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これぐらい、いいじゃない。社会に悪影響があるとは思えないし。
インターネットへの公開は公然扱いじゃなくていいとおもう。
> インターネットへの公開は公然扱いじゃなくていいとおもう。それはいけない。切り離してはいけない。むしろ、ネットは現実社会と少しも変わらないことを周知しなくては。所とツールが変われば他のものが犯罪に使われる。それだけだと思う。
現実と切り離して忌避し嘲るのはマスゴミだけでいい。
>> インターネットへの公開は公然扱いじゃなくていいとおもう。> それはいけない。切り離してはいけない。
インターネットを「現実」社会だと安易に考えるのも、インターネットを仮想現実だと考える事と同様に危険なことじゃないでしょうか。「現実」社会のルールは、潜在的に距離や国境などの物理的な制約を前提条件としていると思いますが、それがそのままインターネットに適用できると茶番を演じ続けるのは無理があると思います。例えば、コピーライトつまり複製権などがいい例で、もし本当に"All rights reserved" (全権保持)というのを守ってたら、ドキュメントがサーバから一歩も出れなくなってしまいます。つまり、インターネットは複製を作る事によって通信するので、通信を始めた段階ですでにコピーを作っているわけです。仮に国境を越えた通信に関わる複製の問題を無視したとしても、今度はクライアント端末における複製が残ります。ブラウザで何かを見ているという段階で、それは複製を見ている事に他ならないからです。以上の事を全て無視した上で、「インターネットも現実の一部だ」と言い続けているが現状の法体系ではないでしょうか。
誰にどの国の法律が適用できるのかという問題も残ります。日本語に関しては、それを使うのがほぼ全て日本国民であるという特殊な事情がありますが、インターネット上ではどの国のユーザでもどの国で運営されているサイトにアクセスする事ができます。アメリカでなら言論の自由で保証されているコンテンツでも、日本や中国やイランでは違法扱いというのはざらです。
さらに、http というプロトコルの仕組みを考えると、それは要請(リクエスト)と応答(レスポンス)の仕組みであるということです。「これください」「はい、どうぞ」の世界です。似たような仕組みだと食べ物屋の出前があるでしょう。つまり、ユーザ側が、何らかのアクションを取らない限り、本来はコンテンツは配信されません。だからそれは公開であっても、「公然扱いじゃなくていいとおもう」ということじゃないでしょうか。外を歩いていたら突然裸のおじさんがいたというのは訳が違います。
じゃあどうすればいいのかって問題になりますが、結局「現実」社会の法体系に任せないで、技術的にプロトコル上でなんらかの制約を加えればいいと思います。ちゃんと読んでないですが、レッシグの CODE [amazon.co.jp] にそういう事が書いてあったと思います。
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人生の大半の問題はスルー力で解決する -- スルー力研究専門家
違法なの? (スコア:2, おもしろおかしい)
これぐらい、いいじゃない。
社会に悪影響があるとは思えないし。
インターネットへの公開は公然扱いじゃなくていいとおもう。
Re: (スコア:2, 興味深い)
> インターネットへの公開は公然扱いじゃなくていいとおもう。
それはいけない。切り離してはいけない。
むしろ、ネットは現実社会と少しも変わらないことを周知しなくては。
所とツールが変われば他のものが犯罪に使われる。それだけだと思う。
現実と切り離して忌避し嘲るのはマスゴミだけでいい。
the Internet vs 現実社会 (スコア:1)
>> インターネットへの公開は公然扱いじゃなくていいとおもう。
> それはいけない。切り離してはいけない。
インターネットを「現実」社会だと安易に考えるのも、インターネットを仮想現実だと考える事と同様に危険なことじゃないでしょうか。
「現実」社会のルールは、潜在的に距離や国境などの物理的な制約を前提条件としていると思いますが、それがそのままインターネットに
適用できると茶番を演じ続けるのは無理があると思います。
例えば、コピーライトつまり複製権などがいい例で、もし本当に"All rights reserved" (全権保持)というのを守ってたら、
ドキュメントがサーバから一歩も出れなくなってしまいます。つまり、インターネットは複製を作る事によって通信するので、通信を
始めた段階ですでにコピーを作っているわけです。仮に国境を越えた通信に関わる複製の問題を無視したとしても、
今度はクライアント端末における複製が残ります。ブラウザで何かを見ているという段階で、それは複製を見ている事に他ならないからです。
以上の事を全て無視した上で、「インターネットも現実の一部だ」と言い続けているが現状の法体系ではないでしょうか。
誰にどの国の法律が適用できるのかという問題も残ります。日本語に関しては、それを使うのがほぼ全て日本国民であるという
特殊な事情がありますが、インターネット上ではどの国のユーザでもどの国で運営されているサイトにアクセスする事ができます。
アメリカでなら言論の自由で保証されているコンテンツでも、日本や中国やイランでは違法扱いというのはざらです。
さらに、http というプロトコルの仕組みを考えると、それは要請(リクエスト)と応答(レスポンス)の仕組みであるということです。
「これください」「はい、どうぞ」の世界です。似たような仕組みだと食べ物屋の出前があるでしょう。つまり、ユーザ側が、
何らかのアクションを取らない限り、本来はコンテンツは配信されません。
だからそれは公開であっても、「公然扱いじゃなくていいとおもう」ということじゃないでしょうか。
外を歩いていたら突然裸のおじさんがいたというのは訳が違います。
じゃあどうすればいいのかって問題になりますが、結局「現実」社会の法体系に任せないで、技術的にプロトコル上で
なんらかの制約を加えればいいと思います。ちゃんと読んでないですが、レッシグの CODE [amazon.co.jp] にそういう事が書いてあったと思います。
Re: (スコア:0)
安易だろうが安易じゃなかろうが「現実」社会でしょう?
貴方の文章を読んでも、ネットワーク外の既存ルール適用の困難さを指摘しているだけで、
「現実」社会である事を疑う様な材料は何も提示されていません。
ちゃんと「現実」社会である事を認めた上で、
ルールについて議論すればいいんじゃないんですか?