アカウント名:
パスワード:
より多くのコメントがこの議論にあるかもしれませんが、JavaScriptが有効ではない環境を使用している場合、クラシックなコメントシステム(D1)に設定を変更する必要があります。
UNIXはただ死んだだけでなく、本当にひどい臭いを放ち始めている -- あるソフトウェアエンジニア
違法性の認識かな (スコア:1, すばらしい洞察)
Re:違法性の認識かな (スコア:1, すばらしい洞察)
まだしっかり考えていないけれど。
P2Pソフトを作るのと、その使い方を教えるのは、教唆という観点では本質的に同じと思う。
でもネットランナーなどは「言論の自由」
必要性 (スコア:0)
フリーソフトで、しかも2ちゃんねるってあたり。
Re:必要性 (スコア:0)
# なんか主張したかったことは分らなくないけどツッコミ所はちゃんとふさぎましょう
Re:必要性 (スコア:0)
雑誌もおかしいけれど、ネタを作る技術者の責任がまったく云々されてない世の中って恐いってことだけど。
ここで言われてるのは、銃を作成出来る技術者が無料で銃を配って「人を殺さないでね」と言ったから技術者は悪くない、って理論だよね。
しかし少なくとも「人を殺すことの重要性を認識出来ない子供」や、「子供に
Re:必要性 (スコア:1)
無断コピーというのが殺人に匹敵するような普遍的な罪なのか? という所から。
47氏は研究者だからこそ、そういう疑問を持っていたんだと思う。
Re:必要性 (スコア:1)
#研究者だからこそ、ってのにどう繋がるかも謎
Re:必要性 (スコア:0)
コピーは物を増やすだけですよね。
「少なくとも窃盗と同じ程度には普遍的な罪」とは言い切れないかもしれない。
コピーってデジタルなもの(orデジタルなものに変換できるもの)なら
右クリックで簡単にコピーできるし、
インターネットに接続できればすぐに公共に配布できるし、
通報でもされない限りは顔や名前を知られることもないし、
窃盗と比べて遥かに安全かつ簡単に実
Re:必要性 (スコア:1)
まず窃盗が悪事と見なされるのは、盗んだ物品に価値がある場合です。
価値が全くない場合も訴えることはできるでしょうが、第三者的には「ええやん、そんなん」と思われて終わりだと思います。
同じ理屈で、不正コピーが罪たり得るのは、そのデータの複製に価値がある場合ということになります。
著作権法違反は親告罪ですから、不正コピーが咎められた場合、それは著作権者がその複製に価値があると判断していることを示します。
(少なくともその著作権者にとっては)価値があるものを盗むわけですから、「窃盗と同程度に普遍的」と言ってよいと私は考えます。
Re:必要性 (スコア:0)
ぜんぜん違います。
複製する権利を侵害しているからです。
最初からやり直してください。
Re:必要性 (スコア:1)
> > 「少なくとも窃盗と同じ程度には普遍的な罪」とは言い切れないかもしれない。
に続くものだということに注意して下さい。
すなわち、複製権の侵害は「なぜ罪として規定されうるのか?」を話しています。
#正確に言えば「著作権侵害が窃盗と同程度に普遍的な罪である理由」
> >同じ理屈で、不正コピーが罪たり得るのは、そのデータの複製に価値がある場合ということになります。
> ぜんぜん違います。
> 複製する権利を侵害しているからです。
それだと
「複製
Re:必要性 (スコア:0)
複製権に限らず、他人の権利を侵害すること自体が普遍的に罪だと認められているだけのこと。
そして、複製権が専有権利として認められているからこそ、普遍的な罪になる。
>罪を公正か
Re:必要性 (スコア:1)
もしあなたがこの枝の話の展開をちゃんと順番に追いかけているのだとすると、
どこが間違いだと仰ってるのかよく分かりません。
直近のコメント(#546846) [srad.jp]でのあなたのご意見は
命題A:複製権は権利である
命題B:他人の権利を侵害することは普遍的な罪である
命題C:複製権の侵害は普遍的な罪である
AかつBであるからC、と。
そりゃ、Aが成り立つ場合はそうでしょう。実に当然です。
この枝はまず ここ(#544807) [srad.jp]で命題Cを問う形で始まりました。
それに対して私はここ (#544825) [srad.jp]で命題Cは成り立つと述べています。
言い方が間接的で不明確ですが、論拠はもちろん命題Aおよび命題Bです。
しかしその次のコメント(#545284) [srad.jp]で、そもそも命題Aが真であるかどうかに疑問があがり
Re:必要性 (スコア:0)
(#546020)
>>不正コピーが罪たり得るのは、そのデータの複製に価値がある場合
>ぜんぜん違います。
>複製する権利を侵害しているからです
「不正コピーが罪たり得る」のは「データの複製に価値がある場合」とかではなく「他人が専有する権利を侵害」しているから。
権利と価値は一意な関係ではありません。
権利の侵害に対し、そこに価値を持ち込むことは間違いです。
Re:必要性 (スコア:1)
順に説明します。
まず(#544807) の問題提起は
「「不正コピー」は普遍的な(≒社会常識的な)罪なのか」
でしたが、これは私(と少なくても (#545284)のACの方の発言)には
「「複製権の侵害」は普遍的な(≒社会常識的な)罪なのか」
であって、さらに進めて
「「複製権」は社会常識的な(≒普遍的な)権利なのか」
という問いかけと解釈していました。
「権利の侵害」が罪なのは当たり前で、議論にすらなりません。
あなたの反論はいちいちもっともなんですが、仮に(#544807)の問いかけに
「~~権を『侵害』
Re:必要性 (スコア:0)
嘘を書いてはいけませんね。
あなたが書いたのは「少なくとも窃盗と同じ程度には普遍的な罪」
つまり、主語はなんらかの罪であることは明白です。
都合が悪くなったからといって、後から「複製権の妥当性」を言ってたんだということにしようとしても
それは無理というものです。
しかも、(#546528)で『正確に言えば「著作権侵害が窃盗と同程度に普遍的な罪である理由」』とまで補足してます。
日本語を間違えたなら間違えたで、出直せばいいものを
無理に誤魔化そうとするから話がごちゃごちゃになるんですよ。
>「複製権(あるいはその侵害)は、少なくとも物の価値の観点から見れば、
>窃盗が罪であることと同程度に普遍的な権利(罪)として説明できる」
>と言っているだけです。
そのように主張したいのであろうことは読めましたので、
>>権利と価値は一意な関係ではありません。
>>権利の侵害に対し、そこに価値を持ち込むことは間違いです。
という風に書いたのですが、「権利の侵害に対し」と限定的に書いたのがいけなかったのかな。
権利は価値があるかないかで存在したりしなかったりするものではありません。
あなたも
>生存権は法的にも社会常識的(=普遍的)にも認められた権利であって、
>そこに第三者の価値観が入る余地はありません。
と書いている以上理解してると思えるのですが、なぜ複製権の話には価値を持ち込もうとするのでしょうか?
Re:必要性 (スコア:1)
> 無理に誤魔化そうとするから話がごちゃごちゃになるんですよ。
嘘や誤魔化しとまで言われると心外ですね。
確かに細かく表現や主張を変えてきたのは事実ですが、前向きに議論を進めるために敢えて引いたところもあるという点は汲んでもらいたいと思います。
確かにあなたの主張は一貫しているようですが、その一方で私が何を主張しているのかを積極的に理解しようとしたり、あるいは相違点を明らかにして議論を深化させたりする様子はなかったように思います。
ともかく、やっと前向きな議論ができそうな共通理解と相反する点が分かってきたようなので、話を進めたいと思います。
> 権利は価値があるかないかで存在したりしなかったりするものではありません。
> なぜ複製権の話には価値を持ち込もうとするのでしょうか?
まず大前提として、
私は権利というのは相対的なものであって、絶対普遍なものであるとは思っていないのです。
陳腐な例えをまたぞろ繰り返しますが…。
「人を殺す権利」なんてものは権利じゃない。少なくとも私は権利として認めるつもりがないです。
しかし同じ人を殺すという行為でも、「凶悪犯を死刑にする権利」は日本では少なくても法的に認められている。
あるいは江戸時代の武士には「切り捨て御免」という権利があった。
かくの如く権利というのは相対的なもので、時代背景・社会制度・倫理道徳あるいはそれを語る人・定義する人・行使する人によって重みが変わりうるものだと思っています。
もちろんこの理屈でもやはり権利そのものは常にそこに「存在」しているもので、価値やなにかで消えたり現れたりするものではありません。
ですが、それが実際に意味のある効果を発揮するかどうかは、結局のところ対立する権利との関係によって決まる相対的なものではないでしょうか。
私はこの考えが自然なものだと信じていたので特に説明しなかったのですが、
どうもこの点で考え方に違いがあるのかも知れません。
ちなみに「普遍的な権利」という言葉で表しているつもりだったものは、
常に一定以上の「意味のある効果を持つ権利」のことです。
問題はその重みのようなものを誰がどうやって線引きするのかという点ですが、生存権についてははっきりしています。
というのは、生存権は近代民主主義がその根幹として採用したモノの一つだからです。
現代日本は民主主義国家ですから、当然、生存権は「普遍的な権利」となります。
もし、己の価値観によってこの権利を無効だと主張する第三者がいたとすれば、
その人物はそもそも民主主義社会の構成員として失格です。
しかしその生存権にしても、古代~中近世においては万人に認められていた権利ではなかったわけです。
例えば、もし私が南北戦争以前の黒人奴隷であったなら、所有主である白人から
「お前が生きる権利なんて、ええやんそんなん、だ」
と言われても、どうしようもなかったでしょう。
翻って複製権についてですが。
まず、
「自身の著作物の複製行為を独占する権利」に対して、
「他人の著作物を自由に複製する権利」というものが存在します。
少なくともそういう権利を持っていると主張するだけならしても良いと思います。
実際、もし著作権者が複製権を主張しないなら、後者の権利は通ってしまいます。
例えばBSDライセンスなどはその例ですよね。(*) [srad.jp]
また、ある社会では、無用な車輪の再発明を回避して生産性を上げるために、
著作物の複製を独占することを禁じるかも知れません。
著作権を上手く使ってこれを実践しているのがGNUだと思います。
しかし著作権者が複製権を主張すれば、二つの権利は対立します。
現在の日本では、この場合、前者は認められ、後者は認められません。
これは前者(複製権)の方が相対的に強いと「みなされている」からだと考えます。
その「みなし」を明文化したものが法律としての「複製権」です。
では、なぜそう「みなされて」いるのか。あるいは「みなすべきだ」と主張する人々はどのような論拠を擁しているのか。
そこを議論しようというのがこの枝の根っこだったと思います。
私はその理由の一つとして、それぞれの権利が潜在的に持つ「価値」を引き合いにだしました。
私としては、「価値」にことさらこだわる気はなくて、他の論拠も示せるなら示したいのですが、
残念ながら議論の口火を切った方は私のレスに反応してくれず、それ以上に話が広がりませんでした。
あなたは複製権の「普遍性」を上手く説明する「価値」以外の論拠をお持ちのようだから、是非それを教えて欲しいと思い
Re:必要性 (スコア:1)
(*)はコメント末尾の脚注へのリンクのつもりでした。念のため。