考えなければいけないのは、世の中、完全に五体満足に生まれてくる人間はそう多くはないという事実です。現在五体満足でも、将来にわたり五体満足でいられる確率はそう高くはありません。人間の世界に「ダーウィニズムな淘汰の法則」を本当の意味で当てはめてしまうならば、これらの人々は亡びる他ないでしょう。そういう人々を排除した後に、また新たな子孫を残していけば、人類は種として強化されるかもしれません。ただ、そのような選択が賢明であるとは、私個人は思いません。優秀な種として未来永劫地球上に居残り続けることが、五体不満足な人間を殺戮する以上に重要なことであるようには、私には思えないからです。
いいたいことは、人類にはダーウィニズム以外の「(あなたの言葉で言えば)不自然な」選択肢を選択することもできるし、実際現代社会の福祉政策の多くはダーウィニズム以外の選択肢を選択する方向に向かっているということです。また、強調しておきたいことは、これは「人類の選択」の問題であって「科学的である、あるいはない」という話とは別であるということです。また、一般常識として、「ダーウィニズムの話を不用意に強調することは、社会的弱者からは強い反発を受ける」という事実も良く理解されるべきだと思います。ナチスドイツ時代の「断種法」と結び付けて理解する方もいらっしゃいます。