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こういった話は前からあって原発事故のしばらく後に出た日経サイエンスにもカラーグラフ付きで死者数は化石燃料を使った発電のほうがずっと多い的な記事が出てましたよ。反論としては、核燃料の採掘から精製などの工程でも被害者が出ているのでは、というのがありますが、そういうのを入れても化石燃料に関わる死亡者数よりは恐らく少ないでしょう。
もともと潤沢なエネルギーを使って贅沢な文明生活を営むためには、誰かが危険を背負い込まなければならないのだけれども、化石燃料の場合は炭鉱労働者であるとか、発電所で働いてる人とか限られた人が被害に合うのに対して、原発はひとたび事故を起こすと、贅沢な文明生活を営んでいる自分たちに被害が及びかねないというのが決定的な違いですね。だから反対すると。
要は自分らに関係ない人間が死んでいるぶんには関係ない、快適な暮らしが享受できればそれでいいという実にエゴイスティックな構図なんですわ。そういう非常に汚らしいエゴを自覚せずに、反原発だとかキレイ事を言ってる人が実に多いんですね残念ながら。
どちらの立場に立っているかだけで、糞を投げ合ってるのはお互いでしょうよ。仮定を替えれば簡単にひっくり返る話を延々としても仕方が無いですが、一つだけ言える事がありますね。
自分は自分で守らねばならない。それを利己的であると批判された所で、自分の身を守るための行動をやめるわけには行きませんよね。身を守るという行為はすでに利己的ですから。
他国の誰かが死ぬのと、自分、あるいは身近な誰かが死ぬのを較べたとき他国の誰かの命を守ることを優先せよってのはそりゃあ理想としては良いかも知れませんが、そんなもん狂ってる。世界中の全員が、
相手が身を守るために行っている行動をエゴイスティックだ等と否定する奴ではありませんかね。
「身を守る」が「自分は安全でいたいが同時に(安いエネルギーを沢山使って)贅沢もしたい」という意味だとするとちょっと微妙な気がします。
そういうことですね。自分や家族が1日に消費しているエネルギーを考えてみればそれがリスク無しで得られるはずがないと分かるでしょう。
身を守るのがいけないのか、なんてのもちゃんちゃらおかしな話で、潤沢にエネルギーを使わない暮らしをすれば身は守れるわけでね。そういう暮らしができるところに行って生活すればいいだけです。無駄なエネルギーを使って/.Jに戯言を書き込みながら、エネルギーの代償たるリスクは負いたくないと叫ぶなんてナンセンスだと気づかないのがエゴですね。
反原発で坂本龍一氏が、代替の発電手段なんて専門家が考えればいいんだから僕らは考える必要がない的なことを言って話題になってましたが、そうではなく原発のリスクを負わずに、いまの生活レベルを維持したいということであるなら反原発と同時に再生可能な社会はどうやったら実現できるのか的な話がセットであるべきです。そしてそれは一朝一夕では行かない。
生活レベルを維持しながら原発も嫌だというのなら当分の間は原発のリスクの代わりに別のリスクが大きくなり、それは原発のリスクと変わらないかむしろより大きなリスクにつながる可能性が高い。だから生活のレベルを落とすということも検討しなければならないかもしれない。そういった話ですからね。
パンがなければケーキを食べればいいじゃないって言葉はこのためにあったんだな
過去40年に渡り年平均2~3ppm程度で二酸化炭素濃度が上昇を続けてますね。これは人が住んでいない南極等でも同じです。そして増加率はさらに加速してます。60億以上の人々がそれぞれに幸福を追求していいて、それにはエネルギーが要るのだから加速するのは当たり前ですね。
このまま増加を続ければ何が起こるか分かったもんじゃありません。万人単位ではなく60億人が故郷を追われてもおかしくないと思いますが。今の増加率、化石燃料の消費量からして、数十年後といったかなり早い将来、つまり孫子の世代で、かなり深刻な事態が起きるようになるでしょう。
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私は悩みをリストアップし始めたが、そのあまりの長さにいやけがさし、何も考えないことにした。-- Robert C. Pike
他人が死ぬことに対する痛みはないんでしょう (スコア:5, すばらしい洞察)
こういった話は前からあって原発事故のしばらく後に出た日経サイエンスにも
カラーグラフ付きで死者数は化石燃料を使った発電のほうがずっと多い的な記事が出てましたよ。
反論としては、核燃料の採掘から精製などの工程でも被害者が出ているのでは、というのが
ありますが、そういうのを入れても化石燃料に関わる死亡者数よりは恐らく少ないでしょう。
もともと潤沢なエネルギーを使って贅沢な文明生活を営むためには、誰かが危険を背負い込まなければ
ならないのだけれども、化石燃料の場合は炭鉱労働者であるとか、発電所で働いてる人とか
限られた人が被害に合うのに対して、原発はひとたび事故を起こすと、贅沢な文明生活を営んでいる
自分たちに被害が及びかねないというのが決定的な違いですね。だから反対すると。
要は自分らに関係ない人間が死んでいるぶんには関係ない、快適な暮らしが享受できればそれでいいという
実にエゴイスティックな構図なんですわ。
そういう非常に汚らしいエゴを自覚せずに、反原発だとかキレイ事を言ってる人が実に多いんですね残念ながら。
Re: (スコア:0)
どちらの立場に立っているかだけで、糞を投げ合ってるのはお互いでしょうよ。
仮定を替えれば簡単にひっくり返る話を延々としても仕方が無いですが、一つだけ言える事がありますね。
自分は自分で守らねばならない。
それを利己的であると批判された所で、自分の身を守るための行動をやめるわけには行きませんよね。
身を守るという行為はすでに利己的ですから。
他国の誰かが死ぬのと、自分、あるいは身近な誰かが死ぬのを較べたとき他国の誰かの命を守ることを優先せよってのはそりゃあ理想としては良いかも知れませんが、そんなもん狂ってる。世界中の全員が、
Re: (スコア:0)
相手が身を守るために行っている行動をエゴイスティックだ等と否定する奴ではありませんかね。
「身を守る」が「自分は安全でいたいが同時に(安いエネルギーを沢山使って)贅沢もしたい」という意味だとするとちょっと微妙な気がします。
Re:他人が死ぬことに対する痛みはないんでしょう (スコア:2)
そういうことですね。自分や家族が1日に消費しているエネルギーを考えてみれば
それがリスク無しで得られるはずがないと分かるでしょう。
身を守るのがいけないのか、なんてのもちゃんちゃらおかしな話で、
潤沢にエネルギーを使わない暮らしをすれば身は守れるわけでね。
そういう暮らしができるところに行って生活すればいいだけです。
無駄なエネルギーを使って/.Jに戯言を書き込みながら、エネルギーの
代償たるリスクは負いたくないと叫ぶなんてナンセンスだと気づかないのがエゴですね。
反原発で坂本龍一氏が、代替の発電手段なんて専門家が考えればいいんだから
僕らは考える必要がない的なことを言って話題になってましたが、そうではなく
原発のリスクを負わずに、いまの生活レベルを維持したいということであるなら
反原発と同時に再生可能な社会はどうやったら実現できるのか的な話がセットで
あるべきです。そしてそれは一朝一夕では行かない。
生活レベルを維持しながら原発も嫌だというのなら当分の間は原発のリスクの代わりに
別のリスクが大きくなり、それは原発のリスクと変わらないかむしろより大きな
リスクにつながる可能性が高い。だから生活のレベルを落とすということも検討しなければ
ならないかもしれない。そういった話ですからね。
Re: (スコア:0)
パンがなければケーキを食べればいいじゃないって言葉はこのためにあったんだな
Re:他人が死ぬことに対する痛みはないんでしょう (スコア:2)
過去40年に渡り年平均2~3ppm程度で二酸化炭素濃度が上昇を続けてますね。
これは人が住んでいない南極等でも同じです。そして増加率はさらに加速してます。
60億以上の人々がそれぞれに幸福を追求していいて、それにはエネルギーが要るのだから
加速するのは当たり前ですね。
このまま増加を続ければ何が起こるか分かったもんじゃありません。万人単位ではなく60億人が
故郷を追われてもおかしくないと思いますが。今の増加率、化石燃料の消費量からして、数十年
後といったかなり早い将来、つまり孫子の世代で、かなり深刻な事態が起きるようになるでしょう。