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まあ高校の野球とか囲碁将棋部に「しょせん趣味でしょう」というと怒られそうな気がするけど、お遊びはお遊びでそれもいいんだよ。そしてこういう、今まで趣味の領域が殆どだったものが日本で部活動化されると、意外と趣味じゃない感が強くなってくるんじゃないかね。小さい頃から嗜むには非常に有効だと思うし、社会的にも長期的な視野でアプローチできる。ただ、ゲーム脳などのしょせん趣味、下賤で学校でやるまでもないと見る向きをどうかわすかが勝負かな。
非電源でもビデオゲームでも、趣味の領域を超えたものがあまり身近にないので、確実ではないが…
遊びは真剣にやらないと面白くないんだぜ。
それはともかく、最近のことは知らないけど、部活が趣味じゃない感になっちゃうのは、無駄に根性論を唱えるから、ってことだったりしないかね。
それと、各競技について、学校に一つの部しか認めない、ってのも良くない。そこで上手く行かなかったら、競技を続け辛くなっちゃう。とすると、その部の無駄な伝統とか、指導者とかに無条件で従うしかない、ってことになりがち。
根性論ではなく結果を残さなければいけないからですね。根性論ということであればスラドでも人気の「究極超人あ〜る」も先輩の理不尽による根性論がありますが、参加しなくてもいい気楽さにより和気藹々としています。一方でコンペなど生徒会との対決系統ではやらされている感が大きくなり嫌な顔をしていることも多くなります。
根性論ではなく結果を残さなければいけないからですね。
それを言うなら、結果ではなく、過程が重視されてるんじゃないかね?世の中の高校運動部のほとんどすべては、大した結果を残せない。優勝できるのは、一人・一チームだけ、上位に登れるのは一握りなんだから、当然そうなる。なのに問題があるとすれば、少なくとも「結果を残さなければならないから」ではないね。
参加しなくてもいい気楽さにより和気藹々としています。
そうそう。そういうものを担保するためにも、一校・一競技・一部活みたいなものを止めるべきだ、と言ってるわけ。
世の中の高校運動部のほとんどすべては、大した結果を残せない。
いえいえ、そういう意味の結果を残さなければいけないではなくてですね。「何らかの」結果を残す、ランキングされるということです。それらの結果を無視できるなら趣味の色が強くなりますが、たいていの場合は次回にもっと良い成績を取ることが望まれます。特に多人数ものや師弟関係のあるようなものだと同調圧力も発生するので。
「何らかの」結果を残す、ランキングされるということです。
負けても勝ってもいいっていう結果なら、「参加しなくてもいい気楽さにより和気藹々としてい」ると思いますが。
特に多人数ものや師弟関係のあるようなものだと同調圧力も発生するので。
結果を重視する、って話とはズレてますね。
そんなものが問題になるのなら、『究極超人あ〜る』でも問題になりそうなもんです。
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あと、僕は馬鹿なことをするのは嫌いですよ (わざとやるとき以外は)。-- Larry Wall
学業と趣味の狭間で (スコア:0)
まあ高校の野球とか囲碁将棋部に「しょせん趣味でしょう」というと怒られそうな気がするけど、お遊びはお遊びでそれもいいんだよ。
そしてこういう、今まで趣味の領域が殆どだったものが日本で部活動化されると、意外と趣味じゃない感が強くなってくるんじゃないかね。
小さい頃から嗜むには非常に有効だと思うし、社会的にも長期的な視野でアプローチできる。
ただ、ゲーム脳などのしょせん趣味、下賤で学校でやるまでもないと見る向きをどうかわすかが勝負かな。
非電源でもビデオゲームでも、趣味の領域を超えたものがあまり身近にないので、確実ではないが…
Re: (スコア:1)
遊びは真剣にやらないと面白くないんだぜ。
それはともかく、最近のことは知らないけど、
部活が趣味じゃない感になっちゃうのは、無駄に根性論を唱えるから、ってことだったりしないかね。
それと、各競技について、学校に一つの部しか認めない、ってのも良くない。
そこで上手く行かなかったら、競技を続け辛くなっちゃう。
とすると、その部の無駄な伝統とか、指導者とかに無条件で従うしかない、ってことになりがち。
Re: (スコア:0)
根性論ではなく結果を残さなければいけないからですね。
根性論ということであればスラドでも人気の「究極超人あ〜る」も先輩の理不尽による根性論がありますが、
参加しなくてもいい気楽さにより和気藹々としています。
一方でコンペなど生徒会との対決系統ではやらされている感が大きくなり嫌な顔をしていることも多くなります。
Re: (スコア:1)
根性論ではなく結果を残さなければいけないからですね。
それを言うなら、結果ではなく、過程が重視されてるんじゃないかね?
世の中の高校運動部のほとんどすべては、大した結果を残せない。
優勝できるのは、一人・一チームだけ、上位に登れるのは一握りなんだから、当然そうなる。
なのに問題があるとすれば、少なくとも「結果を残さなければならないから」ではないね。
参加しなくてもいい気楽さにより和気藹々としています。
そうそう。
そういうものを担保するためにも、一校・一競技・一部活みたいなものを止めるべきだ、と言ってるわけ。
Re: (スコア:0)
世の中の高校運動部のほとんどすべては、大した結果を残せない。
いえいえ、そういう意味の結果を残さなければいけないではなくてですね。
「何らかの」結果を残す、ランキングされるということです。
それらの結果を無視できるなら趣味の色が強くなりますが、
たいていの場合は次回にもっと良い成績を取ることが望まれます。
特に多人数ものや師弟関係のあるようなものだと同調圧力も発生するので。
Re:学業と趣味の狭間で (スコア:1)
「何らかの」結果を残す、ランキングされるということです。
負けても勝ってもいいっていう結果なら、「参加しなくてもいい気楽さにより和気藹々としてい」ると思いますが。
特に多人数ものや師弟関係のあるようなものだと同調圧力も発生するので。
結果を重視する、って話とはズレてますね。
そんなものが問題になるのなら、『究極超人あ〜る』でも問題になりそうなもんです。